中部の神社一覧
中部の都道府県別一覧と神社カードをまとめるページです。
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中部の神社一覧
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弥栄神社
善光寺門前の上西之門町に鎮座する、善光寺七社の一社。社伝では建久7年(1196年)、信濃を訪れた源頼朝が疫病除けのため京都の八坂神社を勧請して創建したと伝えられる。安永3年(1774年)には善光寺大勧進の住職から社地の寄進を受けている。祭神は須佐之男命で、悪疫除け・災厄除け・健康長寿の神として信仰を集めてきた。当社の御祭礼は「ながの祇園祭」と呼ばれ、かつては京都・広島と並ぶ日本三大祇園祭に数えられたとも伝えられる。昭和40年(1965年)から42年にかけては松代群発地震の影響で屋台巡行が自粛され、その後長く途絶えていたが、平成24年(2012年)に「ながの祇園祭 御祭礼屋台巡行」として復活し、以後は毎年行われている。
- 所在地
- 長野県長野市上西之門町612-イ
- 御祭神
- 須佐之男命
山神社
甲府盆地の南、中央市の南方にそびえる前山の山頂に鎮座し、地元では「お山の神さん」の通称で親しまれている。石祠の本殿には正徳5年(1715年)の銘が刻まれており、江戸時代中期にはすでに祀られていたと考えられている。古くから農耕守護と商売繁昌に霊験があるとされ、甲府盆地一円はもとより遠く京浜方面からも参詣者を集め、春の大祭には麓から山頂まで参拝の列が続いたと伝えられる。近代以降に広く知られるようになって参拝者が増え、平成6年(1994年)に石祠の本殿や拝殿・玉垣が、翌平成7年には社務所などが整備された。境内地は約4900坪、氏子は330戸ほどを数える。山頂へ続く参道沿いの桜並木は「山の神千本桜」と呼ばれ、山梨県の名花百選に選ばれている。
- 所在地
- 山梨県中央市大鳥居5786
- 御祭神
- 大山祇命
八心大市比古神社
延喜式神名帳に越中国新川郡の小社として載る式内社で、旧社格は県社。創建については、孝謙天皇の御代に桜井庄三日市へ勧請されたとする説のほか、東方の嘉例沢の山頂から御幣が飛来し、現れた三体の神像を「三島大明神」として祀ったのが始まりという伝承も伝わる。天正8年(1580年)に、それまで鎮座していた北方約500メートルの萱堂の地から現在地へ遷ったとされる。明治に入るまでは三島大明神と称し、社名が八心大市比古神社に改められた後も、地元では今なお「三島神社」の通称で親しまれている。主祭神は大山祇神・少彦名神・軻遇突智神の三柱で、天照皇大神を合祀する。古くから氏子は鶏を神の使いとして大切にしたと伝えられ、社宝として鶏之図絵馬が伝わる。2月の折年祭、5月の春祭、10月の秋祭、11月の新嘗祭のほか、6月には茅輪神事が営まれる。
- 所在地
- 富山県黒部市三日市3185
- 御祭神
- 大山祇神、少彦名神
須倍神社
浜松市北部の都田に鎮座し、内宮と外宮の二棟の本殿を並べて祀る神明社です。延喜式神名帳の遠江国引佐郡にみえる「須倍神社」に比定される式内社で、一帯は伊勢神宮の御厨として開けた土地でした。祭神は内宮に天照皇大神、外宮に豊受姫大神を祀り、伊勢の神宮を勧請したものと考えられています。創建については仁和3年(887年)の建宮と伝え、延喜2年(902年)に上社・下社の両社を現在地へ遷して神明宮あるいは須倍神社と称するようになったとされます。一方で天応元年(781年)の創建とする所伝もあります。秋の例大祭では周辺9地区から御殿屋台(山車)が集まって曳き回され、祈年祭と新嘗祭では氏子の子どもたちが浦安の舞を奉納するなど、地域と結びついた祭祀が今も続けられています。
