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滋賀県の神社

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滋賀県の神社一覧

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滋賀県開運

還来神社

もどろぎじんじゃ

祭神の藤原旅子は太政大臣・藤原百川の娘で、桓武天皇の妃となり淳和天皇を生んだ。社伝によれば、龍華の荘(現在の大津市伊香立途中町・上龍華町・下龍華町)は藤原氏の食邑地で旅子の生誕地にあたり、延暦7年(788年)に没した際「生地である比良南麓の梛の大木の下に葬れ」と遺命したことから、この地に神霊として祀られたという。平治の乱(1159年)で敗走した源義朝の一行が当社で白羽鳴鏑の矢を献じて武運長久を祈り、途中で落伍した源頼朝も山中をさまよった末に社頭へたどり着いて源氏再興を祈願し、東国へ落ち延びたと伝える。後年、頼朝は神恩に報いて神田を寄進した。「還り来る」という社名の由緒から、日清・日露戦争や太平洋戦争では出征者の無事帰還を祈る参拝が絶えず、現在も旅行安全・交通安全・病気平癒・尋ね人の帰還祈願で信仰を集めている。

所在地
滋賀県大津市伊香立途中町518
御祭神
藤原旅子霊
滋賀県開運

鹽津神社

しおつじんじゃ

創祀の年代は不詳ですが、『延喜式神名帳』に近江国浅井郡の式内社として記される「鹽津神社」の論社とされ、香取神社・香取五神社とともに比定候補に挙げられています。祭神は製塩や航海を司るとされる塩土老翁神で、彦火火出見尊と豊玉姫尊を配祀します。鎮座地の塩津浜は琵琶湖の最北端にあたり、日本海側と湖上水運を結ぶ港として古くから開けた土地で、社名も地名と結びついています。近代の社格では明治9年(1876年)に村社、明治17年(1884年)に郷社へ加列されました。本殿は一間社流造で、神紋は三ッ巴。境内社として八幡神社・琴平神社・愛宕神社が祀られています。平成20年(2008年)には近隣の遺跡から神像5体が出土し、当社との関わりが研究の対象となっています。

所在地
滋賀県長浜市西浅井町塩津浜547
御祭神
塩土老翁神、彦火火出見尊
滋賀県開運

上許曾神社

かみこそじんじゃ

近江国浅井郡に鎮座する式内社で、『延喜式』神名帳に載る近江国155座のうち浅井郡14社の一つに数えられる。社伝によれば桓武天皇の延暦8年(789年)、参議・橘奈良麻呂が詔を受けて草野姫命を勧請し、上許曽社と称したのが創建という。仁寿元年(851年)には正六位を授けられたと伝わる。治承年間(1177〜81年)に相殿として4柱の神を合わせ祀った。一帯は古く草野郷・上草野郷、のちに上許曽庄などと呼ばれた地で、社名もこの地名に由来する。明治9年(1876年)に村社、明治15年(1882年)に郷社へ列格した。本殿は入母屋造で、境内には大杉が育ち、上草野の地の鎮守として今日まで祀られている。

所在地
滋賀県長浜市高山町2
御祭神
草野姫命
滋賀県開運

波久奴神社

はくぬじんじゃ

滋賀県長浜市高畑町に鎮座する式内社で、旧社格は郷社。創建の年代は明らかでない。配祀の物部守屋大連については、用明天皇2年(587年)の争いで蘇我馬子に敗れた守屋が漆部小坂を伴って自らの領地であった当地へ逃れ、追跡を避けるため同年10月に小谷山東峡の岩窟へ隠れ、その後は萩の茂る高畑の地に草庵を結んで「萩生翁」と名を偽りながら里人を教化したという伝承が残る。没後、里人がその徳を偲んで祠を建て「正一位萩野大明神」と崇めたのが起こりと伝えられる。明治14年(1881年)に郷社に列格し、明治34年(1901年)には物部守屋大連を合祀した。本殿は三間社流造。

