近畿の神社一覧
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近畿の神社一覧
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柳原蛭子神社
神戸市兵庫区の柳原、兵庫津の道と西国街道が交わる要地に鎮座する。平安時代以来の良港であった大輪田泊は、平清盛による港湾整備を経て「兵庫津」として海陸の要衝に発展し、当社はその西の玄関口にあたる柳原惣門の前に位置していた。創建年代は明らかでないが、元禄5年の兵庫津「寺社改帳」に社名が見えることから、それ以前から祀られていたことが分かる。社伝では蛭子命が淡路の島より津国へ遷って一社が創建されたと伝え、かつては毎年8月22日に西宮神社からの神幸渡御が行われ、当時の社地であった西宮内町が神輿の行在所となっていた。その後、現在の柳原の地へ遷座している。江戸時代後期の光格天皇の御代には奉幣勅使の代参もあり、福徳守護の神として信仰が広がった。今日では「柳原のえべっさん」の名で親しまれている。
- 所在地
- 兵庫県神戸市兵庫区西柳原町5-20
- 御祭神
- 蛭子大神、大物主大神
- 系統
- 恵比寿
弥栄神社
岸和田市北部の春木地区に鎮座する神社。社地は洪積台地の先端部を覆う砂丘の上にあり、古くから八幡山と呼ばれてきた。創建の年代や由緒は明らかでないが、室町時代後期の天文年間(1532〜1555年)にはすでに神社としての形を整えていたと伝えられる。主祭神は素盞嗚尊。現在は春木地区の氏神として崇敬を集めており、毎年9月に行われる岸和田のだんじり祭では、春木地区のだんじりが当社へ宮入りする。祭礼の日は境内が一年で最もにぎわう。南海本線春木駅から西へ徒歩15分ほど、住宅と商店が並ぶ市街地のなかに社叢を残して鎮座している。
- 所在地
- 大阪府岸和田市八幡町13-25
- 御祭神
- 素盞嗚尊
陽夫多神社
伊賀市東部、旧阿拝郡の谷あいに鎮座する延喜式内社で、伊賀河合郷の総社とされる。社伝では宣化天皇3年(538年)の創建と伝わり、国造の多賀連が祭祀にあたったという。もとは現在地より東の藤山に鎮座していたとされ、藪田神社、高松祇園社、河合天王などとも呼ばれた。主祭神は健速須佐之男命で、五男三女神を配祀するほか、明治期の神社合祀により多くの神々が合わせ祀られている。7月31日から8月1日の祇園祭では三重県指定無形民俗文化財の「願之山行事」が奉納され、2月18日の夜には伊賀市で唯一の裸祭り「裸々押し」が行われるなど、古い祭礼が今も受け継がれている。本殿裏手の宮山には古墳群と中世・戦国期の城跡があり、「やぶた古墳の杜」として散策道が整備されている。
- 所在地
- 三重県伊賀市馬場951
- 御祭神
- 健速須佐之男命、五男三女神
須佐之男神社
鎮座した年代は明らかでないが、慶長年間(1596〜1615)にはすでに社があったと記録され、明治維新までは牛頭天王社と称していた。境内地は年貢を免除された除地であったと伝わる。主祭神の須佐之男命は祓いを司る神として、家内安全のほか疫病や方位にまつわる災厄を祓う神として広く信仰を集めてきた。相殿には天照皇大神と建御名方神を祀る。古くは土師氏の祖とされる野見宿禰の後裔がこの地に移り住んだと伝えられ、その縁故から子爵の五條為栄が参拝して自ら若松を植え、変わらぬ契りを記した碑が境内に残されている。阪神本線の香櫨園駅から北西へ700mほどの西宮市郷免町に鎮座する。
- 所在地
- 兵庫県西宮市郷免町2-1
- 御祭神
- 須佐之男命、天照皇大神
- 系統
- 八坂
仙宮神社
