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関東の神社一覧

関東の都道府県別一覧と神社カードをまとめるページです。

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関東の神社一覧

219件中1-20件を表示しています。

東京都交通安全

住吉神社

すみよしじんじゃ

正保3年(1646)6月29日、摂津国佃村(現在の大阪市西淀川区佃)から江戸へ移り住んだ漁民たちと、住吉の社の神職・平岡権大夫好次が奉じてきた分神霊を、この地に祀ったことに始まる。徳川家康と縁の深かった摂津佃の人々は家康の関東下向に従って江戸へ下り、寛永年間に幕府から鉄砲洲の対岸にあたる干潟を与えられて島を築き、故郷にちなんで佃島と名付けた。祀られたのは住吉三神と神功皇后、そして東照御親命すなわち徳川家康である。佃島は江戸湊の入口にあたることから、海運業者や各問屋組合をはじめ多くの人々が海上安全・渡航安全の守り神として信仰を寄せた。その後、月島・勝どき・豊海・晴海と埋め立てが進むにつれ、これらの地域の産土神としても崇敬されるようになった。

所在地
東京都中央区佃1-1-14
御祭神
底筒之男命、中筒之男命
系統
住吉
神奈川県開運

素鵞神社

すがじんじゃ

湯河原町の東部、吉浜海岸を望む吉浜地区の鎮守として祀られてきた神社です。社伝では元和6年(1620年)12月11日の創立と伝えられ、須佐之男神に伊弉諾神・伊弉冊神を合わせ祀ります。明治6年に村社に列せられ、その後は地区内の稲荷神社や熊野神社を合併しましたが、これらは戦後に分離されました。大正12年(1923年)の関東大震災で社殿が被害を受けたため、昭和15年(1940年)に現在地へ移転し境内を拡張しています。8月1日の例祭に奉納される「吉浜の鹿島踊り」は神奈川県指定の無形民俗文化財で、国の選択無形民俗文化財にもなっています。祭礼に用いられる飾り屋台は町指定有形民俗文化財に指定されており、境内には道祖神も伝わります。

所在地
神奈川県足柄下郡湯河原町吉浜1047
御祭神
須佐之男神、伊弉諾神
埼玉県開運

楡山神社

にれやまじんじゃ

深谷市原郷に鎮座する『延喜式』神名帳所載の式内社で、武蔵国幡羅(はら)郡四座の一社。幡羅郡の総鎮守とされ、境内に残る古い社号標にも「武蔵国幡羅郡總社延喜式内楡山神社」と刻まれている。旧社家が絶えて社記の類が散逸したため創建年代は不明だが、第五代孝昭天皇の御代の鎮座という口碑が伝わり、後世の地誌には幡羅太郎道宗が再興したとも記される。社名は、神域一帯にニレの木が多く茂っていたことに由来する。江戸時代は天台宗東学院が別当を務め、熊野信仰の影響から「熊野三社大権現」とも呼ばれたが、明治の神仏分離により楡山神社の社号へ復した。明治5年(1872)に郷社、大正12年(1923)に県社へ昇格。境内には目通り約3.6m、樹高約10m、樹齢約600年と推定されるハルニレの神木が立ち、昭和24年(1949)に埼玉県の天然記念物に指定されている。

所在地
埼玉県深谷市原郷336
御祭神
伊邪那美命
神奈川県開運

松尾神社

まつおじんじゃ

社伝では鎌倉時代の文暦元年(1234年)に京都・松尾大社の御分霊を勧請して創建したと伝える。旧来は「田中社」「田中の神社」などとも称された。戦国時代には小田原北条氏の勇将・北条綱成の崇敬が篤く、江戸時代に大山詣りが盛んになると、その道中に当社へ立ち寄って参拝する慣習が生まれた。祭神の大山咋神は治水・開拓・土木・建築・商業・養蚕・醸造・酒造など諸産業の祖神として崇められ、現在も技工職能の向上、山川開拓の守護の神社として親しまれている。末社には地神・疫神・疱瘡神の三柱を祀る。

