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開運の神社

開運のご利益で探せる神社を821件掲載。代表的な神社は屋島神社です。

開運で知られる御祭神

開運で有名な神社

開運の神社一覧

821件中1-20件を表示しています。

香川県開運

屋島神社

やしまじんじゃ

屋島の山麓に鎮座する東照宮で、讃岐東照宮とも呼ばれる。慶安4年(1651年)、高松藩初代藩主の松平頼重が香川郡宮脇村の本門寿院境内に東照大神(徳川家康)の神廟を建てて崇敬したことに始まる。その後、文化元年(1804年)に8代藩主の松平頼儀が現在地での社殿造営に着手し、左甚五郎の系譜を引く五代目・左利平忠能を棟梁として文化12年(1815年)に完成させた。明治7年(1874年)に社名を屋島神社と改めている。昭和48年(1973年)2月には不慮の火災で本殿・拝殿などを焼失したが、翌年に社殿が再建された。主祭神は徳川家康で、藩祖にあたる松平頼重を合祀する。全国東照宮連合会に加盟する神社の一つで、香川県神社庁の神社コードは1004。

所在地
香川県高松市屋島中町140
御祭神
徳川家康、松平頼重
長野県開運

弥栄神社

やさかじんじゃ

善光寺門前の上西之門町に鎮座する、善光寺七社の一社。社伝では建久7年(1196年)、信濃を訪れた源頼朝が疫病除けのため京都の八坂神社を勧請して創建したと伝えられる。安永3年(1774年)には善光寺大勧進の住職から社地の寄進を受けている。祭神は須佐之男命で、悪疫除け・災厄除け・健康長寿の神として信仰を集めてきた。当社の御祭礼は「ながの祇園祭」と呼ばれ、かつては京都・広島と並ぶ日本三大祇園祭に数えられたとも伝えられる。昭和40年(1965年)から42年にかけては松代群発地震の影響で屋台巡行が自粛され、その後長く途絶えていたが、平成24年(2012年)に「ながの祇園祭 御祭礼屋台巡行」として復活し、以後は毎年行われている。

所在地
長野県長野市上西之門町612-イ
御祭神
須佐之男命
山梨県開運

山神社

やまのかみしゃ

甲府盆地の南、中央市の南方にそびえる前山の山頂に鎮座し、地元では「お山の神さん」の通称で親しまれている。石祠の本殿には正徳5年(1715年)の銘が刻まれており、江戸時代中期にはすでに祀られていたと考えられている。古くから農耕守護と商売繁昌に霊験があるとされ、甲府盆地一円はもとより遠く京浜方面からも参詣者を集め、春の大祭には麓から山頂まで参拝の列が続いたと伝えられる。近代以降に広く知られるようになって参拝者が増え、平成6年(1994年)に石祠の本殿や拝殿・玉垣が、翌平成7年には社務所などが整備された。境内地は約4900坪、氏子は330戸ほどを数える。山頂へ続く参道沿いの桜並木は「山の神千本桜」と呼ばれ、山梨県の名花百選に選ばれている。

所在地
山梨県中央市大鳥居5786
御祭神
大山祇命
富山県開運

八心大市比古神社

やごころおおいちひこじんじゃ

延喜式神名帳に越中国新川郡の小社として載る式内社で、旧社格は県社。創建については、孝謙天皇の御代に桜井庄三日市へ勧請されたとする説のほか、東方の嘉例沢の山頂から御幣が飛来し、現れた三体の神像を「三島大明神」として祀ったのが始まりという伝承も伝わる。天正8年(1580年)に、それまで鎮座していた北方約500メートルの萱堂の地から現在地へ遷ったとされる。明治に入るまでは三島大明神と称し、社名が八心大市比古神社に改められた後も、地元では今なお「三島神社」の通称で親しまれている。主祭神は大山祇神・少彦名神・軻遇突智神の三柱で、天照皇大神を合祀する。古くから氏子は鶏を神の使いとして大切にしたと伝えられ、社宝として鶏之図絵馬が伝わる。2月の折年祭、5月の春祭、10月の秋祭、11月の新嘗祭のほか、6月には茅輪神事が営まれる。

