中国の神社一覧
中国の都道府県別一覧と神社カードをまとめるページです。
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中国の神社一覧
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豊榮神社・野田神社
山口市街の北、天花に並んで鎮座する二社。豊榮神社は毛利元就を祀り、宝暦12年(1762年)に萩藩主毛利重就が萩城二の丸の土地神社を改めて元就の霊を遷し、毛利家の祖神である天穂日命と合祀して神性霊社と号したことに始まる。明和7年(1770年)に仰徳社と改称し、明治2年(1869年)には明治天皇から「豊栄」の神号を受けて豊榮神社と改称、山口の多賀神社境内に仮殿を構えて遷った。明治4年に現在地へ社殿が造営されて遷座し、明治15年には別格官幣社に列している。隣接する野田神社は、幕末の藩主毛利敬親を祀るため明治6年(1873年)に創建された忠正神社が前身で、翌年に野田神社と改称、明治19年に現在地へ遷った。養嗣子の元徳は明治31年に摂社芳宜園神社に祀られ、昭和11年に本殿へ合祀されている。境内の能楽堂は昭和11年に元徳の長男・毛利元昭が寄進したもので、平成3年に移築され、同年に山口市指定有形文化財に指定された。
- 所在地
- 山口県山口市天花1丁目1-1(豊榮神社)/山口県山口市天花1丁目1-2(野田神社)
- 御祭神
- 毛利元就公、毛利敬親公
高津柿本神社
『万葉集』を代表する歌人・柿本人麿を祀る。人麿の終焉の地と伝わる高津沖の鴨島に、没後まもない神亀年間(724〜729年)、聖武天皇の勅命によって小社が建てられたのが起こりと伝えられる。万寿3年(1026年)の大地震で鴨島が海中に没した際、御神像が高津の松崎に漂着したとされ、その地に社殿が営まれた。江戸時代の天和元年(1681年)、津和野藩主亀井茲親によって現在地の高角山へ移され、社殿が整えられた。歌聖を祀ることから学問・和歌の神として信仰されるほか、疫病除け、開運、農業、安産、火防などの信仰を集める。
- 所在地
- 島根県益田市高津町上市イ2612-1
- 御祭神
- 柿本人麿命
六所神社
出雲国府跡に鎮座し、『出雲国風土記』『延喜式』の双方に記載される古社。社伝では元は佐久佐神社と称したとされ、式内社・佐久佐神社の論社にあたる。奈良時代以降は出雲国の総社としての社格を有し、国内の神社へ幣帛を分かつ班幣式や諸祈願は、出雲国中の神主を当社に集めて国司が斎行した。社名の六所は六柱の神を祀ることによるとも、諸社を管理・統括する「録所」に由来するともいわれる。王朝時代から続く古伝の御田饌(みたげ)神事には勅使の参向があり、観応元年(1350年)を境に熊野大納言が代参するようになった。その行列と儀式を描いた壁画は島根県の文化財に指定されている。本殿は大社造で、神紋は出雲大社の古い神紋と同じ二重亀甲に「有」。出雲国造家とゆかりの深い「意宇六社」の一社に数えられ、大正14年(1925年)に県社へ昇格した。
- 所在地
- 島根県松江市大草町496
- 御祭神
- 伊邪那岐命、伊邪那美命
- 系統
- 出雲
茂宇気神社
鳥取市鹿野町河内の山あいに鎮座する。創立年代は不詳だが、古くから河内地区の氏神として祀られ、かつては妙見大権現と称した。寛文7年(1667)に鳥取藩主池田家から社領六斗を寄進され、元禄15年(1702)に天照大御神を勧請合祀して妙見茂宇気宮と改めた。明治初年に茂宇気神社と改称し、村内の山神(大山祇命)や稲荷神、境内末社の稲荷大明神(倉稲魂命)を合祀している。明治5年(1872)に村社に列し、大正9年(1920)には神饌幣帛料供進神社に指定された。社名の「もうけ」という響きが「儲け」に通じるとして、近年は商売繁盛や金運の神として知られるようになり、県外からの参拝者も訪れる。社殿へ続く264段の急な石段が印象的な社である。
