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山口県のスポーツ神社

山口県でスポーツのご利益を目的に参拝したい神社を一覧で紹介します。

山口県のスポーツ神社一覧

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山口県勝負運厄除け

鰐鳴八幡宮

わになきはちまんぐう

山口市上小鯖に鎮座する八幡宮で、小鯖八幡宮とも呼ばれます。社伝では平安時代中期の寛弘・長和の頃(1004年〜1016年)に豊前の宇佐八幡宮から神霊を勧請したと伝えられ、その帰路、山口湾から椹野川をさかのぼって鰐石に上陸した際、供をしてきた鰐が神との別れを惜しんで鳴いたという言い伝えが社名の由来とされています。主祭神は八幡大神・足仲彦神・神功皇后で、仁徳天皇や天御中主神、大歳神などを配祀します。中世以降は在地領主の崇敬を集め、文安5年(1448年)の大内教弘、永禄3年(1560年)の毛利隆元、永禄10年(1567年)の毛利輝元による社領安堵状が『防長風土注進案』に記録されており、明治維新まで社領の供給を受けていました。本殿は貞享3年(1686年)9月に改造され、拝殿は寛政3年(1791年)9月に建てられたもので、山口市の歴史文化資源として紹介されています。

所在地
山口県山口市上小鯖583
御祭神
八幡大神、足仲彦神
系統
八幡
山口県勝負運厄除け

住吉神社

すみよしじんじゃ

長門国一宮で、大阪の住吉大社、博多の住吉神社と並ぶ「日本三大住吉」の一社。社伝では、神功皇后が三韓出兵の折に住吉大神から「吾が荒魂を穴門の山田村に祀れ」という神誨を受けて創祀したと伝え、住吉三神の荒魂を祀るのが大きな特色である。相殿に応神天皇・武内宿禰命・神功皇后・建御名方命を祀る。『延喜式』神名帳には名神大社として載る。本殿は応安3年(1370年)に大内弘世が造進したもので、五つの社殿を檜皮葺の屋根で連ねた九間社流造という全国的にも特異な形式をもち、室町初期の社寺建築として昭和28年に国宝に指定された。拝殿は天文8年(1539年)に毛利元就が寄進したもので、室町末期の手法をよく伝え昭和29年に国の重要文化財に指定されている。歴代の領主から手厚い保護を受けてきた古社である。

所在地
山口県下関市一の宮住吉一丁目11-1
御祭神
住吉三神、応神天皇
系統
八幡
山口県勝負運厄除け

忌宮神社

いみのみやじんじゃ

第14代仲哀天皇が熊襲平定のため西下した際にこの地に豊浦宮を興し、7年間政務を執ったと伝わる。天皇崩御ののち、新羅征討から帰った神功皇后が天皇の神霊を豊浦宮の地に鎮祭したのが創祀とされる。社名の「忌」は「斎」と同義で、極めて神聖・清浄な宮を意味する。仲哀天皇・神功皇后・応神天皇を祀る延喜式内社で、古くから文武の神・安産の神として崇敬され、城下町長府の中心に鎮座する。

所在地
山口県下関市長府宮の内1-18
御祭神
仲哀天皇、神功皇后
系統
八幡
山口県勝負運厄除け

遠石八幡宮

といしはちまんぐう

推古天皇30年(622)、宇佐八幡大神の神霊が現れ「この地に跡を垂れ国民を守らん」と告げたという伝承を創祀とし、和銅元年(708)の社殿造営をもって創建とする古社。地名「遠石」もこの神託の故事に由来すると伝わる。平安時代には石清水八幡宮の別宮となり、のち毛利氏や歴代徳山藩主の崇敬を受けて発展した。祭神は応神天皇(品陀和気命)を主神に、神功皇后と宗像三女神を祀り、厄除開運・安産・交通安全などの神徳で知られる。

所在地
山口県周南市遠石2-3-1
御祭神
品陀和気命(応神天皇)
系統
八幡
山口県勝負運厄除け

亀山八幡宮(下関)

かめやまはちまんぐう

亀山八幡宮(下関)は、応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を祀る山口県下関市唐戸地区の八幡宮。勝負運・厄除けのご利益で知られ、関門海峡に近い下関の鎮守として親しまれています。

所在地
山口県下関市中之町1-1
御祭神
応神天皇、仲哀天皇
系統
八幡

山口県でスポーツの神社を選ぶポイント

スポーツの参拝先を選ぶときは、所在地だけでなく、御祭神・由緒・アクセスを合わせて確認すると巡りやすくなります。山口県内で複数の神社を比較し、旅程に合う場所から参拝先を絞り込んでください。

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