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四国の神社一覧

四国の都道府県別一覧と神社カードをまとめるページです。

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四国の神社一覧

38件中1-20件を表示しています。

香川県開運

屋島神社

やしまじんじゃ

屋島の山麓に鎮座する東照宮で、讃岐東照宮とも呼ばれる。慶安4年(1651年)、高松藩初代藩主の松平頼重が香川郡宮脇村の本門寿院境内に東照大神(徳川家康)の神廟を建てて崇敬したことに始まる。その後、文化元年(1804年)に8代藩主の松平頼儀が現在地での社殿造営に着手し、左甚五郎の系譜を引く五代目・左利平忠能を棟梁として文化12年(1815年)に完成させた。明治7年(1874年)に社名を屋島神社と改めている。昭和48年(1973年)2月には不慮の火災で本殿・拝殿などを焼失したが、翌年に社殿が再建された。主祭神は徳川家康で、藩祖にあたる松平頼重を合祀する。全国東照宮連合会に加盟する神社の一つで、香川県神社庁の神社コードは1004。

所在地
香川県高松市屋島中町140
御祭神
徳川家康、松平頼重
愛媛県開運

高忍日賣神社

たかおしひめじんじゃ

創建年代は不詳だが、往古より皇室の崇敬が篤く、景行天皇や仲哀天皇の親拝が伝えられる古社である。平安時代の延長5年(927年)に成立した『延喜式』神名帳に名を載せる式内社で、伊予国伊予郡の古社に数えられる。主祭神の高忍日賣大神は、産婆(助産師)と乳母の祖神として全国で唯一祀られる神とされ、難産に際して助産にあたったという独自の伝承が残る。江戸時代には松山藩の祈祷所とされ、藩主の信仰を集めた。現在も安産・子授けの信仰を集め、3月8日の安産福運大祭では助産師の特別祈願が行われるなど、地域の産育信仰の中心であり続けている。

所在地
愛媛県伊予郡松前町徳丸387
御祭神
高忍日賣大神、天忍男命
香川県開運

総社神社

そうじゃじんじゃ

讃岐国の総社として坂出市林田町に鎮座します。古代の国司は着任すると国内の神社を順に巡拝する定めでしたが、その負担を軽くするため国府の近くに国内の神々をまとめて祀る総社が置かれるようになり、当社もその一つです。社伝では延長4年(926年)の創建と伝えられ、伊弉諾尊・伊弉冊尊のほか讃岐国中の大小の神々を合わせ祀ります。中世以降は兵火にたびたび見舞われ、嘉慶年間(1387〜1389年)に社殿を失った後、明徳元年(1390年)に讃岐守護の細川頼之が再建しました。天文20年(1551年)には三好氏の一族によって再興されましたが、天正年間(1573〜1592年)に再び焼失し、慶長2年(1597年)に社殿が建て直されています。近代の社格は郷社でした。

所在地
香川県坂出市林田町3001
御祭神
伊弉諾尊、伊弉冊尊
高知県開運

山内神社

やまうちじんじゃ

高知市鷹匠町に鎮座し、土佐藩主山内家の歴代当主を祀る。前身は文化3年(1806年)、10代藩主豊策の時に藩祖・山内一豊とその夫人見性院(千代)、2代藩主忠義を祀るため高知城内に建てられた藤並神社である。明治4年(1871年)の廃藩置県の年、最後の藩主で初代知藩事の山内豊範が祖霊を祀るため、藤並神社の御旅所があった現在地に社殿を造り、3代忠豊から14代豊惇までの霊を祀った。昭和7年(1932年)には幕末維新に功績のあった15代豊信(容堂)と16代豊範を顕彰する神社を新たに造ることとなり、両公を除く歴代藩主の霊を藤並神社へ移したうえで、昭和9年4月に「別格官幣社山内神社」が創建された。昭和20年の戦火で両社とも焼失したが、昭和45年に社殿を再建して藤並神社と合併し、藩祖夫妻以下歴代藩主を合祀した。平成2年には高知城内にあった熊野・春日・住吉の三社を境内に遷し、平成14年には容堂公の銅像を境内に建立している。

香川県厄除け病気平癒

津嶋神社

つしまじんじゃ

香川県三豊市三野町、瀬戸内海に浮かぶ小島(津島)に鎮座し、素戔嗚命を祀る。お椀を伏せたような岩島は古くは「ねずみ島」と呼ばれ、その上に銅板葺の本殿が建つ。三豊市によれば宝永3年(1706年)に富山安兵衛が社殿を造営したと伝えられ、眺望の良さから浮世絵師二代安藤広重の絵にも描かれた。社に伝わる話では、ねずみ島の沖で美しい声で歌う女が巫女に「我は海中に住める神、名は津島神」と託宣し、里人が鳥居を建てて島を祀ったのが起こりとされる。牛馬が疫病で多く倒れた年にこの里だけ被害がなかったことから江戸時代は牛馬の神として信仰され、大正時代中頃からは流行り病から子どもを守る神として参拝が広がり、現在は「子どもの守り神」として全国から家族連れが訪れる。昭和8年(1933年)に当時の大見村長・倉田彌治郎が発起人となって津島橋が架けられ、昭和27年(1952年)に社名を「津島神社」から「津嶋神社」に改めた。