- 所在地
- 鳥取県鳥取市鹿野町河内4410
- 御祭神
- 天照大御神、大山祇命
下山神社
霊峰大山の中腹に鎮座する大神山神社奥宮の境内社。鳥取県神社庁の伝えるところでは、元徳2年(1330年)、備中国浅口郡の郡司であった渡辺源五郎照政が智明権現社(現在の奥宮)へ参詣した帰路に討たれ、下山の地に葬られたことに始まるという。その後の神託により智明権現社から六尺下がった所に社が営まれ、以来霊験あらたかな社として信仰を集めた。現在の社殿は文化2年(1805年)の建立で、正面三間の入母屋造・檜皮葺。再建にあたっては石見国津和野藩の亀井家が寄進したと伝わり、蟇股などに亀井家の四つ目結紋があしらわれている。大神山神社奥宮の社殿とあわせて国の重要文化財に指定されている。
- 所在地
- 鳥取県西伯郡大山町大山1
- 御祭神
- 渡辺照政命
平濱八幡宮
創建年代は不詳。天永2年(1111年)に太政官の命を受けて陰陽寮が当社の遷宮の日時を占ったことが石清水文書に見えることから、それ以前の鎮座は確実で、出雲国最古の八幡宮とされる。一帯は京都・石清水八幡宮の社領であり、当社は「平浜別宮」と呼ばれて石清水の社家の支流が奉仕した。のちに出雲国八所八幡宮の総社と位置づけられ、戦国期には亀井氏・尼子氏・毛利氏によって社殿が造営され、江戸時代には松江藩主の直轄下に置かれた。昭和17年(1942年)に県社へ列格。境内西隣には武内宿禰を祀る境内社・武内神社が鎮座し、「武内さん」の愛称で延命長寿の神として広く信仰を集めている。
- 所在地
- 島根県松江市八幡町303
- 御祭神
- 應神天皇、仲哀天皇
- 系統
- 八幡
廿日市天満宮
広島県廿日市市の篠尾山に鎮座する天満宮。承久2年(1220年)に藤原親実が厳島神社の神主として着任し、守護神として天神を祀ったことに始まり、天福元年(1233年)に鎌倉の荏柄天神を勧請して篠尾山に社殿を構えたと社伝は伝える。親実は厳島神社の造営のため鎌倉から多くの職人を伴っており、その子孫がこの地に定住したことが廿日市の町の発展の基礎になったとされる。慶安5年(1652年)には町民から寄進を集めて社殿が再建された。明治17年(1884年)の火災で社殿を焼失したが、明治22年(1889年)に再建され現在に至る。学問の神である菅原道真を祭神とすることから、合格祈願の参拝者が多い。
- 所在地
- 広島県廿日市市天神3-2
- 御祭神
- 菅原道真
- 系統
- 天神
志都岐山神社
山口県萩市の萩城跡、指月公園内の高台に鎮座する神社。萩藩主毛利家の祖霊を祀り、明治11年(1878年)に山口の豊榮神社・野田神社から分祀するかたちで、萩城本丸跡に創建された。祭神は毛利元就・隆元・輝元・敬親・元徳の五柱で、あわせて初代秀就から十二代元徳までの歴代萩藩主が祀られている。萩城は慶長9年(1604年)に毛利輝元が築いた居城で、明治7年(1874年)に建物が解体されたのち、その本丸跡が神社の境内として整えられ、総面積およそ20万平方メートルが指月公園として公園化された。境内に自生するミドリヨシノは山口県の天然記念物に指定されている。
- 所在地
- 山口県萩市堀内(萩城跡指月公園内)
- 御祭神
- 毛利元就、毛利隆元
備中国総社宮