所在地
富山県黒部市三日市3185
御祭神
大山祇神、少彦名神
大阪府開運

弥栄神社

やえいじんじゃ

岸和田市北部の春木地区に鎮座する神社。社地は洪積台地の先端部を覆う砂丘の上にあり、古くから八幡山と呼ばれてきた。創建の年代や由緒は明らかでないが、室町時代後期の天文年間(1532〜1555年)にはすでに神社としての形を整えていたと伝えられる。主祭神は素盞嗚尊。現在は春木地区の氏神として崇敬を集めており、毎年9月に行われる岸和田のだんじり祭では、春木地区のだんじりが当社へ宮入りする。祭礼の日は境内が一年で最もにぎわう。南海本線春木駅から西へ徒歩15分ほど、住宅と商店が並ぶ市街地のなかに社叢を残して鎮座している。

所在地
大阪府岸和田市八幡町13-25
御祭神
素盞嗚尊
三重県開運

陽夫多神社

やぶたじんじゃ

伊賀市東部、旧阿拝郡の谷あいに鎮座する延喜式内社で、伊賀河合郷の総社とされる。社伝では宣化天皇3年(538年)の創建と伝わり、国造の多賀連が祭祀にあたったという。もとは現在地より東の藤山に鎮座していたとされ、藪田神社、高松祇園社、河合天王などとも呼ばれた。主祭神は健速須佐之男命で、五男三女神を配祀するほか、明治期の神社合祀により多くの神々が合わせ祀られている。7月31日から8月1日の祇園祭では三重県指定無形民俗文化財の「願之山行事」が奉納され、2月18日の夜には伊賀市で唯一の裸祭り「裸々押し」が行われるなど、古い祭礼が今も受け継がれている。本殿裏手の宮山には古墳群と中世・戦国期の城跡があり、「やぶた古墳の杜」として散策道が整備されている。

所在地
三重県伊賀市馬場951
御祭神
健速須佐之男命、五男三女神
長崎県開運

海神神社

わたつみじんじゃ

対馬島の西岸、峰町木坂の山中に鎮座する対馬国一宮で、旧国幣中社。社伝では神功皇后が三韓征伐からの帰途に旗八流を納めた地と伝え、古くは木坂八幡宮、八幡本宮、上津八幡宮などと称された。明治3年(1870年)に『延喜式神名帳』に見える和多都美神社の名へ改称し、明治4年に国幣中社へ列格する際、祭神を八幡神から豊玉姫命に改めるとともに社名を海神神社と改めた。主祭神の豊玉姫命は海を司る神の娘とされ、彦火火出見命や宗像神などを配祀する。社殿へは長く急な石段の参道が続き、社宝の銅造如来立像は統一新羅時代の作で国の重要文化財に指定されている。

所在地
長崎県対馬市峰町木坂247
御祭神
豊玉姫命、彦火火出見命
福岡県開運

味水御井神社

うましみずみいじんじゃ

久留米市の東、高良山の西麓に鎮座する筑後国の総社で、高良大社の境外末社にあたる。社名の「うましみず」が示すとおり境内には今も清らかな水が湧き、古くから「朝妻の清水」と呼ばれて信仰を集めてきた。天慶7年(944年)の筑後国神名帳に社名が見えることから、遅くとも平安時代中期には成立していたと考えられ、かつては朝妻社とも称された。祀られるのは水を司る水波能売命である。社の周辺には7世紀後半から12世紀後半にかけて営まれた筑後国府跡が広がり、発掘調査では国府から当社へ向かう道路の跡や、湧水を用いた曲水の宴の痕跡が確認されている。国庁の政治と祭祀に深く結びついた場であったことを物語る古社である。

