由緒
松山八社八幡の五番社で、神紋は四つ目菱、旧社格は郷社。社伝では崇峻天皇2年(589年)、国司の越智益躬が筑紫の宗像大社から門島の森に宗像三女神を勧請し、門島比咩神社と称したのが始まりとされる。大同年間(806〜809年)に痘瘡を患った大納言藤原雄友が祈願して平癒したことから、伊予痘瘡宮として崇敬を集めた。元慶2年(878年)に石清水八幡宮から八幡神を勧請して合祀した。元暦元年(1184年)、伊予に入国した佐々木盛綱(高綱とも伝える)が戦いに臨んだ際、勝敗が決しないまま日没が迫るなか当社に祈願して軍扇で入日を招くと日が差し戻り勝利したという故事から、日招八幡宮と改めたと伝える。明治5年(1872年)に郷社に列した。平成12年(2000年)の火災で本殿・拝殿を焼失したが、平成27年(2015年)に社殿が再建されている。