所在地
香川県三豊市三野町大見甲6816番地2
御祭神
素戔嗚命
系統
八坂
香川県開運家内安全

鶴尾神社

つるおじんじゃ

香川県に鎮座する春日系の神社です。御祭神は氣長足姫尊、譽田別天皇、莵道稚郎子尊。開運・家内安全のご利益で知られます。

所在地
香川県高松市西春日町字北山浦1066番地
御祭神
氣長足姫尊、譽田別天皇
系統
春日
香川県開運

神谷神社

かんだにじんじゃ

五色台の一峰である白峰山の麓、「神谷」と呼ばれる谷あいに鎮座する古社。火結命・奥津彦命・奥津姫命を主祭神とし、春日四神を相殿に祀る。弘仁3年(812年)に空海の叔父にあたる阿刀大足が勧請あるいは再興したと伝えられるが、詳しいことは分かっていない。社名は平安時代の『延喜式』神名帳に讃岐国阿野郡の一社として記され、『日本三代実録』にも神階を授けられた記事が見える。本殿は化粧棟木下端の墨書によって建保7年(1219年)の建立と明らかで、建築年代がはっきりした三間社流造としては現存最古の例とされ、昭和30年に国宝に指定された。檜皮葺の屋根、ヤリガンナ仕上げの丸柱、面取りの向拝角柱などに鎌倉時代の建築様式がよく表れている。ほかに重要文化財の木造随身立像二体などを伝える。

徳島県開運

上一宮大粟神社

かみいちのみやおおあわじんじゃ

創建年代は不詳だが、古くからさまざまな社号で呼ばれてきた古社で、現在も14枚の棟札が伝わる。祭神の大宜都比売命は五穀をつかさどる神で、伊勢国丹生の郷から阿波国に渡って国土を経営し、この地一帯に粟を蒔き広めたと伝えられる。「大粟」という社名も、鎮座地である神山町神領という地名も、この粟作の伝承に結びついている。神社は大粟山に鎮座し、道の駅「温泉の里神山」からもごく近い。秋祭りでは神輿とだんじりが繰り出し、初日に神山温泉に隣接する八幡神社まで渡御して、翌日に八幡神社を発って地区を巡り大粟神社へ帰る。これは大宜都比売命が八幡神社の彦火火出見神に会いに行くという言い伝えにちなむ神事とされている。

所在地
徳島県名西郡神山町神領字西上角330
御祭神
大宜都比売命
徳島県開運

忌部神社

いんべじんじゃ

阿波忌部の祖神・天日鷲命を主祭神とし、徳島市二軒屋町の眉山南東中腹に鎮座する。阿波忌部は古代の宮中祭祀を担った忌部氏に従属した集団で、大嘗祭に際して麁服(あらたえ)と呼ばれる布を献上した。麻植郡(現在の吉野川市周辺)の郡名も阿波忌部が麻を栽培したことに由来すると『古語拾遺』は伝える。忌部神社は『延喜式』神名帳に載る式内社で阿波三社の大社の一つに数えられたが、中世以降に所在が分からなくなり、複数の神社が式内忌部神社の系譜を主張して長い所在地論争が続いた。明治4年(1871年)に所在不明のまま国幣中社に列格されたことで比定が急がれ、明治7年には麻植郡山崎村の忌部神社が有力とされたが、明治14年には美馬郡西端山の五所神社と決定されるなど紛糾した。決着がつかないことから明治18年(1885年)に現在地が社地と定められ、遷座祭を経て国幣中社忌部神社が新設され、五所神社はその摂社となった。

所在地
徳島県徳島市二軒屋町2丁目48
御祭神
天日鷲命
徳島県開運

一宮神社

いちのみやじんじゃ

徳島市一宮町に鎮座し、大宜都比売命と天石門別八倉比売命を祀る。もとは名西郡神山町の上一宮大粟神社が阿波国一宮であったが、参拝に不便であったため平安時代後期に国府に近いこの地へ分祠が設けられ、以後こちらが一宮とされるようになったと伝える。阿波の祖神を祀る古社で、江戸時代には四国八十八ヶ所霊場の札所を兼ね、神仏習合の「一宮大明神」として庶民の信仰を集めた。神仏分離後は別当であった大日寺が札所を引き継ぎ、現在も大日寺と道を挟んで向かい合って鎮座している。本拝殿は阿波藩主の建立によるもので、本殿は寛永7年(1630年)の建築。三間社流造で正面に千鳥破風を付け、向拝一間を唐破風造とし、銅板葺とする。要所の彫刻に極彩色を施した華やかな意匠を持ち、県内でも建築年代の古い大型の神社本殿として平成5年(1993年)に国の重要文化財に指定された。