創建年代は不詳。『天照皇大神御天降記』に記される志摩国の元伊勢伝承地・多古志宮の旧跡地とされ、伊勢神宮外宮の流れを汲む度会神道と関わりが深い。奈津の山中に祀られていた三狐神社(現在は神前神社に合祀)を「下の宮」と呼ぶのに対し、当社は「上の宮」と称される。社伝によれば仁治年間(1240年頃)に官符を賜り、興国・慶長・元和の各年間に諸方から寄進があったが、その記録は安政年間の高津波で流失したという。元和5年(1619年)に紀州徳川頼宣が入国した際には神領三石が下され、享保9年(1724年)には参道入口に「禁殺生」の石碑が寄進された。明治8年12月に郷社に列せられ、明治39年には神饌幣帛料供進社に指定された。神職は創始以来、加藤家が世襲している。境内には天竺僧佛哲和尚が植えたと伝わる多羅樹があり、本殿後方には巨大な磐座が残る。
- 所在地
- 三重県度会郡南伊勢町河内甲宮山77
- 御祭神
- 猿田彦命、大宮比賣命
龍穴神社
創建年代は明らかでないが、近隣の室生寺よりも古い歴史をもつと伝えられる古社で、水を司る高龗神(たかおかみのかみ)を祀る。奈良時代から平安時代にかけては朝廷が勅使を派遣して雨乞いの神事を営んだと伝わり、室生寺が当社の神宮寺と位置づけられた時代もあった。社殿の上流には龍神が棲むと伝わる洞穴「妙吉祥龍穴」があり、古代から神聖な磐境とされてきた。現在の春日造の本殿は、春日大社若宮の社殿を江戸時代の寛文11年(1671年)に移築したもので、奈良県の指定文化財となっている。毎年10月の秋祭りでは、2頭の獅子が五穀豊穣と魔除けを祈願して舞う「室生の獅子舞」が奉納される。
- 所在地
- 奈良県宇陀市室生1297
- 御祭神
- 高龗神
尾野神社
創立年代は不詳。三重県神社庁が引く『桑名市史』によれば、当社はもともと入江・田宮・船戸の三か村の総社で、三村が合併して東方村となったのち、入江村の人々が尾野入江のほとりで尾野神社を祀ったという。尾野山北の鼻山に鎮座していた社を後に船着大明神の社へ遷して相殿としたとの説もあり、「船着大明神」の別名で呼ばれてきた。境内には御霊と称する前方後円型の古墳があり、往古はその付近に社殿が建っていたと伝える。永禄10年(1567年)には織田信長の兵乱で別当寺の小野山正斎坊が廃絶し、社蔵の古文書や古器物もことごとく焼失した。『延喜式』神名帳の伊勢国桑名郡に載る尾野神社の比定社とされ、倭姫命が巡行した桑名野代宮の伝承地(元伊勢)の一つにも数えられる。明治29年(1896年)に県社へ昇格し、明治41年(1908年)には式内社の立坂神社を合祀した。
- 所在地
- 三重県桑名市大字東方2194
- 御祭神
- 天押帯日子命、天照大御神
六縣神社
曽我川の右岸の堤に接して境内を構える旧村社。もとは「六所明神」「保田明神」と呼ばれていたが、神殿に六面の神鏡が掛けられていたことから、明治初期に六縣神社と改称された。祭神の六縣命は、高市・葛木・十市・志貴・山辺・曽布という大和国の六つの県(あがた)を司る神々とされる。境内は隣接する富貴寺と一体で、神仏習合の名残をとどめる。毎年2月11日の夜に拝殿で行われる御田植神事「子出来おんだ祭」で広く知られ、水見回り・牛使い・施肥・土こなげ・田植・螺拾いの六つの所作に続いて、妊婦(本厄の男性が演じる)が夫のもとへ弁当を運び出産の所作を見せる安産の神事、さらに種蒔きの所作が演じられる。この神事は平成18年(2006)に奈良県の指定文化財となった。
- 所在地
- 奈良県磯城郡川西町保田30
- 御祭神
- 高市命、葛木命
宗像神社