所在地
福岡県久留米市御井朝妻1丁目5-1
御祭神
水波能売命
山口県開運

豊榮神社・野田神社

とよさかじんじゃ のだじんじゃ

山口市街の北、天花に並んで鎮座する二社。豊榮神社は毛利元就を祀り、宝暦12年(1762年)に萩藩主毛利重就が萩城二の丸の土地神社を改めて元就の霊を遷し、毛利家の祖神である天穂日命と合祀して神性霊社と号したことに始まる。明和7年(1770年)に仰徳社と改称し、明治2年(1869年)には明治天皇から「豊栄」の神号を受けて豊榮神社と改称、山口の多賀神社境内に仮殿を構えて遷った。明治4年に現在地へ社殿が造営されて遷座し、明治15年には別格官幣社に列している。隣接する野田神社は、幕末の藩主毛利敬親を祀るため明治6年(1873年)に創建された忠正神社が前身で、翌年に野田神社と改称、明治19年に現在地へ遷った。養嗣子の元徳は明治31年に摂社芳宜園神社に祀られ、昭和11年に本殿へ合祀されている。境内の能楽堂は昭和11年に元徳の長男・毛利元昭が寄進したもので、平成3年に移築され、同年に山口市指定有形文化財に指定された。

所在地
山口県山口市天花1丁目1-1(豊榮神社)/山口県山口市天花1丁目1-2(野田神社)
御祭神
毛利元就公、毛利敬親公
島根県開運

高津柿本神社

たかつかきのもとじんじゃ

『万葉集』を代表する歌人・柿本人麿を祀る。人麿の終焉の地と伝わる高津沖の鴨島に、没後まもない神亀年間(724〜729年)、聖武天皇の勅命によって小社が建てられたのが起こりと伝えられる。万寿3年(1026年)の大地震で鴨島が海中に没した際、御神像が高津の松崎に漂着したとされ、その地に社殿が営まれた。江戸時代の天和元年(1681年)、津和野藩主亀井茲親によって現在地の高角山へ移され、社殿が整えられた。歌聖を祀ることから学問・和歌の神として信仰されるほか、疫病除け、開運、農業、安産、火防などの信仰を集める。

所在地
島根県益田市高津町上市イ2612-1
御祭神
柿本人麿命
愛媛県開運

高忍日賣神社

たかおしひめじんじゃ

創建年代は不詳だが、往古より皇室の崇敬が篤く、景行天皇や仲哀天皇の親拝が伝えられる古社である。平安時代の延長5年(927年)に成立した『延喜式』神名帳に名を載せる式内社で、伊予国伊予郡の古社に数えられる。主祭神の高忍日賣大神は、産婆(助産師)と乳母の祖神として全国で唯一祀られる神とされ、難産に際して助産にあたったという独自の伝承が残る。江戸時代には松山藩の祈祷所とされ、藩主の信仰を集めた。現在も安産・子授けの信仰を集め、3月8日の安産福運大祭では助産師の特別祈願が行われるなど、地域の産育信仰の中心であり続けている。

所在地
愛媛県伊予郡松前町徳丸387
御祭神
高忍日賣大神、天忍男命
神奈川県開運

素鵞神社

すがじんじゃ

湯河原町の東部、吉浜海岸を望む吉浜地区の鎮守として祀られてきた神社です。社伝では元和6年(1620年)12月11日の創立と伝えられ、須佐之男神に伊弉諾神・伊弉冊神を合わせ祀ります。明治6年に村社に列せられ、その後は地区内の稲荷神社や熊野神社を合併しましたが、これらは戦後に分離されました。大正12年(1923年)の関東大震災で社殿が被害を受けたため、昭和15年(1940年)に現在地へ移転し境内を拡張しています。8月1日の例祭に奉納される「吉浜の鹿島踊り」は神奈川県指定の無形民俗文化財で、国の選択無形民俗文化財にもなっています。祭礼に用いられる飾り屋台は町指定有形民俗文化財に指定されており、境内には道祖神も伝わります。

所在地
神奈川県足柄下郡湯河原町吉浜1047
御祭神
須佐之男神、伊弉諾神
静岡県開運

須倍神社

すべじんじゃ

浜松市北部の都田に鎮座し、内宮と外宮の二棟の本殿を並べて祀る神明社です。延喜式神名帳の遠江国引佐郡にみえる「須倍神社」に比定される式内社で、一帯は伊勢神宮の御厨として開けた土地でした。祭神は内宮に天照皇大神、外宮に豊受姫大神を祀り、伊勢の神宮を勧請したものと考えられています。創建については仁和3年(887年)の建宮と伝え、延喜2年(902年)に上社・下社の両社を現在地へ遷して神明宮あるいは須倍神社と称するようになったとされます。一方で天応元年(781年)の創建とする所伝もあります。秋の例大祭では周辺9地区から御殿屋台(山車)が集まって曳き回され、祈年祭と新嘗祭では氏子の子どもたちが浦安の舞を奉納するなど、地域と結びついた祭祀が今も続けられています。