所在地
滋賀県長浜市高畑町296
御祭神
高皇産霊神、物部守屋大連
滋賀県安産子宝

吉姫神社

よしひめじんじゃ

滋賀県湖南市石部東に鎮座する古社で、同じ湖南市内の吉御子神社と女神・男神の対をなす関係にあると伝えられる。吉御子神社側の由緒によれば、垂仁天皇2年に宇加之彦の子である吉比古・吉比女の二神を神籠(ひもろぎ)を建てて祀ったことに始まり、承平5年(935年)に両神を末社から本社へ遷して吉御子神社と称するようになったという。当社はこのうち女神である吉比女(吉姫)を祀る社にあたる。社に伝わる木造狛犬は南北朝時代の作とされ、素朴で愛らしい表情で知られる。毎年5月1日の石部祭では、吉御子神社と当社の両社から神輿が同時に担ぎ出され、それぞれの御旅所へ向かって市内を巡行する。

所在地
滋賀県湖南市石部東8-4-1
御祭神
木花開耶姫、上鹿葺津姫
系統
浅間
滋賀県開運

馬見岡綿向神社

うまみおかわたむきじんじゃ

滋賀県蒲生郡日野町村井に鎮座し、天穂日命・天夷鳥命・武三熊大人命を祀る。社伝では神武天皇の御代に、出雲国から天穂日命に供奉して来た彦健忍雄心命が東方に聳える綿向山に開拓の祖神を迎え祀ったのが起こりで、欽明天皇6年(545年)に山頂へ祠を建てたのが創祀と伝える。平安初期の延暦15年(796年)に里宮として現在地へ遷され、『延喜式』神名帳にみえる馬見岡神社の論社とされる。以来、蒲生上郡の総社・日野の大宮として当地の産土神と仰がれ、鎌倉から安土桃山期にはこの地の領主であった蒲生氏一族が氏神として庇護し、江戸時代には全国に名をはせた日野商人の財力に支えられて出世開運の神として崇敬を集めた。現在の本殿は宝永4年(1707年)に氏子中の寄進により建立されたもの。標高1,110mの綿向山山頂に祀る奥之宮・大嵩神社では、20年ごとに社殿を建て替える式年遷宮が今も続けられている。

所在地
滋賀県蒲生郡日野町村井705
御祭神
天穂日命、天夷鳥命
滋賀県交通安全美容

都久夫須麻神社

つくぶすまじんじゃ

琵琶湖に浮かぶ竹生島に鎮座し、竹生島神社とも呼ばれる。市杵島比売命(弁財天)、宇賀福神、産土神の浅井比売命、龍神を祀る。『総国風土記』は雄略天皇3年(459年)に浅井姫命を祀る小祠が建てられたのを始まりとし、縁起では神亀元年(724年)に天照大神の神託によって市杵島姫命が当島に祀られ、天平3年(731年)に聖武天皇が参拝して神殿を新築し、社前に天忍穂耳命・大己貴命を祀ったと伝える。天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱では当社の神護によって乱が治まったとして神位が授けられたと記される。平安期に神宮寺の宝厳寺が島内に建立されて以降、天台の僧の参詣を通じて弁才天信仰が盛んになり、寿永2年(1183年)に平経正が当社拝殿で琵琶の秘曲を弾じた逸話は『平家物語』などに伝わる。数度の火災を経て再建され、現在の本殿は慶長7年(1602年)に伏見桃山御殿の一部を移して造営されたもので、国宝に指定されている。

所在地
滋賀県長浜市早崎町1665
御祭神
市杵島比売命、宇賀福神
系統
厳島
滋賀県開運

苗村神社

なむらじんじゃ

滋賀県蒲生郡竜王町綾戸に鎮座する式内社で、延喜式神名帳の「長寸(なむら)神社」にあたる。社伝では垂仁天皇の代にこの地を開拓した祖神を祀ったのが創祀とされ、神域の東に祀られたその社を後に東本殿と呼ぶようになった。御祭神は那牟羅彦神・那牟羅姫神と國狹槌尊で、國狹槌尊は安和2年(969)に大和国吉野金峯山から神域の西へ遷座したと伝え、その社殿を西本殿と称する。西本殿は徳治3年(1308)の棟札とともに国宝に指定され、東本殿・楼門・神輿庫・八幡社本殿・十禅師社本殿などは重要文化財。社名は寛仁元年(1017)に朝廷へ門松用の松苗を献上した縁で後一條天皇から「苗村」の号を賜ったことによると伝え、天文5年(1536)には後奈良天皇から正一位を授けられた。近郷三十三か村に氏子を持つ大宮である。