所在地
神奈川県横浜市戸塚区上矢部町421
御祭神
大山咋神
東京都開運

宮中三殿

きゅうちゅうさんでん

皇居の吹上御苑にある賢所・皇霊殿・神殿の三殿をまとめた呼称で、三殿を一括して賢所と称することもある。南面して建つ三殿の中央が皇祖天照大御神を祀る賢所、その西が歴代天皇・皇后・皇族の霊を祀る皇霊殿、東が天神地祇八百万神を祀る神殿にあたる。明治維新後に宮中の祭祀が段階的に整理され、明治5年(1872年)に現在に連なる三殿の形が整ったと解されている。現在の建物は宮内省一等匠手を務めた木子清敬の設計により明治21年(1888年)10月に竣工し、翌明治22年1月9日に遷座された。単層入母屋妻入の白木造で、屋根は当初の檜皮葺から後に銅板葺へ改められた。昭和19年(1944年)には空襲を避けて皇居内の防空壕へ、平成16年(2004年)には耐震劣化調査のため仮殿へ一時動座している。祭祀は宮内庁とは別の内廷組織である掌典職が担う。

所在地
東京都千代田区千代田1番1号(皇居 吹上御苑内)
御祭神
天照大御神(賢所)、歴代天皇・皇族の霊(皇霊殿)
東京都開運

神田神社

かんだじんじゃ

社伝では天平2年(730年)、武蔵国豊島郡芝崎村(現在の大手町・将門塚周辺)に入植した出雲系の氏族が、大己貴命を祖神として祀ったことに始まるとされる。この地はもと伊勢神宮の御田があった土地で、神田の名もそこに由来すると伝わる。延慶2年(1309年)には、近くに葬られた平将門が霊神として合わせ祀られた。慶長8年(1603年)以降の江戸城拡張にともなって神田台へ移り、元和2年(1616年)に現在の外神田へ遷座している。江戸幕府の尊崇を受け、神田・日本橋・秋葉原・大手町など108か町の総氏神として「江戸総鎮守」と称された。明治7年(1874年)には少彦名命を大洗磯前神社から迎える一方、将門命は摂社へ移されたが、昭和59年(1984年)に本殿の祭神へ復している。大正12年(1923年)の関東大震災で社殿を焼失し、昭和9年(1934年)に当時としては珍しい鉄骨鉄筋コンクリート造の権現造で再建された。

所在地
東京都千代田区外神田2-16-2
御祭神
大己貴命、少彦名命
系統
出雲
東京都開運

元赤城神社

もとあかぎじんじゃ

牛込総鎮守として知られる赤城神社(新宿区赤城元町)が最初に祀られた旧鎮座地にあたる社。社伝によれば鎌倉時代後期の正安2年(1300年)、上野国赤城山麓の大胡(現在の群馬県前橋市)から牛込へ移り住んだ豪族・大胡彦太郎重治が、本国の鎮守である赤城神社の分霊をこの地に奉斎したことに始まるという。室町時代の寛正元年(1460年)、太田道灌によって社が牛込台へ遷されると、旧地に残された里人が小祠を建てて元赤城大明神と称し、この場所の神威を守り伝えた。明治のはじめに現在の社名へ改められている。昭和20年(1945年)5月25日の空襲で境内の建物を焼失したが再建され、現在は赤城神社が兼務する住宅街の小さな鎮守として祀られている。

所在地
東京都新宿区早稲田鶴巻町568
御祭神
磐筒雄命
系統
赤城
栃木県開運

平出雷電神社

ひらいでらいでんじんじゃ

社伝によれば仁和2年(886年)、京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)の御分霊を迎えて創建されたという。主祭神は別雷之大神で、開拓・殖産のほか雷除け・嵐除け・災難除け・勝運の神として、古くから「雷電様」の名で親しまれてきた。応仁の乱の兵乱で社殿は荒廃し、正徳年間には廃頽するに至ったが、当時の領主・平出孝政が領民とともに浄財を募って本殿を再建した。天保5年(1834年)に再改築され、元治2年(1865年)には「雷電宮」の称号を受けている。7月第4日曜日の夏大祭では豊年を祈願する梵天奉納神事が行われ、地域の夏の行事として続いている。