- 所在地
- 静岡県浜松市浜名区都田町6284
- 御祭神
- 天照皇大神、豊受姫大神
社宮神社
本殿には道祖神として知られる岐神(ふなとのかみ、船戸神)を祀る。ただしこれは明治維新後の国家神道政策のもとで定められたもので、本来の信仰の核は「ミシャグジ(御社宮司)」であったと伝えられる。境内社には牛頭天王(須佐之男命)とともに阿弥陀如来も祀られており、神仏習合の形が今も残る。社名は「社宮司」「産宮神」など複数の呼び方をされてきた。鎮守の杜に囲まれた境内には樹齢約400年とされる鹿子木(カゴノキ)の巨木があり、幹に開いた穴が女性の象徴になぞらえられて、子授け・夫婦和合から子宝・安産に霊験があるとして信仰を集めるようになった。杓子で願いをすくい上げるという語呂にちなんで神前へ杓子を供える習わしが盛んになり、子宝をすくい上げる意に通じるとして子授け・安産育児の守りとされている。
- 所在地
- 静岡県浜松市浜名区都田町7029
- 御祭神
- 岐神
眞田神社
上田城本丸跡に鎮座し、真田氏・仙石氏・松平氏という歴代の上田城主を御祭神とする。もとは藤井松平氏の先祖を祀る松平(しょうへい)神社で、上田城主となった系統の藤井松平氏の初代・松平忠晴(忠山)の霊を京都に祀った忠山社が起源とされる。明治維新後、廃藩置県で上田城が民間へ払い下げられ、城跡が桑園や麦畑へ姿を変えていくなか、旧上田藩士や旧領内の有志が旧藩主への報恩と城跡保存を願って神社創建を発起した。本丸跡の所有者だった丸山平八郎の寄附により境内地が整い、明治12年(1879年)に長野県から創立が許可された。戦後になって真田氏と仙石氏も合祀し、昭和28年(1953年)に上田神社と改称したが、市内の同名社と紛らわしいため、昭和38年に初代城主の名を冠した眞田神社へ改称して現在に至る。境内には城内唯一の大井戸と伝わる眞田井戸が残る。
- 所在地
- 長野県上田市二の丸1-12
- 御祭神
- 真田氏、仙石氏
小丹生神社
創建年代は不詳。刈谷田川の左岸、熱田ヶ岡と呼ばれる高台に鎮座する。伝承では、祭神の波多武日子命は大彦命の御子で越の地に館を構えて「小丹生の三官」と称され、その後裔である古志連が祖神を小丹生ヶ岡に祀ったのが起こりだという。天喜年間(1053〜1058年)に現在地へ遷座し、土地の名から熱田明神(熱田神社)と呼ばれるようになった。のちに須佐之男命の分霊が勧請合祀され、それにちなむ神楽と神剣が伝えられている。中世は上杉氏、江戸時代は長岡藩主牧野家の崇敬を受けた。明治に入って旧社号とみられる小丹生神社に復し、明治4年(1871年)に村社に列した。『延喜式』神名帳の越後国古志郡「小丹生神社」の論社の一つに数えられる。例祭で奉納される太久神楽は当地方の出雲流神楽の発祥とされ、三条神楽や栃尾神楽に影響を与えたと伝わる。
- 所在地
- 新潟県見附市名木野町1359
- 御祭神
- 波多武日子命、天美明命
- 系統
- 丹生
若狭彦神社