所在地
静岡県浜松市浜名区都田町6284
御祭神
天照皇大神、豊受姫大神
香川県開運

総社神社

そうじゃじんじゃ

讃岐国の総社として坂出市林田町に鎮座します。古代の国司は着任すると国内の神社を順に巡拝する定めでしたが、その負担を軽くするため国府の近くに国内の神々をまとめて祀る総社が置かれるようになり、当社もその一つです。社伝では延長4年(926年)の創建と伝えられ、伊弉諾尊・伊弉冊尊のほか讃岐国中の大小の神々を合わせ祀ります。中世以降は兵火にたびたび見舞われ、嘉慶年間(1387〜1389年)に社殿を失った後、明徳元年(1390年)に讃岐守護の細川頼之が再建しました。天文20年(1551年)には三好氏の一族によって再興されましたが、天正年間(1573〜1592年)に再び焼失し、慶長2年(1597年)に社殿が建て直されています。近代の社格は郷社でした。

所在地
香川県坂出市林田町3001
御祭神
伊弉諾尊、伊弉冊尊
長崎県開運

聖母宮

しょうもぐう

壱岐島北端の勝本浦に鎮座し、壱岐国二宮として崇敬されてきた古社です。社伝では仲哀天皇9年(西暦200年ごろ)、神功皇后が海を渡る際に壱岐で風待ちをし、この地に行宮を営んだことを起源とすると伝えます。凱旋の折に「風本」と呼ばれていた地名を「勝本」に改めたとされ、社名も神功皇后(聖母)に由来します。社殿が正式に建てられたのは養老元年(717年)と伝えられ、延喜式神名帳にみえる壱岐郡の名神大社「中津神社」の有力な論社の一つに数えられます。文禄・慶長の役では大陸への出兵路にあたり、加藤清正や鍋島直茂ら諸将が門などを寄進したと伝わります。本殿と西門・南門は長崎県指定有形文化財で、唐津焼で最古の在銘資料とされる天正20年(1592年)銘の黒釉四耳壺も社宝として伝えられています。

所在地
長崎県壱岐市勝本町勝本浦554-2
御祭神
息長足姫尊、足仲彦尊
熊本県開運

新開大神宮

しんかいだいじんぐう

文安元年(1444年)、伊勢神宮を篤く信仰していた太田黒孫七郎が天照大神の託宣を受け、翌文安2年(1445年)に伊勢の神を当地へ勧請して創建したと伝わる。孫七郎は菊池氏六代隆直の末裔とされ、伊勢へ足しげく参宮したことから「飛行孫七郎」と呼ばれた逸話が残る。天正年間(1573〜1592年)に佐々成政によって社殿が焼かれたが、のちに加藤清正が再興して崇敬を寄せ、細川家の代になると手厚い保護を受けた。幕末には思想家の林桜園がこの宮を深く崇敬し、宮部鼎蔵ら門下生も信仰を注いだ。敬神党(神風連)の首領・太田黒伴雄が祠官太田黒伊勢守に入婿して神主を務め、神風連の変の挙兵にあたって神意を問う宇気比が行われた社でもある。境内には伴雄が身を清めたと伝わる「みそぎの井戸」が残る。旧社格は郷社で、地元では「伊勢宮さん」と親しまれている。

