Shrine

和霊神社われいじんじゃ

開運のご利益で知られます。

由緒

愛媛県宇和島市和霊町に鎮座し、宇和島藩祖・伊達秀宗の家老を務めた山家清兵衛公頼命を主祭神とし、その子の治郎・丹治・美濃、家従の塩谷内匠とその子の帯刀・勘太郎を配祀する。清兵衛公は、宇和島十万石を賜った若い秀宗を案じた伊達政宗が、自らの信頼する家臣として家老に抜擢し随伴させた人物である。相次ぐ戦乱と領主の悪政で疲弊していた宇和島において、藩費の節約、租税の軽減、産業の奨励、武備の充実などを逐次進め、民生を安定させて藩政を大きく刷新した。その徳望が生き神のごとく仰がれた一方で一部の藩士の反感を買い、元和6年(1620年)6月29日夜に凶刃に倒れる。のち藩主・藩士から領民に至るまでその御霊を慰めようと小祠を建て、承応2年(1653年)6月23・24日に朝廷の承認を経て山頼和霊神社として正式に祀られた。昭和20年7月28日の宇和島空襲で社殿を焼失したが、昭和26年に本殿が再建され、日本各地の和霊信仰の総本社として崇敬を集めている。

基本情報

この神社について

ご利益
開運

公式情報・問い合わせ

公式サイト
wareijinja.fc2.net
電話番号
0895-22-0197

例大祭

7月23日・24日の和霊大祭(例祭)が当社最大の祭事。23日は午前10時に例祭、午後7時に宵宮祭を斎行し、24日は午後1時の子供行列に始まり、午後5時半の神輿出御、午後7時の御旅所祭、午後8時の海上渡御、午後9時の走り込みと特殊神事が続く。

年間行事

1月1日の歳旦祭(午前0時の神楽舞初めののち歳旦祭・新年祈願祭)、1月10日の古札焼上の儀、2月17日の祈年祭、4月24日の春季大祭・崇敬講社祭、6月30日と12月31日の大祓、7月12日の夏越祭(末社三島神社の祭事で茅の輪くぐりを行う)、10月23日の三島神社祭、11月初卯の日の竃神社祭、11月22日の山本神社祭、11月23日の新嘗祭、12月下旬の大絵馬奉納奉告祭が行われる。毎月23日には月次祭を斎行。

よくある質問

和霊神社の参拝前に確認したい情報をまとめます。

和霊神社の例大祭はいつですか?

7月23日・24日の和霊大祭(例祭)が当社最大の祭事。23日は午前10時に例祭、午後7時に宵宮祭を斎行し、24日は午後1時の子供行列に始まり、午後5時半の神輿出御、午後7時の御旅所祭、午後8時の海上渡御、午後9時の走り込みと特殊神事が続く。

和霊神社にはどのような年間行事がありますか?

1月1日の歳旦祭(午前0時の神楽舞初めののち歳旦祭・新年祈願祭)、1月10日の古札焼上の儀、2月17日の祈年祭、4月24日の春季大祭・崇敬講社祭、6月30日と12月31日の大祓、7月12日の夏越祭(末社三島神社の祭事で茅の輪くぐりを行う)、10月23日の三島神社祭、11月初卯の日の竃神社祭、11月22日の山本神社祭、11月23日の新嘗祭、12月下旬の大絵馬奉納奉告祭が行われる。毎月23日には月次祭を斎行。

和霊神社の公式情報はどこで確認できますか?

和霊神社の公式情報は公式サイトで確認できます。参拝前に最新の受付時間や祭事情報を確認してください。

和霊神社に関連する目的別ページ

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近隣神社

同じ地域や分類に近い神社を合わせて見られます。

北海道縁結び開運

旭川神社

あさひかわ じんじゃ

旭川市東旭川に鎮座し、明治26年(1893)に旭川屯田兵が村の神社として創建した。伊勢神宮から御分霊を受けた天照大御神を主祭神とし、木花咲耶姫命を相殿に祀る。

所在地
北海道旭川市東旭川南1条6丁目8-14
御祭神
天照大御神、木花開耶姫命
系統
出雲
三重県開運

伊賀留我神社

いかるがじんじゃ

創建年代は不詳。『延喜式神名帳』にみえる伊勢国朝明郡の伊賀留我神社とされる式内社で、旧社格は郷社。古くは「斎宮大明神」とも呼ばれ、伊勢神宮との関わりが深い『神鳳鈔』の「鵤御厨」の地に鎮座する。社蔵の古祭文には貞観3年(861年)に六人部津根呂が旧殿を新修したと伝わる。鵤(いかるが)村は江戸時代の寛永年間に南北二村に分かれ、北は桑名藩の茂福村、南は忍藩飛地の羽津村に属したため、伊賀留我神社も両村に並

所在地
三重県四日市市茂福483
御祭神
大日孁貴命
愛媛県開運家内安全

伊曽乃神社

いそのじんじゃ

伊曽乃神社は、天照大神の荒魂と武國凝別命を祀る愛媛県西条市の古社。伊予国第一の大社として皇室の崇敬を受けたと伝わり、西条祭りでも知られる。

所在地
愛媛県西条市中野甲1649
御祭神
天照大神荒魂、武国凝別命
系統
伊勢・神明
千葉県開運家内安全

意富比神社

おおひじんじゃ

社伝では、景行天皇40年に日本武尊が東国平定の途中この地で天照皇大御神を祀り、平定の成就と日照りに苦しむ住民の救済を祈ったことを始まりとする。文献上の初見は『日本三代実録』貞観5年(863)の「下総国意富比神」で、『延喜式』神名帳にも下総国の式内社として載る。社名の「意富比」を「大日」、すなわち偉大な太陽神と解する説があり、中世以降は伊勢信仰と結びついて「船橋神明」「船橋大神宮」と呼ばれた。平安後

所在地
千葉県船橋市宮本5丁目2-1
御祭神
天照皇大御神
系統
伊勢・神明