Shrine

石鎚神社いしずちじんじゃ

石鎚神社は、石鎚毘古命を祀る霊峰石鎚山総本宮。口之宮本社・中宮成就社・奥宮頂上社・土小屋遥拝殿の四社を中心に、家内安全・厄除開運・当病平癒などの信仰を集めている。

由緒

石鎚山は四国最高峰であり、古くから山岳信仰(修験道)の聖地として崇められてきた。伝承によれば、飛鳥時代の685年に役小角(役行者)が開山し、のちに寂仙菩薩が石鎚蔵王大権現として篤く信仰して山路を切り開き、現在の中宮成就社にあたる常住社を創立したという。山頂から下山した役行者が「吾が願い成就せり」と拝したことが「成就」の地名の由来と伝わる。祀られる石鎚毘古命(いしづちひこのみこと)は、家内安全・厄除開運・当病平癒の神として信仰を集めている。明治初年の神仏分離により石鎚神社と定められ、今なお神仏習合の趣を残す山岳信仰の拠点となっている。

御朱印

御朱印あり。本社・成就社・土小屋遥拝殿・頂上社の4社とも、まとめての対応が難しいため書き置きのみの授与で、御朱印帳への直書きは行っていない。

例大祭

石鎚神社で最も重要な神事とされるのが、7月1日から10日まで行われる「お山開き大祭」である。山頂の頂上社を目指し、白装束をまとった参拝者が石鎚山を登拝する、山岳信仰を体現する一大行事として知られる。

年間行事

このほか、4月5日の春季大祭、10月5日の秋季大祭、2月3日に無病息災を願う「星まつり」、10月下旬の「三十六王子社巡拝」などが年間を通じて執り行われる。御祭神の命日とされる4月6日・10月6日と毎月15日には「命日祭」も斎行される。 11月15日の「七五三宮詣」を年中行事として実施している。 節分: 2月3日の星祭り祈願納め祭で豆まきとうどん接待を行う。 紅葉: 山頂の成就社で秋に「もみじまつり」を開催している。 4月に「桜まつり」の前夜祭・後宮祭を行う花見の行事がある。

よくある質問

石鎚神社の参拝前に確認したい情報をまとめます。

石鎚神社で御朱印はいただけますか?

御朱印あり。本社・成就社・土小屋遥拝殿・頂上社の4社とも、まとめての対応が難しいため書き置きのみの授与で、御朱印帳への直書きは行っていない。

石鎚神社の例大祭はいつですか?

石鎚神社で最も重要な神事とされるのが、7月1日から10日まで行われる「お山開き大祭」である。山頂の頂上社を目指し、白装束をまとった参拝者が石鎚山を登拝する、山岳信仰を体現する一大行事として知られる。

石鎚神社にはどのような年間行事がありますか?

このほか、4月5日の春季大祭、10月5日の秋季大祭、2月3日に無病息災を願う「星まつり」、10月下旬の「三十六王子社巡拝」などが年間を通じて執り行われる。御祭神の命日とされる4月6日・10月6日と毎月15日には「命日祭」も斎行される。 11月15日の「七五三宮詣」を年中行事として実施している。 節分: 2月3日の星祭り祈願納め祭で豆まきとうどん接待を行う。 紅葉: 山頂の成就社で秋に「もみじまつり」を開催している。 4月に「桜まつり」の前夜祭・後宮祭を行う花見の行事がある。

石鎚神社の公式情報はどこで確認できますか?

石鎚神社の公式情報は公式サイトで確認できます。参拝前に最新の受付時間や祭事情報を確認してください。

石鎚神社に関連する目的別ページ

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近隣神社

同じ地域や分類に近い神社を合わせて見られます。

愛媛県開運

高忍日賣神社

たかおしひめじんじゃ

創建年代は不詳だが、往古より皇室の崇敬が篤く、景行天皇や仲哀天皇の親拝が伝えられる古社である。平安時代の延長5年(927年)に成立した『延喜式』神名帳に名を載せる式内社で、伊予国伊予郡の古社に数えられる。主祭神の高忍日賣大神は、産婆(助産師)と乳母の祖神として全国で唯一祀られる神とされ、難産に際して助産にあたったという独自の伝承が残る。江戸時代には松山藩の祈祷所とされ、藩主の信仰を集めた。現在も安

所在地
愛媛県伊予郡松前町徳丸387
御祭神
高忍日賣大神、天忍男命
愛媛県開運

別宮大山祇神社

べっくおおやまずみじんじゃ

祭神は大山積大神。愛媛県神社庁の由緒によれば、和銅5年(712年)に大領・越智玉澄が伊予国一ノ宮である大三島の大山祇神社の地御前として勧請創建し、その別宮として社殿以下の建造物が本社に劣らぬ壮観であったと『豫陽盛衰記』に記されるという。元亨2年(1322年)の兵乱、昭和20年の空襲と再三の災火に遭いながらも、「別宮さん」として今治の人々の崇敬を集めて現在に至る。拝殿は天正3年(1575年)に来島城

所在地
愛媛県今治市別宮町3丁目6-1
御祭神
大山積大神
系統
三島・大山祇
愛媛県勝負運厄除け

日招八幡大神社

ひまねきはちまんだいじんじゃ

松山八社八幡の五番社で、神紋は四つ目菱、旧社格は郷社。社伝では崇峻天皇2年(589年)、国司の越智益躬が筑紫の宗像大社から門島の森に宗像三女神を勧請し、門島比咩神社と称したのが始まりとされる。大同年間(806〜809年)に痘瘡を患った大納言藤原雄友が祈願して平癒したことから、伊予痘瘡宮として崇敬を集めた。元慶2年(878年)に石清水八幡宮から八幡神を勧請して合祀した。元暦元年(1184年)、伊予に

所在地
愛媛県松山市保免西1丁目4番3号
御祭神
市杵島姫命、湍津姫命
系統
八幡
愛媛県開運

伊加奈志神社

いかなしじんじゃ

「延喜式神名帳」に記される伊予国越智郡七座のうちの一社(式内社)で、五柱命・五十日足彦命・伊迦賀色許男命を祀る。古くから「総社明神」と呼ばれ、伊予国総社の論社とされる。この地に国造として派遣された物部氏系の一族が祖神・伊迦賀色許男命を祀ったのが起源とする説があり、鎮座地の地名「五十嵐(いかなし)」も「伊迦賀色許」が転じたものと伝わる。今治藩主の祈願所として崇敬されたが、安政5年(1858)の火災で

所在地
愛媛県今治市五十嵐甲635
御祭神
五柱命、五十日足彦命