若狭国一宮。社伝では、遠敷川の清流が巨巌に突き当たって淵をなす鵜ノ瀬に若狭彦神・若狭姫神が降臨し、和銅7年(714年)に白石の里へ示現したと伝える。永久の鎮座地を求めて若狭国内を巡歴したのち、霊亀元年(715年)9月10日に竜前の現在地へ鎮まったのが当社(上社)で、6年後の養老5年(721年)に遠敷へ若狭姫神社(下社)が分祀された。『延喜式』神名帳には若狭国遠敷郡「若狭比古神社二座 名神大」と載り、両座が名神大社に列している。中世には上社を一宮、下社を二宮と称したが、室町期ごろから祭祀の中心は下社へ移った。明治4年(1871年)には近代社格制度において国幣中社に列格した。奈良・東大寺二月堂の修二会に遅参した遠敷明神が閼伽水を送ると約したという伝承があり、鵜ノ瀬で行われる「お水送り」神事の由緒となっている。農業・漁業・安産育児のほか、畳や敷物にかかわる商工業の守護神としても信仰が篤い。
- 所在地
- 福井県小浜市竜前28-7
- 御祭神
- 彦火火出見尊
長良天神神社
岐阜市長良に鎮座する天満宮で、菅原道真を祀る。社伝によれば、承久年間に京都の北面の武士から美濃国の目代に任じられた斎藤帯刀左衛門尉親頼を祖とする斎藤氏が、崇敬していた京都・北野天満宮の神霊を氏神として勧請したのが始まりで、およそ800年前にさかのぼるという。寛正年間(1460〜1466)に斎藤利藤が本殿を造営し、天正16年(1588)には池田輝政が社壇を築いて寄進した。慶長年間の社殿再建後も修復と造替が重ねられ、現在の本殿は享和元年(1801)、拝殿は嘉永5年(1852)の建築である。江戸時代に長良が尾張藩領となると歴代藩主や支藩・高須藩主の崇敬を受け、長良三郷の惣社として庶民の信仰も集めた。約4,500坪の広い境内には、道真ゆかりの梅をはじめ多くの樹木が茂る。
- 所在地
- 岐阜県岐阜市長良1972-1
- 御祭神
- 菅原道真公
- 系統
- 天神
美和神社
社記によれば、景行天皇の御代に日本武尊の命を受けた甲斐国造・塩海足尼が、大和の大三輪明神(大神神社)から勧請したのが始まりと伝える。『日本三代実録』貞観5年(863年)の条に美和神に従五位上を授けた記事が見え、一条天皇の代に第二之宮の号を賜って甲斐国二宮となった。中世以降は鎌倉・足利・武田の各氏によって社殿が修造され、武田氏滅亡後は徳川家康が社領を安堵、家光が朱印領177石を寄進して以後歴代が安堵した。一之宮の浅間神社、三之宮の玉諸神社と合同で行われた川除祭は明治3年にいったん途絶えたが、平成15年に復活している。社宝に国指定重要文化財の木造大物主神立像、山梨県指定文化財の白糸威褄取鎧や板絵著色三十六歌仙図などを伝える。
- 所在地
- 山梨県笛吹市御坂町二之宮1450
- 御祭神
- 大物主命
北野天神社
承応3年(1654年)の創建と伝わる、菅原道真を祀る天神社です。尾張平野の北部にあたる江南市北野町に鎮座し、学業成就や合格祈願を願う人々の信仰を集めてきました。常駐の神職を置かない無住の神社ですが、1月と2月の日曜日、および毎月25日の月次祭には合格祈願などの祈祷が行われます。この神社を広く知らせているのが、昭和39年(1964年)に始まった筆まつりです。毎年1月中旬に行われ、長さ約4メートル、重さ約50キログラムの大筆を、厄年の男性と新入学児が御所車に載せて神社まで曳き回す大筆奉納行列が最大の見どころとなっています。境内にある石造りの大筆に願いを書くと字が上達するといわれ、書道や学業の上達を願う参拝者が訪れます。
- 所在地
- 愛知県江南市北野町天神8
- 御祭神
- 菅原道真
- 系統
- 天神
神田神社