滋賀県開運

石作神社・玉作神社

いしつくりじんじゃ たまつくりじんじゃ

創祀の年代は遠く、詳らかでない。石作神社の祭神・天火明命は石作連の祖神で、この地はかつて石作郷と称し、『延喜式神名帳』の近江国伊香郡46座のなかに石作神社の名が見える。玉作神社も同帳に載る古社で、玉作連の祖とされる玉祖命を祭神とする。付近の水田の中には「石作」と呼ばれる小丘が残り、古来より浄地として犯してはならないと伝えられてきた。石作部・玉作部は上代文化を地方へ伝えた人々とされ、両社がこの地に並び立つことは、伊香郡の上代文化の中心がどこにあったかを示すものだという。中世以降はたびたび戦禍に遭って社運が傾いたが、その都度再建・再興が試みられて今日に至る。明治9年に村社、明治18年に郷社、大正11年には県社へ昇格した。

所在地
滋賀県長浜市木之本町千田793
御祭神
天火明命、玉祖命
滋賀県開運

伊香具神社

いかぐじんじゃ

古くは「伊香神」と称された式内名神大社で、伊香郡の開拓神を祀る。社伝では、この地がまだ湖水で田里の開けていなかった頃に伊香津臣命が至り、「ここに留まって永く末代を守ろう」と子孫に告げて土地を拓いたという。のち子孫の伊香宿禰豊厚が天武天皇の白鳳10年以前に社殿を創立して祖神を祀ったと伝える。『日本三代実録』には貞観年間に伊香神へ神階が授けられた記事が見え、社伝には寛平7年(895年)に菅原道真が写経を納めて勅額を賜ったとも記す。建武3年(1336年)には足利尊氏が祈祷を依頼する朱印状を寄せ、これに基づく祈祷が今も正月と9月に営まれている。社殿と宝物は賤ヶ岳の戦いの兵火で焼失し、現在の本殿・拝殿は正徳年間の再建。明治8年に郷社、明治32年に県社へ昇格した。

所在地
滋賀県長浜市木之本町大音688
御祭神
伊香津臣命
滋賀県厄除け病気平癒

大笹原神社

おおささはらじんじゃ

滋賀県野洲市大篠原に鎮座する旧郷社。創建年代は明らかでないが平安時代中期と伝え、寛和2年(986年)に越智諸実が社殿を再建して社領を寄進したという。現在の本殿は室町時代中期の応永21年(1414年)の建立で、六角氏の家臣で岩倉城主の馬淵定信を願主として再建されたと伝わる。桁行三間・梁間三間、一重の入母屋造、向拝一間、檜皮葺。彩色を施さない素木造だが、欄間や戸の意匠、各所に配された彫刻の手法が優れ、東山文化の装飾性をよく伝えている。小規模ながら中世の神社建築として屈指の傑作と評価され、明治34年(1901年)に重要文化財、昭和36年(1961年)に国宝に指定された。参道を進むと左手に拝殿、その右手に寄倍の池、奥に本殿と境内社の篠原神社本殿が並ぶ。良質のもち米を産する土地柄にちなみ、鏡餅の起源を祀るという「餅の宮」も境内にある。

所在地
滋賀県野洲市大篠原2375
御祭神
速須佐之男命、稲田姫命
系統
八坂
滋賀県厄除け開運

鉛練比古神社

えれひこじんじゃ

滋賀県長浜市余呉町中之郷に鎮座する、余呉のなかでも古い歴史と格式をもつとされる神社。現在の主祭神は大山咋大神だが、余呉観光ガイドの解説によれば、もとは天日槍を祀る神社として創建されたと伝える。天日槍は『古事記』に新羅の王子・天之日矛として登場する神で、当社では天日槍が坂口の山を崩して余呉の平野を開拓したと伝えられている。神社の周辺には「日槍屋敷」という地名や、日槍塚と呼ばれる古墳が残り、開拓伝承が地名や遺構として今も土地に刻まれている。