桜井市外山(とび)、鳥見山の山麓に鎮座する式内社で、『延喜式』神名帳に「宗像神社三座」と載る名神大社。宗像三女神を祀り、『日本三代実録』には筑前国の宗像神社(現・宗像大社)と「同神別社」であると記されている。創祀の経緯は詳らかでなく、天武天皇の後宮に入って高市皇子を生んだ胸形尼子娘の縁により皇子の外戚の氏神として祀られたとする伴信友の説のほか、畿内に住んだ宗像氏が本貫地の神を分祀したとする説もある。のちに高市皇子の後裔とされる高階氏が氏神として崇め、元慶4年(880)に官社に列した。南北朝時代の興国2年(1341)、高階義岑が弟とともに南朝方に与して鵄(とび)村で戦った際の兵火により社殿を焼失し、社領も失って衰退、以後は長く「春日社」と称された。幕末には国学者・鈴木重胤の尽力もあって、安政6年(1859)に筑前の宗像神社から改めて神霊を迎え、翌万延元年(1860)に社殿を復旧している。明治8年(1875)に宗像神社の社号へ復し、同40年(1907)に村社となった。
- 所在地
- 奈良県桜井市外山818
- 御祭神
- 多紀理毘売命、市寸嶋比売命
- 系統
- 厳島
宗像神社
京都御苑の南西部、かつての花山院邸跡に鎮座する。社伝では延暦14年(795)、藤原冬嗣が桓武天皇の命を受け、皇居鎮護のために筑前の宗像神(現在の福岡・宗像大社の三女神)を勧請し、自邸である東京第の西南隅に祀ったのが創祀とされる。この邸はのちに東の花山院と西の小一条第に分かれ、『帝王編年記』『日本三代実録』などの古記録には当社の鎮座地が小一条殿と記される。天承元年(1131)に藤原家忠が花山院を伝領して花山院家を開くと、同家が別当として代々奉祀した。応仁の乱の兵火で焼失したが再建され、周辺一帯が公家町となったのちも鎮座地を変えず、明治8年(1875)に府社に列している。市寸島比売命を祀ることから「御所の弁天さん」と呼ばれ、御所の裏鬼門にあたることから方除けの信仰も集めてきた。境内には繁栄稲荷社・少将井社・金刀比羅宮・花山稲荷社のほか、昭和44年(1969)に観光業者の発案で創祀された京都観光神社が並ぶ。
- 所在地
- 京都府京都市上京区京都御苑9
- 御祭神
- 多紀理比売命、多岐都比売命
- 系統
- 厳島
本居宣長ノ宮
『古事記伝』を著した江戸中期の国学者・本居宣長を神として祀る神社。碩学である宣長を神として祀ろうとする気運は早くからあり、明治初年に川口常文らが主唱して実現した。明治8年(1875)3月、旧山室村にある宣長の奥墓のかたわらに社殿を建て、山室山神社と号したのが創祀である。明治22年(1889)に現在の松阪市役所が建つ地へ遷座し、明治36年(1903)には県社に昇格した。大正4年(1915)、松阪発祥の聖地とされる四五百(よいほ)の森へ遷り、現在地に落ち着いている。昭和6年(1931)に社号を本居神社と改め、戦後の社格廃止と宗教法人化を経て、平成7年(1995)に現在の「本居宣長ノ宮」となった。相殿には宣長の学統を継いだ平田篤胤を祀り、学業成就・合格祈願の神として信仰を集める。境内には、市内の紡績工場から遷された末広稲荷大神も鎮座する。
- 所在地
- 三重県松阪市殿町1533番地2
- 御祭神
- 秋津彦美豆櫻根大人(本居宣長)、神霊能真柱大人(平田篤胤)
還来神社