所在地
熊本県熊本市南区内田町1266
御祭神
天照大神、豊受大神
静岡県開運

社宮神社

しゃぐうじんじゃ

本殿には道祖神として知られる岐神(ふなとのかみ、船戸神)を祀る。ただしこれは明治維新後の国家神道政策のもとで定められたもので、本来の信仰の核は「ミシャグジ(御社宮司)」であったと伝えられる。境内社には牛頭天王(須佐之男命)とともに阿弥陀如来も祀られており、神仏習合の形が今も残る。社名は「社宮司」「産宮神」など複数の呼び方をされてきた。鎮守の杜に囲まれた境内には樹齢約400年とされる鹿子木(カゴノキ)の巨木があり、幹に開いた穴が女性の象徴になぞらえられて、子授け・夫婦和合から子宝・安産に霊験があるとして信仰を集めるようになった。杓子で願いをすくい上げるという語呂にちなんで神前へ杓子を供える習わしが盛んになり、子宝をすくい上げる意に通じるとして子授け・安産育児の守りとされている。

所在地
静岡県浜松市浜名区都田町7029
御祭神
岐神
三重県開運

仙宮神社

せんぐうじんじゃ

創建年代は不詳。『天照皇大神御天降記』に記される志摩国の元伊勢伝承地・多古志宮の旧跡地とされ、伊勢神宮外宮の流れを汲む度会神道と関わりが深い。奈津の山中に祀られていた三狐神社(現在は神前神社に合祀)を「下の宮」と呼ぶのに対し、当社は「上の宮」と称される。社伝によれば仁治年間(1240年頃)に官符を賜り、興国・慶長・元和の各年間に諸方から寄進があったが、その記録は安政年間の高津波で流失したという。元和5年(1619年)に紀州徳川頼宣が入国した際には神領三石が下され、享保9年(1724年)には参道入口に「禁殺生」の石碑が寄進された。明治8年12月に郷社に列せられ、明治39年には神饌幣帛料供進社に指定された。神職は創始以来、加藤家が世襲している。境内には天竺僧佛哲和尚が植えたと伝わる多羅樹があり、本殿後方には巨大な磐座が残る。

所在地
三重県度会郡南伊勢町河内甲宮山77
御祭神
猿田彦命、大宮比賣命
福岡県開運

細石神社

さざれいしじんじゃ

創建年代は不詳で、古くは「佐々禮石神社」と表記された旧村社。鎮座する三雲の地は魏志倭人伝にみえる伊都国の中心部と推定されており、神社の西側には伊都国の王と后の墓とみられる国史跡・三雲南小路遺跡がある。元禄8年(1695年)の「細石神社御縁起」によれば、かつては神田も多い大社であったが、たびたびの兵乱で社殿を焼失し、さらに天正15年(1587年)の豊臣秀吉による太閤検地で神田を没収されて衰退したという。祭神は姉妹神とされる磐長姫命と木之花開耶姫命の二柱で、磐長姫命は妹とともに瓊瓊杵尊に嫁いだものの退けられたと記紀に語られる神である。鳥居の脇には「村社 細石神社」の石柱が立つ。

所在地
福岡県糸島市三雲432
御祭神
磐長姫命、木之花開耶姫命
長野県開運

眞田神社

さなだじんじゃ

上田城本丸跡に鎮座し、真田氏・仙石氏・松平氏という歴代の上田城主を御祭神とする。もとは藤井松平氏の先祖を祀る松平(しょうへい)神社で、上田城主となった系統の藤井松平氏の初代・松平忠晴(忠山)の霊を京都に祀った忠山社が起源とされる。明治維新後、廃藩置県で上田城が民間へ払い下げられ、城跡が桑園や麦畑へ姿を変えていくなか、旧上田藩士や旧領内の有志が旧藩主への報恩と城跡保存を願って神社創建を発起した。本丸跡の所有者だった丸山平八郎の寄附により境内地が整い、明治12年(1879年)に長野県から創立が許可された。戦後になって真田氏と仙石氏も合祀し、昭和28年(1953年)に上田神社と改称したが、市内の同名社と紛らわしいため、昭和38年に初代城主の名を冠した眞田神社へ改称して現在に至る。境内には城内唯一の大井戸と伝わる眞田井戸が残る。