所在地
栃木県宇都宮市平出町3848
御祭神
別雷之大神、誉田別之命
茨城県開運

堀出神社

ほりでじんじゃ

寛文3年(1663年)8月13日、前浜村と平磯村の境界をめぐる争いの折、路上の吹きはげた場所に備前焼の忌垣に囲まれた窪みが見つかり、掘ったところ石室が現れて刀・槍・鉾・矢などが出土したと伝えられます。これらは水戸城へ送られ「磯前明神の本体」と判断されました。地元の願いを受けて岡見吉為が小社を建て、のちに寺社奉行の取り計らいで藩の許可を得て社殿が造営され、寛文11年(1671年)8月13日に遷宮式が行われました。掘り出された御神体にちなむ社名で、学問・厄除けの八幡さまとして信仰されてきました。令和元年(2019年)には境内に黄金の鳥居が連なる「ほしいも神社」が創建され、参拝者を集めています。

所在地
茨城県ひたちなか市阿字ヶ浦町178
御祭神
誉田別尊
茨城県開運

村松大神宮

むらまつだいじんぐう

社伝では和銅元年(708年)4月7日の創立と伝えられます。飛鳥時代、平磯前浦の巨巌から怪しい光が発したことにちなみ、伊勢の大神をこの地に奉斎したのが起こりとされ、「茨城のお伊勢さま」と呼ばれてきました。平安時代の康平3年(1060年)には源頼義・義家父子が社殿を造営したと伝わり、室町時代の永享7年(1435年)には戦乱を避けて神璽が遷されています。江戸時代には徳川幕府から寄進を受け、元禄年間に再興されて水戸藩主の参拝もありました。近代以降も地域と深く関わり、昭和31年(1956年)以降は日本原子力研究所への用水分水に協力しています。

所在地
茨城県那珂郡東海村村松1番地
御祭神
天照皇大神、天手力男神
栃木県出世勝負運

東照宮

とうしょうぐう

江戸幕府初代将軍・徳川家康を東照大権現として祀る神社です。家康は元和2年(1616年)に駿府で没した後、遺言に従っていったん久能山に葬られ、翌元和3年(1617年)に日光へ改葬されました。同年に社殿が造営され、4月17日に正遷宮が執り行われています。相殿には豊臣秀吉と源頼朝が祀られています。創建当初は「東照社」と称しましたが、正保2年(1645年)に朝廷から宮号を賜って「東照宮」となりました。現在目にする華麗な社殿群の多くは、三代将軍・徳川家光による寛永の大造替で整えられたもので、陽明門や唐門をはじめ多数の建造物が国宝・重要文化財に指定されています。近代社格制度では別格官幣社に列せられ、現在は神社本庁に属さない単立神社です。日光山内の社寺群の一つとして世界遺産にも登録されています。

所在地
栃木県日光市山内2301
御祭神
徳川家康公(東照大権現)、豊臣秀吉公
系統
日光
東京都開運

靖國神社

やすくにじんじゃ

明治2年(1869年)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12年(1879年)に「靖國神社」と改称して今日に至る。社号には国を靖んじる、すなわち平和な国家を築くという願いが込められている。幕末から明治維新にかけての動乱で国事に殉じた人々をはじめ、戊辰戦争、日清戦争、日露戦争、先の大戦などで国のために命を落とした軍人・軍属のほか、従軍看護婦や学徒、文官、民間人を含む246万6千余柱を祀る。東京都千代田区九段北に鎮座し、境内には戦没者の遺書や遺品を展示する遊就館、資料を所蔵する靖國偕行文庫が置かれている。

埼玉県厄除け病気平癒

調神社

つきじんじゃ

さいたま市浦和区岸町に鎮座し、地元では「つきのみや」と親しまれる。社伝『調宮縁起』によれば第10代崇神天皇の勅命による創建と伝わり、伊勢神宮へ納める調(貢)物の初穂を収めた倉庫群の中に造営されたため、貢物の搬出入の妨げとなる鳥居を設けないとされる。確かな文献では延喜5年(905年)に編纂が命じられた『延喜式神名帳』に武蔵国四十四座の一社として記載される。御祭神は天照大御神・豊宇気姫命・素盞嗚尊。「調(つき)」が「月」と同じ読みであることから、月の動物とされた兎が神使とされ、中世の月待信仰と結びついて江戸時代には月読社とも呼ばれた。南北朝期の延元2年(1337年)に足利尊氏の命で一色範行が荒廃した社殿を復興し、天正18年(1590年)の小田原兵乱で再び焼失したが徳川家康の関東入部後に再建された。現社殿は安政6年(1859年)竣工の総欅権現造である。