祭神の藤原旅子は太政大臣・藤原百川の娘で、桓武天皇の妃となり淳和天皇を生んだ。社伝によれば、龍華の荘(現在の大津市伊香立途中町・上龍華町・下龍華町)は藤原氏の食邑地で旅子の生誕地にあたり、延暦7年(788年)に没した際「生地である比良南麓の梛の大木の下に葬れ」と遺命したことから、この地に神霊として祀られたという。平治の乱(1159年)で敗走した源義朝の一行が当社で白羽鳴鏑の矢を献じて武運長久を祈り、途中で落伍した源頼朝も山中をさまよった末に社頭へたどり着いて源氏再興を祈願し、東国へ落ち延びたと伝える。後年、頼朝は神恩に報いて神田を寄進した。「還り来る」という社名の由緒から、日清・日露戦争や太平洋戦争では出征者の無事帰還を祈る参拝が絶えず、現在も旅行安全・交通安全・病気平癒・尋ね人の帰還祈願で信仰を集めている。
- 所在地
- 滋賀県大津市伊香立途中町518
- 御祭神
- 藤原旅子霊
水屋神社
社伝では千年余り前に大和・春日大社の安在所として天児屋根命を祀ったことに始まり、大化4年(648年)に奈良の三笠山から素盞鳴命と龍神姫命を勧請したと伝える。和銅3年(710年)に興福寺東門院領「閼伽桶の庄」となり、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦以降は伊勢領に属した。南北朝期、文中2年(1373年)の棟札にも「大和州閼伽桶庄宮」と記されている。垂仁天皇の代に天照大神が当地を巡幸した際、鎮座していた春日の神と議って櫛田川の巨石をもって伊勢・大和両国の境と定めたという伝承があり、里人はこの石を「礫石」、付近を「堺が瀬」と呼ぶ。社名も所在地名「赤桶」も神事も祭神も水に関わり、西方約700mには「閼伽桶の井」がある。社殿は朱塗りの春日造三殿並立から明治25年に現在の神明造へ改められた。
- 所在地
- 三重県松阪市飯高町赤桶2507
- 御祭神
- 天児屋根命、素盞鳴尊
鹽津神社
創祀の年代は不詳ですが、『延喜式神名帳』に近江国浅井郡の式内社として記される「鹽津神社」の論社とされ、香取神社・香取五神社とともに比定候補に挙げられています。祭神は製塩や航海を司るとされる塩土老翁神で、彦火火出見尊と豊玉姫尊を配祀します。鎮座地の塩津浜は琵琶湖の最北端にあたり、日本海側と湖上水運を結ぶ港として古くから開けた土地で、社名も地名と結びついています。近代の社格では明治9年(1876年)に村社、明治17年(1884年)に郷社へ加列されました。本殿は一間社流造で、神紋は三ッ巴。境内社として八幡神社・琴平神社・愛宕神社が祀られています。平成20年(2008年)には近隣の遺跡から神像5体が出土し、当社との関わりが研究の対象となっています。
- 所在地
- 滋賀県長浜市西浅井町塩津浜547
- 御祭神
- 塩土老翁神、彦火火出見尊
狭井神社
大神神社の摂社で、正式には狭井坐大神荒魂神社という。三輪山の北麓、大神神社の拝殿から北へ延びる「くすり道」を進んだ先に鎮座する。社伝では垂仁天皇の時代の創祀と伝えられ、『延喜式』神名帳にも名を載せる古社である。主祭神は三輪の神の荒魂で、その力強い神威から古来病気平癒の神として厚い信仰を集めてきた。境内の井戸は社名「狭井」の由来とされ、湧き出る水は薬水と呼ばれて万病に効くと伝えられてきた。4月18日の鎮花祭は「薬まつり」の名で知られ、大宝律令(701年)に大神神社とこの社で行う国家の祭祀として規定された疫病除けの神事で、現在も製薬・医薬関係者が多く参列する。境内には三輪山への登拝口があり、その受付を担っている。
- 所在地
- 奈良県桜井市三輪1422
- 御祭神
- 大神荒魂神、大物主神
上許曾神社