創建年代は不詳ですが、平安時代末期、備中国に赴任した国司が国内すべての神社を巡拝する手間を省くため、国府の近くに国内324社の神々を勧請して祀ったのが始まりと伝えられます。「総社」という地名もこれに由来します。室町時代には細川氏・毛利氏の崇敬を受け、戦火で社殿を焼失したのち正長2年(1429年)に再建。天正年間に再び焼失し、貞享4年(1687年)に再建されると彩色二十四孝の絵馬が奉納され、地元の豪商たちの寄進を集めて栄えました。明治5年(1872年)11月に県社に列格。昭和52年に本殿を焼失しましたが昭和54年に再建されています。境内には長い回廊や出雲式とされる神池・神島、近隣に類を見ない太さのオガタマノキがあり、平成6年には総社(跡)が総社市の重要文化財に指定されました。
- 所在地
- 岡山県総社市総社2丁目18-1
- 御祭神
- 大名持命、須世理姫命
鰐鳴八幡宮
山口市上小鯖に鎮座する八幡宮で、小鯖八幡宮とも呼ばれます。社伝では平安時代中期の寛弘・長和の頃(1004年〜1016年)に豊前の宇佐八幡宮から神霊を勧請したと伝えられ、その帰路、山口湾から椹野川をさかのぼって鰐石に上陸した際、供をしてきた鰐が神との別れを惜しんで鳴いたという言い伝えが社名の由来とされています。主祭神は八幡大神・足仲彦神・神功皇后で、仁徳天皇や天御中主神、大歳神などを配祀します。中世以降は在地領主の崇敬を集め、文安5年(1448年)の大内教弘、永禄3年(1560年)の毛利隆元、永禄10年(1567年)の毛利輝元による社領安堵状が『防長風土注進案』に記録されており、明治維新まで社領の供給を受けていました。本殿は貞享3年(1686年)9月に改造され、拝殿は寛政3年(1791年)9月に建てられたもので、山口市の歴史文化資源として紹介されています。
- 所在地
- 山口県山口市上小鯖583
- 御祭神
- 八幡大神、足仲彦神
- 系統
- 八幡
御調八幡宮
神護景雲3年(769年)、宇佐八幡宮の神託事件で道鏡の野望を退けた和気清麻呂の姉、和気広虫(法均尼)が備後国へ流された際、この地に留まって宇佐八幡大神を勧請し、弟の赦免を祈願したことに始まると伝わる。宝亀8年(777年)を創建の年とし、以後、八幡庄の鎮守、備後総鎮護の社として崇敬を集めている。天正年間には三原城に滞在した豊臣秀吉が参拝し、境内に桜を手植えしたと伝えられる。木造狛犬一対をはじめ、木造行道面・木造神像・経典板木が国の重要文化財に指定され、シイを主とする社叢は広島県の天然記念物となっている。
- 所在地
- 広島県三原市八幡町宮内7
- 御祭神
- 応神天皇、仲哀天皇
- 系統
- 八幡
由良比女神社
島根県隠岐郡西ノ島町浦郷に鎮座する式内社で、隠岐国の一の宮とされる。主祭神は須勢理姫命で、地元では由良比女大神と称される。社伝では仁明天皇の承和9年(842年)に官社に預かり、延喜式神名帳に由良比売大明神として載るほか、『袖中抄』や『土佐日記』にもその名が見えるという。承和15年および陽成天皇の元慶元年(877年)には丁重な祈祷が行われ、平安時代末期には隠岐国一の宮と定められた。安政2年(1855年)には島前一統の祭りとすることが決議され、明治5年(1872年)10月に郷社に列した。漁業神・海上守護の神として島内の崇敬を集め、家内安全・海幸守護・海上安全・病気平癒などの御神徳で知られる。
- 所在地
- 島根県隠岐郡西ノ島町浦郷922
- 御祭神
- 須勢理姫命
須佐神社