所在地
埼玉県さいたま市浦和区岸町3-17-25
御祭神
天照大御神、豊宇気姫命
系統
八坂
神奈川県開運家内安全

神明社

しんめいしゃ

天禄元年(970)、伊勢の天照大御神が榛谷の峯に現れたという伝承にもとづき、平安時代中頃に創建されたと伝えられる。鎌倉時代初期の嘉禄元年(1225)には神託によって神明の下宮が造られて現在の地へ遷り、榛谷御厨八郷の総鎮守として広く崇敬を集めて隆盛した。元和5年(1619)に改めて現在地へ遷座し、江戸時代の慶安年間には朱印地4石1斗を安堵されている。明治6年(1873)に村社に列格。明治2年の社殿修営に際しては、明治天皇の御東行の折に本陣・苅部清兵衛宅へ臨時に設けられた鳳輦安置所の御用材を下賜されたと伝わる。平成10年(1998)には約380年ぶりの大造営が行われ、本社・摂末社・神楽殿など境内建物12棟が一新された。御祭神は天照大御神、摂社に豊受大御神を祀る。

所在地
神奈川県横浜市保土ケ谷区神戸町107
御祭神
天照大御神
系統
伊勢・神明
東京都厄除け病気平癒

品川神社

しながわじんじゃ

文治3年(1187)、源頼朝が安房国の洲崎明神から天比理乃咩命を勧請し、海上交通の安全と祈願成就を祈ったのが創始と伝えられる。元応元年(1319)に二階堂道蘊が宇賀之売命を、文明10年(1478)に太田道灌が素盞嗚尊を合わせ祀り、現在の三柱となった。慶長5年(1600)には徳川家康が関ヶ原の戦いに出陣する前に参拝して戦勝を祈願し、寛永14年(1637)に徳川家光が東海寺を建立した際には当社がその鎮守と定められて幕府の厚い庇護を受けた。明治元年(1868)には明治天皇の思召により准勅祭社の一社に定められ、現在は東京十社のひとつに数えられる。社殿は元禄7年と嘉永3年の焼失後、いずれも時の将軍の命で再建され、昭和39年(1964)に現在の社殿が再建。令和2年(2020)には天皇陛下の御即位を奉祝して社殿の修復が行われた。

所在地
東京都品川区北品川三丁目7番15号
御祭神
天比理乃咩命、素盞嗚尊
系統
八坂
東京都商売繁盛金運

王子稲荷神社

おうじいなりじんじゃ

東京都北区岸町に鎮座し、宇迦之御魂神・宇気母智之神・和久産巣日神を祀る。社伝によれば康平年間(1058〜1065)に征夷大将軍・源頼義から「関東稲荷総司」の称号を受けたとされ、関東の稲荷社を束ねる格式の社として崇敬を集めた。小田原北条氏に次いで徳川将軍家代々の祈願所と定められ、現在の社殿は十一代将軍徳川家斉が新規に寄進したものと伝わる。大晦日に関東各地の狐が近くの榎の下に集まり、身なりを整えてから当社に参詣したという言い伝えが残り、落語「王子の狐」の舞台としても知られる。2月の午の日には火事除けの縁起物を商う凧市が立ち、1月1〜3日と2月の午の日には「額面著色鬼女図」などの絵馬が公開される。