近江国浅井郡に鎮座する式内社で、『延喜式』神名帳に載る近江国155座のうち浅井郡14社の一つに数えられる。社伝によれば桓武天皇の延暦8年(789年)、参議・橘奈良麻呂が詔を受けて草野姫命を勧請し、上許曽社と称したのが創建という。仁寿元年(851年)には正六位を授けられたと伝わる。治承年間(1177〜81年)に相殿として4柱の神を合わせ祀った。一帯は古く草野郷・上草野郷、のちに上許曽庄などと呼ばれた地で、社名もこの地名に由来する。明治9年(1876年)に村社、明治15年(1882年)に郷社へ列格した。本殿は入母屋造で、境内には大杉が育ち、上草野の地の鎮守として今日まで祀られている。
- 所在地
- 滋賀県長浜市高山町2
- 御祭神
- 草野姫命
蒲田神社
大阪市淀川区東三国に鎮座する氏神社。社伝では南北朝時代、この地の有力者であった佛生院又三郎が播磨国室津の「室の明神」の分霊を迎え、村の鎮守として祀ったことに始まると伝わる。あわせて、上賀茂社の分霊を船で室の宮へ移す途中につむじ風に遭い、この地で風待ちをした縁で当社にも勧請したという古伝も残る。祭神は食物と稲を司る宇賀御魂神と、雷除け・厄除けの神である別雷神。明治5年(1872年)に村社に列し、明治42年(1909年)12月、一帯が蒲の茂る田園であったことにちなんで現在の社名に改められた。境内には樹齢650年以上と伝わる楠の切り株が安置され、その上に小さな祠が祀られているほか、樹齢数百年の楠が数本現存している。
- 所在地
- 大阪府大阪市淀川区東三国2-18-12
- 御祭神
- 宇賀御魂神、別雷神
星田神社
創建年代は詳らかでない。社伝によれば、古く境内に一本の大杉があり、そこに交野物部氏の祖神である饒速日命を「交野大明神」として祀ったのが起こりとされる。天文4年(1535年)の奥書をもつ神名帳に交野大明神の名が見え、正平21年(1366年)銘の石塔も伝わっていたという。宝永年間(1704〜1711年)に磐船神社から住吉四神の神霊が遷され、現在の本殿が建立された。以後は底筒男命・中筒男命・表筒男命と神功皇后を祀り、総称して住吉大神と称して、航海守護や産業・住居の守護、安産の神として崇敬されている。もとの祭神である交野大明神は境内の交野社(古宮)に祀られ、毎年6月19日に古宮祭が営まれる。
- 所在地
- 大阪府交野市星田2丁目5-14
- 御祭神
- 底筒男命、中筒男命
波久奴神社
滋賀県長浜市高畑町に鎮座する式内社で、旧社格は郷社。創建の年代は明らかでない。配祀の物部守屋大連については、用明天皇2年(587年)の争いで蘇我馬子に敗れた守屋が漆部小坂を伴って自らの領地であった当地へ逃れ、追跡を避けるため同年10月に小谷山東峡の岩窟へ隠れ、その後は萩の茂る高畑の地に草庵を結んで「萩生翁」と名を偽りながら里人を教化したという伝承が残る。没後、里人がその徳を偲んで祠を建て「正一位萩野大明神」と崇めたのが起こりと伝えられる。明治14年(1881年)に郷社に列格し、明治34年(1901年)には物部守屋大連を合祀した。本殿は三間社流造。
- 所在地
- 滋賀県長浜市高畑町296
- 御祭神
- 高皇産霊神、物部守屋大連
平群神社
創建年代は不詳です。古代豪族・平群氏の祖とされる平群木菟宿禰を主祭神とし、『日本書紀』が木菟宿禰は仁徳天皇と同じ日に生まれたと伝えることで知られます。その後裔が伊勢国へ移り住み、祖神を祀ったのが当社の始まりと伝えられています。延喜式内社に比定される古社で、社殿は平群山の東斜面に鎮座します。この地は倭建命が足を留めた場所という伝承も残り、境内には歌碑が建てられています。のちに武内宿禰、天照大神、大己貴命、素戔嗚命、大山津見命、倭建命が合祀されました。
- 所在地
- 三重県桑名市志知3693
- 御祭神
- 平群木菟宿禰、武内宿禰
- 系統
- 出雲
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