所在地
長野県上田市二の丸1-12
御祭神
真田氏、仙石氏

開運神社を都道府県から探す

47都道府県から、開運に関連する神社を地域別に探せます。

開運とは

開運は、運気の上昇・人生の転機の後押し・全体的な流れの好転を願う総合的なご利益。特定の悩みというより「人生の流れを良い方向に変えたい」「新しい扉を開きたい」という時に祈ります。年初の初詣で多くの人が「今年も良い年になりますように」と祈るのも、広い意味での開運祈願です。

開運信仰の本質——「運を開く」とは

神道では「運(うん)」は天が定め、人が誠実に行動することで活かされるものとされます。「開運」とは棚から牡丹餅のように幸運が降ってくることではなく、「自分の行動と祈りの一致によって、定められた良い運を引き出す」ことを意味します。七福神信仰・初詣・方位学など、開運に関わる日本文化はこの考え方を基盤にしています。

開運祈願の代表的な神社

全国格式最高位: 伊勢神宮(皇大神宮・天照大御神)、出雲大社(大国主命) 東日本: 明治神宮(東京)、三峯神社(埼玉)、鶴岡八幡宮(鎌倉) 西日本: 住吉大社(大阪)、春日大社(奈良)、太宰府天満宮(福岡)

開運グッズの意味と種類

熊手(商売繁盛・開運): 福をかき込む道具として西日本中心に広まる 破魔矢(厄除け・開運): 年末年始に授与される魔除けの矢 絵馬: 祈りを書いて奉納する馬の形の板。全国で最もポピュラーな祈願ツール 七福神巡り: 正月に7社を巡り7神のご利益を集める開運の巡礼

参拝のポイント

年初の初詣(1月1〜3日)が最も活発ですが、誕生日・厄年明け・人生の転機(転職・結婚・新居)でも開運祈願は一般的です。初穂料は5,000〜10,000円。 七福神巡りは正月三が日〜1月15日の間に行うのが伝統。熊手は毎年大きくするのが縁起が良いとされます。開運守・破魔矢は年末年始に新調し、古いものはお焚き上げへ。お守りや開運グッズは「感謝して大切に扱うこと」が最大の作法です。

よくある質問

開運と他のご利益(縁結び・金運)は何が違いますか?

開運は「人生全体の運気の底上げ・方向転換」という包括的なご利益。縁結び・金運は開運の中の特定分野です。「まず何を祈るかわからない」「漠然と人生を好転させたい」という場合に開運が向いています。

開運祈願はどのくらいの頻度で行うべきですか?

年1回(初詣)が基本。誕生日・厄年・節目の時に追加で祈る人もいます。「何度も催促する」より「感謝・報告・新しい祈り」のサイクルが神道の基本作法です。

七福神巡りは1日で全部回らないといけませんか?

1日で回る必要はありません。正月三が日〜松の内(1月15日)までに巡るのが伝統ですが、1ヶ所ずつ別の日に参拝する人も多くいます。焦らずゆっくり巡る方が各神社を丁寧に参拝できます。

開運グッズ(熊手・破魔矢)はどこに飾るのが良いですか?

熊手はお店・リビングの高い場所(南東向き・入口付近)に。破魔矢は神棚、またはリビングの高い位置に東・南向きに。お守りは財布・バッグなど常に携帯できる場所に。大切に扱い、定期的に埃を払うのが礼儀です。

悪いことが続いている時はどの神社に行けばいいですか?

地元の氏神様(一番身近な神社)への参拝が基本です。「最近悪いことが続いています、お守りください」という素直な報告と祈りが最初の一歩。気になるなら厄除け・方除けも合わせて祈るのが伝統的です。

大晦日と元旦どちらに参拝するのが開運に良いですか?

大晦日の深夜参拝(年越し参拝・除夜詣)は「古い年を感謝して送り、新しい年を迎える」意味があり、元旦の初詣は「新しい年の祈りを最初に捧げる」意味があります。どちらも正式な参拝で、どちらが「より開運」という優劣はありません。

引っ越し・転職などの転機に開運参拝は効果がありますか?

転機は「運を開くチャンス」と神道では考えます。引っ越し・転職・起業・結婚など新しいスタートの前に参拝し、「新しい道でのご加護を」と祈ることは、気持ちを整える意味でも開運の作法として有効です。