由緒
正和2年(1313)、花園天皇の御代に駿河国から御神体を勧請したのに始まり、貞和元年(1345)に現在の社地である寺元の山腹へ遷ったと伝わる。主祭神は鏡作りの神・石凝姥命で、天児屋根命・天玉祖命・天太玉命・天鈿女命とあわせて五柱を祀る。上熊谷一帯の氏神として「岩山さん」と呼ばれて親しまれ、下半身の病や怪我に霊験があるとされて遠方から参拝者が訪れたという。毎年11月3日の大祭では子供神輿と大人神輿が寺元・横畑・角内の各地区を練り歩く。新見市指定重要文化財の神額を蔵する。
岡山県に鎮座する神社です。御祭神は石凝姥命。開運のご利益で知られます。
正和2年(1313)、花園天皇の御代に駿河国から御神体を勧請したのに始まり、貞和元年(1345)に現在の社地である寺元の山腹へ遷ったと伝わる。主祭神は鏡作りの神・石凝姥命で、天児屋根命・天玉祖命・天太玉命・天鈿女命とあわせて五柱を祀る。上熊谷一帯の氏神として「岩山さん」と呼ばれて親しまれ、下半身の病や怪我に霊験があるとされて遠方から参拝者が訪れたという。毎年11月3日の大祭では子供神輿と大人神輿が寺元・横畑・角内の各地区を練り歩く。新見市指定重要文化財の神額を蔵する。
岩山神社の御祭神は石凝姥命です。
11月3日
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創建年代は不詳ですが、平安時代末期、備中国に赴任した国司が国内すべての神社を巡拝する手間を省くため、国府の近くに国内324社の神々を勧請して祀ったのが始まりと伝えられます。「総社」という地名もこれに由来します。室町時代には細川氏・毛利氏の崇敬を受け、戦火で社殿を焼失したのち正長2年(1429年)に再建。天正年間に再び焼失し、貞享4年(1687年)に再建されると彩色二十四孝の絵馬が奉納され、地元の豪
岡山県倉敷市林、児島半島の郷内地区に鎮座し、「日本第一熊野十二社権現宮」と称する。伊邪那美神・伊邪奈岐神・家都御子神・速玉之男神を祀る。社伝によれば、修験道の祖・役小角が文武天皇3年(699年)に朝廷から訴追されて伊豆大島へ配流された際、義学・義玄・義真・寿玄・芳玄の5人の弟子が熊野本宮大社の御神体を奉じて各地を巡り、役小角が赦免された大宝元年(701年)3月に神託を得て、紀州熊野本宮をこの地へ遷
岡山市東区西大寺一宮の宮城山(別名・鶴山)に鎮座する古社で、旧備前国の一宮とされる。創立年月は不詳だが、『続日本後紀』承和8年(841)2月8日の条に「安仁神、名神に預る」とあるのが初見で、『延喜式神名帳』には備前国の名神大社として載る。古くは「兄神社」または「久方宮」とも称したと伝えられ、社名の「安仁」は初代神武天皇の「兄」を仮名書きしたことに由来するという。御祭神は神武天皇の兄にあたる五瀬命・
美作国の総社にあたる神社で、国司が国内の神々をまとめて祀るために設けられた社に始まります。社伝では欽明天皇25年(564年)の創建と伝えますが、確実な文献に現れるのは戦国時代の永禄年間からです。美作国内の多数の神社を合わせ祀っており、中山神社・高野神社とともに美作三大社の一社に数えられてきました。現在の本殿は永禄5年(1562年)に毛利元就が再建したもので、明暦3年(1657年)に大規模な改修を受