由緒
能登半島の先端、日本海に突き出た高座山に鎮座する式内社で旧県社。高座宮と金分宮の二社に夫婦の大神を祀って須須神社と称し、「三崎権現」「須須大明神」として、東北(鬼門)にあたる日本海の守護神・災難除けの神と崇められてきた。社伝では第10代崇神天皇の御代に能登半島最北端の山伏山(鈴ヶ嶽)山頂に創建され、奈良時代の天平勝宝年間に現在地へ遷座したと伝える。『日本三代実録』によれば貞観15年(873年)に従五位上の神階を授けられた。中世には多くの社人社僧を擁して広い社領を持ち、天正12年(1584年)には加賀藩主前田利家が巡国の折に祈願所と定め、社領として神田5町歩を寄進している。元禄10年(1697年)には奥宮の中腹に大燈明堂が設けられ、夜ごとの灯りが船の道しるべとなって明治期の禄剛崎灯台へ受け継がれた。境内の社叢は昭和50年に国の天然記念物に指定されている。