所在地
滋賀県長浜市余呉町中之郷108
御祭神
大山咋神
系統
日吉
滋賀県縁結び開運

大國主神社

おおくにぬしじんじゃ

滋賀県高島市新旭町饗庭に鎮座し、大己貴神を主祭神とする神社。火産霊神・豊受大神・天児屋根命・小毘古神・菅原道真公を配祀する。社伝によると慶応4年(1868年)までは山王大権現と称し、その後に大國主神社と改号した。勧請の年代は不詳だが、天授6年(1380年)に田井から現在地へ遷座したと伝える。永正8年(1511年)の「御宮年中行事」には、4月初申日に上郷・下郷によって例祭が行われた旨が記されている。延宝年間には甲府宰相から東西32間・南方143間の土地が寄進された。貞享年間の明細帳では境内社が7社あったが、慶応4年の山崩れで5社となり、さらに大正元年(1912年)にすべて天神社へ合祀された。明治9年(1876年)からは例祭を5月12日と定め、午前に祭典、午後に神輿渡御と流鏑馬・走馬の奉納が行われた。神輿は応永元年(1394年)に3基が寄進されたと伝える。

所在地
滋賀県高島市新旭町饗庭619
御祭神
大己貴神
系統
出雲
滋賀県開運

大皇器地祖神社

おおきみきじそじんじゃ

滋賀県東近江市君ヶ畑町に鎮座し、木地師の祖神とされる惟喬親王を祀る神社。旧社格は村社で、御神紋は十六菊。社伝によれば、貞観年間に惟喬親王がこの山へ入り、寛平9年(897年)2月に薨去した。親王の入山以前は小松村畑と称したこの地は、以後「君ヶ畑」と改められ、親王のために造営された御殿は高松宮・高松御所と呼ばれた。翌寛平10年(898年)4月に神殿を造営して親王の神霊を鎮祭したのが当社の起源で、このとき天皇から勅使が立てられ「大皇大明神」の社号を賜ったと伝える。親王が在世中、小椋信濃守久長・小椋伯耆守光吉の両名に命じて木地の器物を作らせたことから、親王は木地の祖神と仰がれ、当社は全国の木地師の発祥の社とされる。明治5年(1872年)までは正月・5月・9月に国家安泰と皇室永続を祈る祈禱符を宮中へ献上していた。明治15年(1882年)に社号を大皇器地祖神社へ復旧する認可を得た。

所在地
滋賀県東近江市君ヶ畑町977
御祭神
惟喬親王
滋賀県開運

安閑神社

あんかんじんじゃ

滋賀県高島市安曇川町三尾里に鎮座し、安閑天皇を祀る。創祀の年月は不詳だが、社伝によれば文禄年間(1592〜1596)には現在の社地から北へ約20間の場所に権現堂という小さな祠があったという。文化元年(1804)に弥惣兵衛が夢のお告げを受けて小堂を再建し、明治6年(1873)に現在の社殿が建てられた。本殿は一間社流造で覆屋を備え、間口四尺三寸・奥行三尺三寸。祭礼日は4月22日である。境内には高さ約1m・幅約1.4mの碑が立ち、表面に絵とも文字とも判別しにくい陰刻があることから、俗に「神代文字」の碑と伝えられている。旧産所村(現在の安曇川町田中馬場地区)にあった三尾神社に伝わった『秀真伝(ホツマツタヱ)』の記号文字に似た点があるとも言われ、地域の歴史をめぐる伝承として語り継がれている。

所在地
滋賀県高島市安曇川町三尾里
御祭神
安閑天皇
滋賀県開運

油日神社

あぶらひじんじゃ

滋賀県甲賀市甲賀町、南鈴鹿の霊峰・油日岳の麓に鎮座し、明治時代までは「油日大明神」と称した。『日本三代実録』には元慶元年(877)に「油日神」が従五位下を授かったと記されており、それ以前から存在した古社であることが分かる。古くは油日岳を神体山とし、山頂には今も岳神社が祀られる。中世には一帯に成長した武士の崇敬を集め、本殿造営の奉加を記した明応4年(1495)の「油日御造宮御奉加之人数」には、杣谷を中心に190にのぼる武士や寺庵からの寄進がみえる。戦国期には上甲賀の武士が結んだ同名中・郡中惣の拠り所となったことから「甲賀の総社」と呼ばれ、境内は「甲賀郡中惣遺跡群」の一つとして国の史跡に指定されている。本殿(明応2年)、拝殿(天正年間)、楼門および東西回廊(永禄9年)は国の重要文化財で、室町時代の社殿がまとまって現存する。

