Shrine

下山神社しもやまじんじゃ

鳥取県に鎮座する神社です。御祭神は渡辺照政命。開運のご利益で知られます。

由緒

霊峰大山の中腹に鎮座する大神山神社奥宮の境内社。鳥取県神社庁の伝えるところでは、元徳2年(1330年)、備中国浅口郡の郡司であった渡辺源五郎照政が智明権現社(現在の奥宮)へ参詣した帰路に討たれ、下山の地に葬られたことに始まるという。その後の神託により智明権現社から六尺下がった所に社が営まれ、以来霊験あらたかな社として信仰を集めた。現在の社殿は文化2年(1805年)の建立で、正面三間の入母屋造・檜皮葺。再建にあたっては石見国津和野藩の亀井家が寄進したと伝わり、蟇股などに亀井家の四つ目結紋があしらわれている。大神山神社奥宮の社殿とあわせて国の重要文化財に指定されている。

基本情報

この神社について

御祭神
渡辺照政命
ご利益
開運

アクセス・参拝情報

所在地
鳥取県西伯郡大山町大山1
アクセス
大神山神社奥宮の境内に鎮座する。JR米子駅などから大山寺行きの路線バスに乗り「大山寺」で下車し、大山寺旅館街から石畳の参道を徒歩約15分(公共駐車場からは20〜30分)登った先が奥宮の境内。
受付時間
大神山神社奥宮の受付時間は午前9時から午後4時まで(天候により前後します)。

下山神社は何の神様?

下山神社の御祭神は渡辺照政命です。

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近隣神社

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鳥取県開運

茂宇気神社

もうけじんじゃ

鳥取市鹿野町河内の山あいに鎮座する。創立年代は不詳だが、古くから河内地区の氏神として祀られ、かつては妙見大権現と称した。寛文7年(1667)に鳥取藩主池田家から社領六斗を寄進され、元禄15年(1702)に天照大御神を勧請合祀して妙見茂宇気宮と改めた。明治初年に茂宇気神社と改称し、村内の山神(大山祇命)や稲荷神、境内末社の稲荷大明神(倉稲魂命)を合祀している。明治5年(1872)に村社に列し、大正9

所在地
鳥取県鳥取市鹿野町河内4410
御祭神
天照大御神、大山祇命
鳥取県開運

名和神社

なわじんじゃ

建武中興に功のあった武将・名和長年と、その一族郎党42柱を祀る。長年は元弘3年(1333)、隠岐を脱出した後醍醐天皇を船上山に迎え、鎌倉幕府軍を破った伯耆国の豪族である。社伝によれば承応から明暦の頃(1652〜57)、長年の遺徳を慕う地元の人々が名和氏の屋敷跡に小祠を建てたことに始まり、延宝5年(1677)に社地を移して氏殿権現と称された。明治11年(1878)に社号を名和神社と改め、別格官幣社に

所在地
鳥取県西伯郡大山町名和556
御祭神
名和長年、名和一族戦没将士四十二柱
鳥取県開運

金持神社

かもちじんじゃ

社伝によれば大同・弘仁のころ、西暦810年前後に出雲国の神官の子が伊勢神宮への参拝の途中でこの地を通ったところ、身につけていた玉石が急に重くなり、ここに宮を造るようにとの神託を得て創建したと伝えられます。「金持」という地名は、この一帯が良質の砂鉄を産する鉄山を持つ村であったことに由来するとされ、「かねもち」ではなく「かもち」と読みます。鎌倉時代から南北朝時代にかけては、この地を本拠とした武将・金持

所在地
鳥取県日野郡日野町金持74
御祭神
天之常立尊、八束水臣津努命
鳥取県商売繁盛金運

聖神社

ひじりじんじゃ

創始年代は不詳だが、寛政7年(1795)の『因幡志』には吾勝尊(正勝吾勝勝速日天忍穂耳命)と瓊瓊杵尊の二座を祀ると記され、「日知り(聖)の神」への信仰から聖大明神と称されたと考えられている。現在の本殿は宝永7年(1710)の改築で、細部に種々の彫刻が施された県保護文化財。安永5年(1776)には神階正一位を授かった。文化10年(1813)に拝殿を造替、明治3年(1870)に境内の恵比寿社(事代主神

所在地
鳥取県鳥取市行徳2丁目705
御祭神
邇邇藝命、日子穂穂手見命
系統
恵比寿