美濃国賀茂郡の式内社「神田神社」に比定される古社で、社伝では元正天皇の養老2年(718年)の創建と伝えられる。『延喜式』神名帳では社名を「かむだ」と読んだとされ、村名の「神土(かんど)」もこれに通じる。平安時代中期以降に衰微したが、嘉慶2年(1388年)に再興・修復され、神仏習合のもとで白山妙大権現と改称された。室町時代に再び衰えたのち永禄元年(1558年)に復興し、享保2年(1717年)には社殿が建て替えられている。明治元年(1868年)の神仏分離・廃仏毀釈にともない白山妙大権現から現在の神田神社へ社名を戻し、明治3年に式内社として認定された。伊邪那岐命ら五柱を主祭神とし、猿田比古命・大山祇命・天照皇大神・菊理比女命・誉田別命・須佐之男命など、村内の諸社から多くの神々を合祀している。
- 所在地
- 岐阜県加茂郡東白川村神土604
- 御祭神
- 伊邪那岐命、伊邪那美命
- 系統
- 出雲
塩釜神社
松本城下の西、城山のふもとにあたる蟻ケ崎に鎮座する社で、陸奥国一宮の鹽竈神社(宮城県塩竈市)の分霊を勧請した分社にあたる。勧請の年代は明らかでないが、慶安4年(1651年)より前と考えられており、現存する本殿は明和5年(1768年)の造営と記録されている。祭神の塩土老翁命は人々に製塩を教えたと伝わる神で、海路の神・塩の神として信仰される。松本では安産守護の神としても崇敬され、底を抜いた柄杓を奉納して安産を願う習わしが伝えられてきた。旧社格は無格社で、夏の例祭は花火が上がる地域の祭りとして親しまれている。境内には境内社の八坂神社のほか、道祖神や歌碑が残る。
- 所在地
- 長野県松本市蟻ケ崎1-4-34
- 御祭神
- 塩土老翁命
星宮社
社伝では舒明天皇9年(637年)の創建と伝わる古社。この地に星が降り、それを祀ったのが始まりという伝承があり、落下した隕石を神格化したものとみる説もある。祭神の天津甕星神は、記紀で葦原中国平定の際に最後まで抵抗したとされる星の神で、『愛知郡誌』は国常立命と香々背男神の二柱を祭神とする。かつては現在の笠寺小学校付近に鎮座していたが、星崎城の築城にあたって現在地へ移されたと伝えられる。星崎の岬の突端にあたる地で、里人が灯した常夜燈が灯台の役目を果たしたとも伝わる。境内には上知我麻社・下知我麻社をはじめ九つの社が鎮座し、熱田神宮の境内社である上知我麻神社・下知我麻神社の元宮とする説もある。
- 所在地
- 愛知県名古屋市南区本星崎町字宮西616
- 御祭神
- 天津甕星神
比奈多乃神社
創建年代は不詳だが、延長5年(927年)にまとめられた延喜式神名帳に遠江国城飼郡の小社「比奈多乃神社」として載る式内社で、少なくともそれ以前の鎮座と考えられる。祭神の建比奈鳥命は天穂日命の子とされ、建比良鳥命と同一視される神で、国譲りの場面で経津主命とともに活躍したと伝えられる。中世には「天馬駒神社」と称され、神仏習合の時代には近隣の華厳院の鎮守社として祀られた。明治11年(1878年)に式内社としての社名である比奈多乃神社へ復している。掛川市南部の丘陵に鎮座し、徳川・武田両氏が争った高天神城跡に建つ高天神社とはごく近い位置にある。高天神社を式内比奈多乃神社の後裔とする説もあるが、地元では当社をその後裔としている。
- 所在地
- 静岡県掛川市上土方落合837
- 御祭神
- 建比奈鳥命
安曽神社
