由緒
豊臣秀吉は天正2年(1574)から長浜城と城下町の建設に着手し、約10年にわたり長浜に善政を敷いた。慶長3年(1598)の秀吉逝去後、長浜町民は京都の豊国廟にならって早々に豊国神社を建立したが、徳川政権下では秀吉の神格化が許されず社殿は取り壊され、町役人十人衆が御神像を各家庭に隠して祀り続けた。寛政5年(1793)、彦根藩の許可を得て「えびす宮」を建立し、太閤の御神像をその裏に隠して祀ったのが当社の十日戎の始まりとされる。弘化3年(1846)には豊臣家の一字をとり「豊神社(みのり神社)」と称し、大正9年(1920)にようやく豊國神社の社名に復した。御祭神は豊臣秀吉公・加藤清正公・木村長門守重成公と、えびす宮の八重事代主命。