所在地
東京都北区岸町1-12-26
御祭神
宇迦之御魂神、宇気母智之神
系統
稲荷
千葉県開運

御獄神社

みたけじんじゃ

千葉県船橋市前原に鎮座し、素戔嗚尊を祀る。前原は成田街道沿いに開かれた近世の村で、摂津国出身の天野四郎兵衛が開墾請負人となり、延宝元年(1673)に代官伊奈忠常の検分を受けて開村した。開拓当初の暮らしは厳しく、上東野新助が江戸鍛冶橋の行者・釈仙竜を伴って大和の大峰山から蔵王権現を勧請し、前原開拓地3か村の守護神として祀ったのが当社の起こりと伝わる。明治維新の際に蔵王権現の名を改めて御嶽神社となった。御神体である木造蔵王権現三尊立像は鎌倉時代中期以前の造像とみられ、昭和33年(1958)に千葉県の有形文化財に指定されている。社殿は火災と再建を経て現在に至り、前原地区の氏神として親しまれている。

神奈川県開運家内安全

皇大神宮

こうたいじんぐう

神奈川県藤沢市鵠沼神明に鎮座し、天照皇大神を主祭神に、相殿として天手力男命・天太玉命・天児屋根命・天宇受売命・石凝刀売命を祀る。淳和天皇の天長9年(832年)に社殿を造立した記録が残り、勧請の時期はさらに遡ると考えられている。延喜式が撰進された醍醐天皇の頃には、藤沢・西富・大鋸・鵠沼・辻堂などを含む相模国土甘郷の総社とされ、「相模国土甘郷総社神明宮」と称された。長治元年(1104年)に鎌倉権五郎景政が所領の大庭荘を伊勢神宮へ寄進して大庭御厨が成立すると、その広大な神領の総鎮守と定められ、いっそう篤い崇敬を受けた。寿永3年(1184年)には那須与一宗高が屋島で扇の的を射た弓と残りの矢を奉納したと伝わる。社殿は天喜3年(1055年)・元亨2年(1322年)・天正13年(1585年)・昭和60年と造営を重ねている。

所在地
神奈川県藤沢市鵠沼神明2-11-5
御祭神
天照皇大神、他5柱
系統
伊勢・神明
群馬県商売繁盛金運

桐生西宮神社

きりゅうにしのみやじんじゃ

群馬県桐生市宮本町、桐生ヶ丘に抱かれた美和神社の境内に鎮座する。織物業で栄えた桐生では各地から移り住んだ職人をまとめる要として旦那衆が福の神・えびす信仰を奨励し、江戸末期には兵庫県西宮市の西宮神社へ参る代参講が盛んになり、本社には明治2年以降の桐生からの参拝者名簿が残る。明治31年(1898年)に本町三丁目一帯で63戸を焼く大火が起こると、「災いを転じて福となす」との気運が高まり、えびす宮総本社である西宮神社へ御分霊の勧請を願い出た。これが認められ、明治34年(1901年)11月20日に蛭子大神の御分霊が奉遷され、美和神社の祭神・大物主命(大黒様)と同格の相殿神として祀られた。関東で唯一の西宮神社直系分社として「関東一社」の称号を受けている。

所在地
群馬県桐生市宮本町2丁目1番1号
御祭神
蛭子大神
系統
恵比寿
栃木県安産子宝

唐沢山神社

からさわやまじんじゃ

栃木県佐野市の唐沢山山頂、唐沢山城の本丸跡に鎮座し、平安時代の武将・藤原秀郷公を祀る。秀郷公は延長5年(927年)に下野国の押領使に任じられて父祖伝来のこの地に入り、唐沢山に城を築いて治めたと伝わる。天慶3年(940年)には平貞盛と力を合わせて平将門を討ち(天慶の乱)、その功により下野守に進んで武蔵守も兼ねた。以後およそ700年にわたり子孫の佐野氏が城主を務めたが、慶長年間に居城を春日岡へ移し、慶長19年(1614年)に佐野信吉が改易となって大名家としては断絶した。明治13年(1880年)、子孫の佐野氏と旧臣が秀郷公の遺徳を顕彰するため沢英社・東明会を組織し、明治16年(1883年)に古城本丸跡へ社殿を創建、同年10月25日に御霊を奉斎した。明治23年(1890年)12月1日に別格官幣社に列せられ、以後この地方の守護神として崇敬されている。

所在地
栃木県佐野市富士町1409
御祭神
藤原秀郷公
系統
浅間

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