創祀年代は不詳です。独鈷山の麓、塩田平の古安曽に鎮座し、鈴子・石神・柳沢の三地区の産土神として崇敬されてきました。社伝では崇神天皇の御代に国家安泰を祈願して各地に社が建てられた際、「阿曾山舎社阿曾大明神」の勅額が奉納されたと伝えます。清和天皇の貞観年間(860年頃)には信濃権守の岑嗣が阿曽山舎社を再建し、仁和4年(888年)にも勅額が奉納されたといいます。寿永年間(1185年頃)に源頼朝が諸国の神社を修理させた折、地頭の芳沢光綱が地主神・石上布留社の境内に社を建てて遷座しました。明治29年9月に郷社に列格。諏訪の神を祀ることから神紋は梶で、境内には二階建ての随身門が残ります。
- 所在地
- 長野県上田市古安曽1500
- 御祭神
- 健南方富命、大己貴命
- 系統
- 出雲
籠渡白山社
富山県に鎮座する白山系の神社です。健康祈願・開運のご利益で知られます。
- 所在地
- 富山県南砺市籠渡1183
- 系統
- 白山
度津神社
新潟県佐渡市羽茂飯岡に鎮座し、五十猛命を祭神として、交通の守護神として島民の信仰を集めてきた。延長5年(927年)に完成した『延喜式』神名帳に記載される佐渡の式内社9社の一つで、佐渡国の一ノ宮と称する格式の高い神社である。文明2年(1470年)の洪水によって社地や古文書などが流失したため、現在の位置に移ったとされ、そのため詳しい由緒や縁起は明らかになっていない。境内は鬱蒼とした木々に囲まれ、二之鳥居から神門を経て、菊の御紋を掲げた荘厳な拝殿へと進む構えとなっている。初詣スポットとしても知られ、正月には島内各所から多くの人が参拝に訪れる。
- 所在地
- 新潟県佐渡市羽茂飯岡550-4
- 御祭神
- 五十猛命
神明宮
愛知県岡崎市大高味町字向田の山あいに鎮座し、天照大神を祀る神社。地元では大川神明宮とも呼ばれる。境内には「大川神明宮の舞台」と称される農村舞台が残されており、明治15年(1882)に建てられた入母屋造・茅葺平入で、棟に千木を載せた特徴的な外観をもつ。間口12.28m、奥行9.41m、高さ10.9mの規模で、内部には直径6.7mの回り舞台(22個の木車を用いた皿回し式)と、3.6m×1.5mの穴を使ったせり出しの仕掛けを備え、地芝居の上演設備をよく伝えている。大正11年(1922)には市川団吉一座が上演するなど、昭和30年(1955)ごろまで実際に芝居の舞台として使われた。昭和51年(1976)11月1日に愛知県指定有形民俗文化財となり、現在も神明宮が所有・管理している。
- 所在地
- 愛知県岡崎市大高味町字向田
- 御祭神
- 天照大神
- 系統
- 伊勢・神明
雄山神社
富山県中新川郡立山町に鎮座する越中国の式内社・旧国幣小社で、立山頂上の峰本社、芦峅寺の中宮祈願殿、岩峅寺の前立社壇という三つの社殿から成る。御祭神は伊邪那岐神(立山大権現雄山神)と天手力雄神(刀尾天神剱岳神)。社伝では大宝元年(701)、越中国司佐伯有若の嫡男・有頼が白鷹と黒熊に導かれて玉殿岩窟に至り、立山両権現の霊示を受けて文武天皇の勅命により立山を開山したと伝える。有頼は出家して慈興と号し、立山座主として芦峅寺に住んで立山信仰の宣布に生涯を捧げた。以後、神仏習合の一大霊場として皇室や武将の崇敬を受け、『梁塵秘抄』や『神道集』にも名が見える。天正13年(1585)には豊臣秀吉の越中侵攻で芦峅寺の諸堂が焼き払われ、明治の神仏分離でも大きな改変を受けたが、明治6年に県社、昭和15年に国幣小社に列した。前立社壇の本殿は間口五間の流造で神社本殿としては北陸最大、国の重要文化財である。
- 所在地
- 富山県中新川郡立山町域内に3社
- 御祭神
- 伊邪那岐神、天手力雄神
- 系統
- 多賀
中部に関連するご利益一覧
中部の神社一覧から、よく紐づくご利益をまとめています。