由緒
社伝によれば大同元年(806年)の創祀と伝わる式内社(名神大社)で、常陸国二之宮。主祭神は機織の神・建葉槌命(倭文神)で、一帯が古くから「静織(しどり)の里」と呼ばれた織物の里であることから、織物の神として崇敬されてきた。水戸藩主・徳川光圀は寛文7年(1667年)に本殿・拝殿・神門などを造営し、その際に本殿脇の檜の根元から銅印「静神宮印」が発見されたと伝わる。天保12年(1841年)の火災で社殿を焼失したが、徳川斉昭によって再建された。
茨城県に鎮座する神社です。御祭神は建葉槌命。開運のご利益で知られます。
社伝によれば大同元年(806年)の創祀と伝わる式内社(名神大社)で、常陸国二之宮。主祭神は機織の神・建葉槌命(倭文神)で、一帯が古くから「静織(しどり)の里」と呼ばれた織物の里であることから、織物の神として崇敬されてきた。水戸藩主・徳川光圀は寛文7年(1667年)に本殿・拝殿・神門などを造営し、その際に本殿脇の檜の根元から銅印「静神宮印」が発見されたと伝わる。天保12年(1841年)の火災で社殿を焼失したが、徳川斉昭によって再建された。
静神社の御祭神は建葉槌命です。
4月1日
秋季例大祭(11月25日宵祭、26・27日本祭)では「つた舞」や「お笹明神」出社の神事が行われ、多くの参拝客で賑わう。
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4月1日
秋季例大祭(11月25日宵祭、26・27日本祭)では「つた舞」や「お笹明神」出社の神事が行われ、多くの参拝客で賑わう。
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寛文3年(1663年)8月13日、前浜村と平磯村の境界をめぐる争いの折、路上の吹きはげた場所に備前焼の忌垣に囲まれた窪みが見つかり、掘ったところ石室が現れて刀・槍・鉾・矢などが出土したと伝えられます。これらは水戸城へ送られ「磯前明神の本体」と判断されました。地元の願いを受けて岡見吉為が小社を建て、のちに寺社奉行の取り計らいで藩の許可を得て社殿が造営され、寛文11年(1671年)8月13日に遷宮式が
社伝では和銅元年(708年)4月7日の創立と伝えられます。飛鳥時代、平磯前浦の巨巌から怪しい光が発したことにちなみ、伊勢の大神をこの地に奉斎したのが起こりとされ、「茨城のお伊勢さま」と呼ばれてきました。平安時代の康平3年(1060年)には源頼義・義家父子が社殿を造営したと伝わり、室町時代の永享7年(1435年)には戦乱を避けて神璽が遷されています。江戸時代には徳川幕府から寄進を受け、元禄年間に再興
応永年間(1394〜1428)、佐竹氏12代の佐竹義仁が鎌倉の鶴岡八幡宮から分霊を勧請し、太田城内に守護神として祀ったのが始まりと伝わる。以後は佐竹氏歴代の祈願所となり、関ヶ原の戦い後に佐竹氏が秋田へ移封された際には、分霊が大館城の守護神として奉持された。江戸時代には水戸徳川家の崇敬を受け、慶長14年(1609)に初代藩主徳川頼房の病気平癒祈願が成就したと伝えられる。水戸藩が領内の八幡社を整理した
文禄元年(1592)、常陸太田から水戸へ居城を移した佐竹義宣が、氏神として崇敬していた常陸太田の馬場八幡宮から八幡大神を水戸城内に勧請したことに始まる。慶長3年(1598)に本殿が建立され、水府(水戸)総鎮守と定められた。元禄7年(1694)にいったん那珂西村(現・城里町那珂西)へ遷されたが、宝永6年(1709)、水戸藩三代藩主・徳川綱條の代に現在の白幡山の社地へ改めて鎮座した。本殿は国の重要文化