Shrine

広八幡神社ひろはちまんじんじゃ

和歌山県に鎮座する八幡系の神社です。勝負運・厄除け・スポーツのご利益で知られます。

由緒

和歌山県有田郡広川町に鎮座する八幡宮で、社伝では欽明天皇の御代に河内国の誉田八幡宮から勧請されたと伝える。御祭神は誉田別命・足仲津彦命・気長足姫命。神功皇后が三韓征伐の帰途に有田の広村へ行幸したという縁起を持つ。室町時代初期の応永年間に土豪の梅本覚言が現在地へ遷宮したと記録され、摂社の棟札から応永20年(1413年)頃の造営が推定されている。天正年間の豊臣氏による紀州征伐で一部を焼失したが、江戸時代には紀州徳川家の手厚い保護を受けて興隆した。本殿や楼門など複数の建物が国の重要文化財に指定されている。安政の津波の際には濱口梧陵が村人とともに逃れた避難場所となり、「稲むらの火」の舞台として知られる。境内には勝海舟が撰文と題額を手がけた濱口梧陵碑が立つ。

基本情報

この神社について

ご利益
勝負運厄除けスポーツ
系統・信仰
八幡

アクセス・参拝情報

アクセス
JR紀勢本線(きのくに線)の湯浅駅からタクシーで約5分。車では湯浅御坊道路の広川ICから約5分、有田ICから約10分。
受付時間
2月 3日 16:00 節分祭
駐車場
楼門から北へ80メートルの位置に第一駐車場(バス・乗用車兼用、約40台)、南へ70メートルの位置に第二駐車場(約15台)がある。

公式情報・問い合わせ

電話番号
0737-63-5731
SNSアカウント

例大祭

例大祭は10月1日の秋祭で、前日の9月30日に秋祭宵宮が行われる。和歌山県指定無形文化財で国の選択無形民俗文化財でもある田楽舞が奉納される。

年間行事

1月1日に歳旦祭、1月15日にどんと祭、1月25日に初天神、2月3日に節分祭、3月の第2または第3日曜日に献花祭、4月25日に春祭、7月14日に夏祭宵宮と灯華祭、7月15日に夏祭、7月31日に夏越祭、10月の第3土曜日に稲むらの火祭、11月23日に新穀感謝祭、12月31日に大祓式が行われる。このほか毎月1日と15日に月次祭、毎月25日に天神社月次祭が営まれる。

よくある質問

広八幡神社の参拝前に確認したい情報をまとめます。

広八幡神社の受付時間はいつですか?

2月 3日 16:00 節分祭

広八幡神社の例大祭はいつですか?

例大祭は10月1日の秋祭で、前日の9月30日に秋祭宵宮が行われる。和歌山県指定無形文化財で国の選択無形民俗文化財でもある田楽舞が奉納される。

広八幡神社にはどのような年間行事がありますか?

1月1日に歳旦祭、1月15日にどんと祭、1月25日に初天神、2月3日に節分祭、3月の第2または第3日曜日に献花祭、4月25日に春祭、7月14日に夏祭宵宮と灯華祭、7月15日に夏祭、7月31日に夏越祭、10月の第3土曜日に稲むらの火祭、11月23日に新穀感謝祭、12月31日に大祓式が行われる。このほか毎月1日と15日に月次祭、毎月25日に天神社月次祭が営まれる。

広八幡神社の公式情報はどこで確認できますか?

広八幡神社の公式情報は公式サイトで確認できます。参拝前に最新の受付時間や祭事情報を確認してください。

広八幡神社に関連する目的別ページ

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近隣神社

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和歌山県勝負運厄除け

隅田八幡神社

すだはちまんじんじゃ

社伝では、神功皇后が外征からの帰途、筑紫を発って紀伊の衣奈浦を経て大和へ還幸する途中にこの地へ滞留したという旧跡とされ、欽明天皇の詔により貞観年間(859〜877年)に八幡宮が勧請されたと伝わる。のちに石清水八幡宮の社領となり「隅田の別宮」と称された。長治2年(1105年)には隅田荘の豪族で隅田党の祖である長(のちの藤原・隅田)忠延が社務を司る俗別当職となり、次いで荘官の公文職にも任じられ、以後代

御祭神
誉田別尊、足仲彦尊
系統
八幡
和歌山県勝負運厄除け

丹生官省符神社

にうかんしょうぶじんじゃ

丹生官省符神社は、弘仁7年(816年)に弘法大師空海が慈尊院を開創する際、丹生都比売大神と高野御子大神の二神を祀ったのが始まりと伝わる。慈尊院の奥に続く119段の石段を上った先に鎮座し、ここは高野山への参詣道である町石道の起点にもあたる。本殿は国の重要文化財に指定され、境内周辺は国の史跡「高野山参詣道」の一部としても指定を受けている。2004年には、慈尊院とともにユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場

所在地
和歌山県伊都郡九度山町慈尊院835
御祭神
丹生都比売大神、高野御子大神
系統
八幡
京都府勝負運厄除け

宇治上神社

うじがみじんじゃ

宇治川東岸、朝日山の山裾に鎮座する。応神天皇の末の皇子で聡明さゆえに皇太子に立てられた菟道稚郎子命を主祭神とし、応神天皇・仁徳天皇を併せ祀る。社伝では、応神天皇の崩御後に菟道稚郎子が兄の仁徳天皇へ皇位を譲ろうとし、仁徳天皇も父帝の定めを変えられないとして3年にわたり譲り合った結果、世の乱れを憂えた菟道稚郎子が自ら命を絶ち、これを知った仁徳天皇が難波から急ぎ宇治へ赴いて手厚く葬ったことが、のちの創建

所在地
京都府宇治市宇治山田59
御祭神
菟道稚郎子命、応神天皇
系統
八幡
兵庫県勝負運厄除け

魚吹八幡神社

うすきはちまんじんじゃ

神功皇后摂政3年(202年)、皇后が神託を受けて宇須伎津の浄地を開き、小さな社を建てて玉依比賣命を祀り敷嶋宮と号したのが起こりと伝えられる。のちに仁徳天皇7年(319年)、応神天皇(品陀和氣命)と神功皇后(息長足比賣命)を合わせ祀り、現在の三柱となった。播磨地方でも最大級の24か町・1万数千戸におよぶ氏子圏を持ち、当社の祭礼に漁民が一斉に休漁して網を干して参詣したことが「網干」の地名の由来と伝えら

所在地
兵庫県姫路市網干区宮内193
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