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和歌山県の勝負運神社

和歌山県で勝負運のご利益を目的に参拝したい神社を一覧で紹介します。

和歌山県の勝負運神社一覧

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和歌山県勝負運厄除け

広八幡神社

ひろはちまんじんじゃ

和歌山県有田郡広川町に鎮座する八幡宮で、社伝では欽明天皇の御代に河内国の誉田八幡宮から勧請されたと伝える。御祭神は誉田別命・足仲津彦命・気長足姫命。神功皇后が三韓征伐の帰途に有田の広村へ行幸したという縁起を持つ。室町時代初期の応永年間に土豪の梅本覚言が現在地へ遷宮したと記録され、摂社の棟札から応永20年(1413年)頃の造営が推定されている。天正年間の豊臣氏による紀州征伐で一部を焼失したが、江戸時代には紀州徳川家の手厚い保護を受けて興隆した。本殿や楼門など複数の建物が国の重要文化財に指定されている。安政の津波の際には濱口梧陵が村人とともに逃れた避難場所となり、「稲むらの火」の舞台として知られる。境内には勝海舟が撰文と題額を手がけた濱口梧陵碑が立つ。

系統
八幡
和歌山県勝負運厄除け

隅田八幡神社

すだはちまんじんじゃ

社伝では、神功皇后が外征からの帰途、筑紫を発って紀伊の衣奈浦を経て大和へ還幸する途中にこの地へ滞留したという旧跡とされ、欽明天皇の詔により貞観年間(859〜877年)に八幡宮が勧請されたと伝わる。のちに石清水八幡宮の社領となり「隅田の別宮」と称された。長治2年(1105年)には隅田荘の豪族で隅田党の祖である長(のちの藤原・隅田)忠延が社務を司る俗別当職となり、次いで荘官の公文職にも任じられ、以後代々両職を務めた。鎌倉時代以降は隅田党の氏神として社頭堂塔も整い栄えたが、永禄3年(1560年)松永久秀の攻略で社殿を焼失し慶長年間に再建。江戸時代は隅田荘十六か村の産土神として紀州徳川家の崇敬を受けた。文政2年(1819年)に再び焼失し同5年に再建されている。明治の神仏分離で神宮寺の大高能寺が分離され、大正5年に県社となった。境内には国宝「人物画象鏡」の記念碑が立つ。

御祭神
誉田別尊、足仲彦尊
系統
八幡
和歌山県勝負運厄除け

丹生官省符神社

にうかんしょうぶじんじゃ

丹生官省符神社は、弘仁7年(816年)に弘法大師空海が慈尊院を開創する際、丹生都比売大神と高野御子大神の二神を祀ったのが始まりと伝わる。慈尊院の奥に続く119段の石段を上った先に鎮座し、ここは高野山への参詣道である町石道の起点にもあたる。本殿は国の重要文化財に指定され、境内周辺は国の史跡「高野山参詣道」の一部としても指定を受けている。2004年には、慈尊院とともにユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産として登録された。

所在地
和歌山県伊都郡九度山町慈尊院835
御祭神
丹生都比売大神、高野御子大神
系統
八幡

和歌山県で勝負運の神社を選ぶポイント

勝負運の参拝先を選ぶときは、所在地だけでなく、御祭神・由緒・アクセスを合わせて確認すると巡りやすくなります。和歌山県内で複数の神社を比較し、旅程に合う場所から参拝先を絞り込んでください。

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