由緒
明治期の陸軍大将・児玉源太郎を祀る神社。児玉源太郎が徳山藩士の家に生まれた縁により、大正11年(1922)12月15日、その遺徳を偲ぶ地元有志の発起で、児玉家旧宅跡に神奈川県藤沢市・江の島の児玉神社の神殿を移築して創祀された。昭和8年(1933)5月16日に県社に列格。境内には「徳山七士碑」や後藤新平撰文の碑など児玉源太郎ゆかりの記念碑が多数建ち、台湾総督を務めた縁で台湾から取り寄せたタイワンゴヨウ(台湾五葉松)も植えられている。
山口県に鎮座する神社です。御祭神は児玉源太郎命。開運のご利益で知られます。
明治期の陸軍大将・児玉源太郎を祀る神社。児玉源太郎が徳山藩士の家に生まれた縁により、大正11年(1922)12月15日、その遺徳を偲ぶ地元有志の発起で、児玉家旧宅跡に神奈川県藤沢市・江の島の児玉神社の神殿を移築して創祀された。昭和8年(1933)5月16日に県社に列格。境内には「徳山七士碑」や後藤新平撰文の碑など児玉源太郎ゆかりの記念碑が多数建ち、台湾総督を務めた縁で台湾から取り寄せたタイワンゴヨウ(台湾五葉松)も植えられている。
児玉神社の御祭神は児玉源太郎命です。
3月10日
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山口市街の北、天花に並んで鎮座する二社。豊榮神社は毛利元就を祀り、宝暦12年(1762年)に萩藩主毛利重就が萩城二の丸の土地神社を改めて元就の霊を遷し、毛利家の祖神である天穂日命と合祀して神性霊社と号したことに始まる。明和7年(1770年)に仰徳社と改称し、明治2年(1869年)には明治天皇から「豊栄」の神号を受けて豊榮神社と改称、山口の多賀神社境内に仮殿を構えて遷った。明治4年に現在地へ社殿が造
山口県萩市の萩城跡、指月公園内の高台に鎮座する神社。萩藩主毛利家の祖霊を祀り、明治11年(1878年)に山口の豊榮神社・野田神社から分祀するかたちで、萩城本丸跡に創建された。祭神は毛利元就・隆元・輝元・敬親・元徳の五柱で、あわせて初代秀就から十二代元徳までの歴代萩藩主が祀られている。萩城は慶長9年(1604年)に毛利輝元が築いた居城で、明治7年(1874年)に建物が解体されたのち、その本丸跡が神社
山口市上小鯖に鎮座する八幡宮で、小鯖八幡宮とも呼ばれます。社伝では平安時代中期の寛弘・長和の頃(1004年〜1016年)に豊前の宇佐八幡宮から神霊を勧請したと伝えられ、その帰路、山口湾から椹野川をさかのぼって鰐石に上陸した際、供をしてきた鰐が神との別れを惜しんで鳴いたという言い伝えが社名の由来とされています。主祭神は八幡大神・足仲彦神・神功皇后で、仁徳天皇や天御中主神、大歳神などを配祀します。中世
長門国一宮で、大阪の住吉大社、博多の住吉神社と並ぶ「日本三大住吉」の一社。社伝では、神功皇后が三韓出兵の折に住吉大神から「吾が荒魂を穴門の山田村に祀れ」という神誨を受けて創祀したと伝え、住吉三神の荒魂を祀るのが大きな特色である。相殿に応神天皇・武内宿禰命・神功皇后・建御名方命を祀る。『延喜式』神名帳には名神大社として載る。本殿は応安3年(1370年)に大内弘世が造進したもので、五つの社殿を檜皮葺の