Shrine

鹿島神宮かしま じんぐう

鹿島神宮は武甕槌大神を祀る神社。勝運・必勝祈願のご利益で知られ、紀元前660年(伝承)に創建された由緒ある神社です。

由緒

国譲り神話において、武甕槌大神は大国主神との交渉を成功させ、その後の天孫降臨の道を開いた。武芸と決断の神として、古代の東国平定にも武甕槌大神の霊威が働いたとされ、奈良時代には藤原氏の氏神として朝廷から篤い崇敬を受けた。境内には「要石(かなめいし)」と呼ばれる霊石があり、地中深くまで続くこの石がナマズ(地震の化身)を抑えていると信じられてきた。江戸時代には「鹿島神宮参拝・香取神宮参拝」を組み合わせた「鹿島立ち」が旅の出発の儀礼とされ、「鹿島立ち」という言葉は「旅立ち」の意味として今も使われる。

基本情報

社格
神宮
御祭神
武甕槌神
所在地
茨城県鹿嶋市宮中2306-1
アクセス
JR鹿島神宮駅から徒歩約10分。東京駅八重洲南口からは高速バス『かしま号』で約2時間、運賃は片道2,100円。JR鹿島線は本数が少ないため、事前の時刻確認が推奨される。
定休日
年中無休
駐車場
駐車場(60台)
電話番号
0299-82-1209

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鹿島神宮は何の神様?

鹿島神宮の御祭神は武甕槌神です。

武甕槌神

雷の神・武神。鹿島神宮の主祭神。武運・勝負のご利益がある。 代表的な神社としては春日大社、鹿島神宮、鹽竈神社などが挙げられます。 総本社格としては鹿島神宮が名高く、春日大社でも武神として重要な位置を占めます。

例大祭

最も大規模な祭典は12年に一度、午年に齋行される式年大祭御船祭で、令和8年(2026)は9月2日に予定されている。陸路・水路を合わせて30km弱にわたり、神様とともに大行列が巡幸する壮大な神事として知られる。

年間行事

年間を通じて90以上の祭儀が齋行されており、なかでも祭頭祭や白馬祭、流鏑馬など特色ある神事が知られている。日本建国・武道の神である武甕槌大神を祀る社として、一年を通じて多くの祭典が営まれている。 初詣の参拝者数は例年60万人超ともいわれる茨城県屈指の初詣スポット。

よくある質問

鹿島神宮の参拝前に確認したい情報をまとめます。

鹿島神宮で御朱印はいただけますか?

御朱印あり。式年大祭御船祭にあわせ8月1日〜9月6日の期間、記念御朱印を授与している(準備期間中は紙朱印での対応)。

鹿島神宮の例大祭はいつですか?

最も大規模な祭典は12年に一度、午年に齋行される式年大祭御船祭で、令和8年(2026)は9月2日に予定されている。陸路・水路を合わせて30km弱にわたり、神様とともに大行列が巡幸する壮大な神事として知られる。

鹿島神宮にはどのような年間行事がありますか?

年間を通じて90以上の祭儀が齋行されており、なかでも祭頭祭や白馬祭、流鏑馬など特色ある神事が知られている。日本建国・武道の神である武甕槌大神を祀る社として、一年を通じて多くの祭典が営まれている。 初詣の参拝者数は例年60万人超ともいわれる茨城県屈指の初詣スポット。

鹿島神宮の公式情報はどこで確認できますか?

鹿島神宮の公式情報は公式サイトで確認できます。参拝前に最新の受付時間や祭事情報を確認してください。

鹿島神宮に関連する目的別ページ

ご利益や御朱印情報を、地域で絞り込んで確認できます。

近隣神社

同じ地域や分類に近い神社を合わせて見られます。

茨城県開運

村松大神宮

むらまつだいじんぐう

社伝では和銅元年(708年)4月7日の創立と伝えられます。飛鳥時代、平磯前浦の巨巌から怪しい光が発したことにちなみ、伊勢の大神をこの地に奉斎したのが起こりとされ、「茨城のお伊勢さま」と呼ばれてきました。平安時代の康平3年(1060年)には源頼義・義家父子が社殿を造営したと伝わり、室町時代の永享7年(1435年)には戦乱を避けて神璽が遷されています。江戸時代には徳川幕府から寄進を受け、元禄年間に再興

所在地
茨城県那珂郡東海村村松1番地
御祭神
天照皇大神、天手力男神
茨城県開運

堀出神社

ほりでじんじゃ

寛文3年(1663年)8月13日、前浜村と平磯村の境界をめぐる争いの折、路上の吹きはげた場所に備前焼の忌垣に囲まれた窪みが見つかり、掘ったところ石室が現れて刀・槍・鉾・矢などが出土したと伝えられます。これらは水戸城へ送られ「磯前明神の本体」と判断されました。地元の願いを受けて岡見吉為が小社を建て、のちに寺社奉行の取り計らいで藩の許可を得て社殿が造営され、寛文11年(1671年)8月13日に遷宮式が

所在地
茨城県ひたちなか市阿字ヶ浦町178
御祭神
誉田別尊
茨城県勝負運厄除け

若宮八幡宮

わかみやはちまんぐう

応永年間(1394〜1428)、佐竹氏12代の佐竹義仁が鎌倉の鶴岡八幡宮から分霊を勧請し、太田城内に守護神として祀ったのが始まりと伝わる。以後は佐竹氏歴代の祈願所となり、関ヶ原の戦い後に佐竹氏が秋田へ移封された際には、分霊が大館城の守護神として奉持された。江戸時代には水戸徳川家の崇敬を受け、慶長14年(1609)に初代藩主徳川頼房の病気平癒祈願が成就したと伝えられる。水戸藩が領内の八幡社を整理した

所在地
茨城県常陸太田市宮本町2344
御祭神
大鷦鷯尊(仁徳天皇)、倉稲魂命
系統
八幡
茨城県勝負運厄除け

水戸八幡宮

みとはちまんぐう

文禄元年(1592)、常陸太田から水戸へ居城を移した佐竹義宣が、氏神として崇敬していた常陸太田の馬場八幡宮から八幡大神を水戸城内に勧請したことに始まる。慶長3年(1598)に本殿が建立され、水府(水戸)総鎮守と定められた。元禄7年(1694)にいったん那珂西村(現・城里町那珂西)へ遷されたが、宝永6年(1709)、水戸藩三代藩主・徳川綱條の代に現在の白幡山の社地へ改めて鎮座した。本殿は国の重要文化

所在地
茨城県水戸市八幡町8-54
御祭神
誉田別尊、息長足日売尊
系統
八幡