由緒
愛媛県宇和島市和霊町に鎮座し、宇和島藩祖・伊達秀宗の家老を務めた山家清兵衛公頼命を主祭神とし、その子の治郎・丹治・美濃、家従の塩谷内匠とその子の帯刀・勘太郎を配祀する。清兵衛公は、宇和島十万石を賜った若い秀宗を案じた伊達政宗が、自らの信頼する家臣として家老に抜擢し随伴させた人物である。相次ぐ戦乱と領主の悪政で疲弊していた宇和島において、藩費の節約、租税の軽減、産業の奨励、武備の充実などを逐次進め、民生を安定させて藩政を大きく刷新した。その徳望が生き神のごとく仰がれた一方で一部の藩士の反感を買い、元和6年(1620年)6月29日夜に凶刃に倒れる。のち藩主・藩士から領民に至るまでその御霊を慰めようと小祠を建て、承応2年(1653年)6月23・24日に朝廷の承認を経て山頼和霊神社として正式に祀られた。昭和20年7月28日の宇和島空襲で社殿を焼失したが、昭和26年に本殿が再建され、日本各地の和霊信仰の総本社として崇敬を集めている。