神戸川の上流に鎮座する延喜式内社で、『出雲国風土記』にも記される古社。社伝では、須佐之男命が諸国を巡ったのち「この国は小さいけれどよい国だから、自分の名は木や石ではなくこの土地につけよう」と告げて自ら御魂を鎮め置いた霊蹟とされ、須佐の地名の由来になったと伝えられる。古くから朝廷や武将の崇敬を集め、中世から近世にかけては「須佐大宮」「出雲大宮」「十三所大明神」などと称えられ、松江藩松平家の時代には「国主守護之社」として祀られた。明治5年(1872)に郷社、翌明治6年(1873)に県社へ昇格し、明治32年(1899)には国幣小社に位置づけられ、戦後は別表神社となって現在に至る。本殿は島根県指定文化財。宮司家は代々須佐国造家が継承しており、境内には七不思議と呼ばれる伝承や、大杉と親しまれる御神木が伝わる。
- 所在地
- 島根県出雲市佐田町須佐730
- 御祭神
- 須佐之男命
- 系統
- 出雲
糸碕神社
広島県三原市糸崎に鎮座し、通称「はちまんさん」と親しまれる。公式の由緒によれば、神功皇后が西征のみぎりに当地へ舟を寄せた際、出迎えた村長・木梨真人が水を献じたという故事にちなみ、天平元年(729年)に豊前国の宇佐神宮(宇佐八幡宮)から御分霊を迎えて創建された。そのときの水を「長井の水」、当地を「長井浦」と称し、長井の浦は風待ちの港として『万葉集』にも詠まれている。長井の浦は井戸崎ともいい、これが現在の地名「糸崎」の起こりとも伝わる。御祭神は帯中津日子命(仲哀天皇)・品陀和気命(応神天皇)・息長帯日売命(神功皇后)の三柱。境内には神功皇后が水を求めたという御調の井戸、広島県最大とされる御神木の大楠(三原市天然記念物)、三原市重要文化財の神門などがある。
- 所在地
- 広島県三原市糸崎8-10-1
- 御祭神
- 帯中津日子命、品陀和気命
- 系統
- 八幡
住吉神社
長門国一宮で、大阪の住吉大社、博多の住吉神社と並ぶ「日本三大住吉」の一社。社伝では、神功皇后が三韓出兵の折に住吉大神から「吾が荒魂を穴門の山田村に祀れ」という神誨を受けて創祀したと伝え、住吉三神の荒魂を祀るのが大きな特色である。相殿に応神天皇・武内宿禰命・神功皇后・建御名方命を祀る。『延喜式』神名帳には名神大社として載る。本殿は応安3年(1370年)に大内弘世が造進したもので、五つの社殿を檜皮葺の屋根で連ねた九間社流造という全国的にも特異な形式をもち、室町初期の社寺建築として昭和28年に国宝に指定された。拝殿は天文8年(1539年)に毛利元就が寄進したもので、室町末期の手法をよく伝え昭和29年に国の重要文化財に指定されている。歴代の領主から手厚い保護を受けてきた古社である。
- 所在地
- 山口県下関市一の宮住吉一丁目11-1
- 御祭神
- 住吉三神、応神天皇
- 系統
- 八幡
熊野神社
岡山県倉敷市林、児島半島の郷内地区に鎮座し、「日本第一熊野十二社権現宮」と称する。伊邪那美神・伊邪奈岐神・家都御子神・速玉之男神を祀る。社伝によれば、修験道の祖・役小角が文武天皇3年(699年)に朝廷から訴追されて伊豆大島へ配流された際、義学・義玄・義真・寿玄・芳玄の5人の弟子が熊野本宮大社の御神体を奉じて各地を巡り、役小角が赦免された大宝元年(701年)3月に神託を得て、紀州熊野本宮をこの地へ遷したと伝える。天平12年(740年)には聖武天皇が児島一円を社領として寄進した。応仁の乱で社堂を焼失したが、別当大願寺の天誉によって明応元年(1492年)に再建され、江戸時代には備前岡山藩主池田光政の厚い保護を受けた。南面して一列に並ぶ6棟の本殿のうち第二殿は国の重要文化財、残る第一殿と第三〜第六殿の5棟は岡山県の重要文化財に指定されている。
- 所在地
- 岡山県倉敷市林684
- 御祭神
- 伊邪那美神、伊邪奈岐神
- 系統
- 熊野
草津八幡神社