所在地
滋賀県甲賀市甲賀町油日1042
御祭神
油日大神
滋賀県開運

山津照神社

やまつてるじんじゃ

滋賀県米原市能登瀬、天野川中流域の丘陵上に鎮座する式内社で、『延喜式神名帳』に近江国坂田郡の小社として名を連ねます。社伝では奈良時代、この地を本拠とした豪族・息長氏が祖神を祀ったことに始まるとされ、天平神護2年(766年)に近江の地6戸が神封として寄せられたと記録されます。祭神は国常立尊。仁寿元年(851年)に正六位、貞観8年(866年)に正四位下の神階を受け、寛平9年(897年)には金勝寺の鎮守として年分度者が認められました。暦応2年(1339年)には朝廷の祈願により社殿が修造され、文和3年(1354年)にも勅願があるなど、朝野の崇敬を集めて社領の寄進もたびたび行われました。中世は「青木の宮」と称しましたが明治に旧社号へ復し、明治14年に郷社、大正10年に県社へ列格しました。明治15年の参道拡張工事の際には境内から全長約46mの前方後円墳(山津照神社古墳)が見つかり、金銅製冠や銅鏡、馬具などが出土しました。現在も近郷20か村の氏神として崇敬されています。

所在地
滋賀県米原市能登瀬390
御祭神
国常立尊
滋賀県開運

吉御子神社

よしみこじんじゃ

東海道石部宿の西に鎮座する式内社。社伝によれば第十代崇神天皇68年に石部山へ神が降り、垂仁天皇2年に宇加之彦の子である吉比古・吉比女の神を黒の御前に神籬を建てて祀り、谷黒乃御前大明神と称したという。嵯峨天皇の弘仁3年(812年)、山崩れによって現在の鎮座地へ移り、承平5年(935年)に吉比古・吉比女の神を末社から本社へ遷座して社号を吉御子神社と改めた。本殿は元治元年(1864年)に大破したため、京都の上賀茂神社の旧社殿を移築し、翌慶応元年(1865年)に遷座祭を執り行った。この本殿は国の重要文化財に指定されている。近隣の吉姫神社と対をなす社として知られる。

所在地
滋賀県湖南市石部西一丁目15-1
御祭神
吉彦命、鹿葦津姫命
滋賀県開運

三大神社

さんだいじんじゃ

創祀年代は不詳。社伝では天智天皇の御代に風の神である志那津彦命・志那津姫命を祀ったのが始まりで、のちに応徳年間(1084〜1087年)に大宅公主命が合祀されたと伝える。『延喜式神名帳』にみえる伊冨伎神社の論社の一つ。明治に入って現在の社号に改められ、明治9年に村社に列した。本殿の傍らに立つ高さ約2メートルの六角石燈籠は正応4年の刻銘をもち、鎌倉時代の石造美術を代表する作として国の重要文化財に指定されている。境内の藤は樹齢400年を超える古木で、花穂が地面を擦るほど長く伸びることから「砂擦りの藤」と呼ばれ、滋賀県指定自然記念物および草津市指定天然記念物となっている。

所在地
滋賀県草津市志那町309
御祭神
志那津彦命、志那津姫命
滋賀県開運家内安全

坂田神明宮

さかたしんめいぐう

滋賀県米原市宇賀野に鎮座し、内宮に天照皇大神、外宮に豊受毘売命を祀る。社伝によれば垂仁天皇8年、天照大神を淡海の甲可日雲宮からこの地へ遷して2年間奉斎したとされ、その御分霊を祀る旧社として古くは坂田宮・坂田大神宮とも称され、坂田郡の総社として信仰を集めた。大神の鎮座地を求めて諸国を巡った倭姫命の神徳を偲び、倭姫命を祀ったことが当宮の起源とも伝えられる。江戸時代には彦根藩井伊家の崇敬が篤く、享保18年(1733)に藩主井伊直惟が社殿を造営して神殿を寄進、以後も社殿修復の費用が献じられ、奥方からは鏡・絵馬・石燈籠などが奉献された。明治14年(1881)に郷社、昭和20年(1945)に県社へ列した。社宝として後陽成天皇宸筆の御神号懸軸(重要文化財)を伝える。

所在地
滋賀県米原市宇賀野835-2
御祭神
天照皇大神、豊受毘売命
系統
伊勢・神明

滋賀県で多いご利益

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