推古天皇の御代(593〜628年)、宮島の厳島神社とほぼ同じ頃に、入江の奥へ多紀理姫命を海路の守護神として祀ったのが創祀と伝わる。鎌倉時代以前に武蔵国渋谷郷から移り住んだ社家の祖が宇佐八幡宮より八幡神を勧請し、古くから当地に祀られていた「多紀理の宮」と合祀して八幡宮を創建、のちに力箭八幡宮と呼ばれた。神功皇后がこの地で軍船を揃え弓矢(箭)の訓練をしたという伝承から「力箭山」の名が残り、草津の旧名を軍津浦と伝える。大永4年(1524年)に修造。明治25年に厳島神社から市寸島姫命・湍津姫命を勧請し、明治末期の神社統廃合で素盞嗚神・倉稲魂神・金刀比羅神を合祀した。社殿はもと海浜近くにあり再建のたびに高所へ移され、現在は力箭山(行者山)中腹に鎮座する。現社殿は昭和6年に近郷六箇村の氏子により再建されたもので、広島市西区一帯の総氏神として崇敬される。
- 所在地
- 広島県広島市西区田方1丁目11-18
- 御祭神
- 品陀和気命、帯中津日子命
- 系統
- 八幡
安仁神社
岡山市東区西大寺一宮の宮城山(別名・鶴山)に鎮座する古社で、旧備前国の一宮とされる。創立年月は不詳だが、『続日本後紀』承和8年(841)2月8日の条に「安仁神、名神に預る」とあるのが初見で、『延喜式神名帳』には備前国の名神大社として載る。古くは「兄神社」または「久方宮」とも称したと伝えられ、社名の「安仁」は初代神武天皇の「兄」を仮名書きしたことに由来するという。御祭神は神武天皇の兄にあたる五瀬命・稲氷命・御毛沼命。元宮は標高80mほどの山頂にあり、その後、備前藩主池田家の祈願所として現在地に鎮座した。明治4年に国幣中社に列せられ勅使の参向を受けている。かつては鶴山の麓まで海が入り込む良港で、後方の山には磐座や列石が残り、神武東征の船の艫綱を掛けたと伝える綱掛石神社もある。
- 所在地
- 岡山県岡山市東区西大寺一宮895
- 御祭神
- 五瀬命
八重山神社
雲南市南部、八重滝にほど近い山中の岩壁のくぼみに社殿を構える神社です。社伝では、須佐之男命が斐伊川で八岐大蛇を退けたのち、八重山の岩窟にひそんで人々を苦しめていた魔神を退治し、二度と魔物が住みつかないよう母神の伊邪那美命と姉神の天照大神を岩窟に祀ったのが祭祀の始まりと伝えられます。江戸時代には松江藩主松平直政が社殿の修復に力を注いだと伝わり、以後「一社一例国主守護之社」として松江藩・広瀬藩の祈願所とされました。一方で氏子を持たない社であったため財政に苦しみ、天保2年(1831)に牛馬市の興行を願い出たことをきっかけに、牛馬の守護神として広く信仰されるようになります。現在の社殿は享保19年(1734)の再建と伝えられ、随身門の随神像と狛犬は正徳3年(1713)の坪内平七郎利忠の作です。
- 所在地
- 島根県雲南市掛合町入間57
- 御祭神
- 伊邪那美命、天照大神
名和神社
建武中興に功のあった武将・名和長年と、その一族郎党42柱を祀る。長年は元弘3年(1333)、隠岐を脱出した後醍醐天皇を船上山に迎え、鎌倉幕府軍を破った伯耆国の豪族である。社伝によれば承応から明暦の頃(1652〜57)、長年の遺徳を慕う地元の人々が名和氏の屋敷跡に小祠を建てたことに始まり、延宝5年(1677)に社地を移して氏殿権現と称された。明治11年(1878)に社号を名和神社と改め、別格官幣社に列せられている。昭和7年から10年(1932〜35)にかけて大規模な社殿が造営された。建武中興十五社の一社に数えられる。
- 所在地
- 鳥取県西伯郡大山町名和556
- 御祭神
- 名和長年、名和一族戦没将士四十二柱
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