所在地
徳島県徳島市一宮町西丁237
御祭神
大宜都比売命、天石門別八倉比売命
愛媛県開運

別宮大山祇神社

べっくおおやまずみじんじゃ

祭神は大山積大神。愛媛県神社庁の由緒によれば、和銅5年(712年)に大領・越智玉澄が伊予国一ノ宮である大三島の大山祇神社の地御前として勧請創建し、その別宮として社殿以下の建造物が本社に劣らぬ壮観であったと『豫陽盛衰記』に記されるという。元亨2年(1322年)の兵乱、昭和20年の空襲と再三の災火に遭いながらも、「別宮さん」として今治の人々の崇敬を集めて現在に至る。拝殿は天正3年(1575年)に来島城主・村上通総が再建したもので、当地方唯一の純和様の神社建築として愛媛県指定有形文化財となっている。隣接する四国八十八ヶ所55番札所・南光坊はもと当社の供僧八坊の一つで、両所を合わせて参る習わしが伝わる。境内の大楠は樹齢350年以上と推定されている。

所在地
愛媛県今治市別宮町3丁目6-1
御祭神
大山積大神
系統
三島・大山祇
香川県開運

白羽神社

しらはじんじゃ

高松市牟礼町牟礼と大町一帯の氏神で、旧社格は郷社。文明年間(1469〜1487)の創建と伝わり、当初は楠窪神と称した。社伝によれば、当郷の領主・中村氏宗が「八幡大神である」との夢告を受け、さらに白い矢が東方から飛来して城北の林中へ入るという神示があったことから、現在地に社殿を営んで白羽八幡宮と称するようになったという。祭神は誉田別命・足仲彦命・息長足姫命の八幡三神である。源平合戦の古戦場・屋島の東に位置し、秋祭りでは境内での獅子舞の奉納と、ちょうさと呼ばれる太鼓台の練りが地域の一大行事となっている。

所在地
香川県高松市牟礼町牟礼1354
御祭神
誉田別命、足仲彦命
高知県開運

佐川龍馬神社

さがわりょうまじんじゃ

平成10年(1998年)11月の創建。前年の平成9年に地元有志が結成した「佐川龍馬海援隊」が、佐川にも龍馬ゆかりの名所をつくろうと建立した。鎮座地は、坂本龍馬が土佐藩を脱藩した際に沢村惣之丞とともに越えたと伝わる葉山街道の道筋のすぐそばで、急坂の朽木峠にほど近い山中にあたる。芝生の敷かれた龍馬公園の一角に建つ小さな祠で、龍馬にゆかりのある品を御神体として祀る。宗教法人ではなく、例祭は近隣の神社から神職を招いて執り行われている。毎年3月には脱藩の道をたどるウォーキングイベントが催され、当社前が出発地点となっている。

所在地
高知県高岡郡佐川町川ノ内組118(龍馬公園内)
御祭神
坂本龍馬
愛媛県勝負運厄除け

日招八幡大神社

ひまねきはちまんだいじんじゃ

松山八社八幡の五番社で、神紋は四つ目菱、旧社格は郷社。社伝では崇峻天皇2年(589年)、国司の越智益躬が筑紫の宗像大社から門島の森に宗像三女神を勧請し、門島比咩神社と称したのが始まりとされる。大同年間(806〜809年)に痘瘡を患った大納言藤原雄友が祈願して平癒したことから、伊予痘瘡宮として崇敬を集めた。元慶2年(878年)に石清水八幡宮から八幡神を勧請して合祀した。元暦元年(1184年)、伊予に入国した佐々木盛綱(高綱とも伝える)が戦いに臨んだ際、勝敗が決しないまま日没が迫るなか当社に祈願して軍扇で入日を招くと日が差し戻り勝利したという故事から、日招八幡宮と改めたと伝える。明治5年(1872年)に郷社に列した。平成12年(2000年)の火災で本殿・拝殿を焼失したが、平成27年(2015年)に社殿が再建されている。

所在地
愛媛県松山市保免西1丁目4番3号
御祭神
市杵島姫命、湍津姫命
系統
八幡
香川県縁結び開運

讃岐国一之宮 田村神社

かがわ じんじゃ

讃岐国一之宮の田村神社は、五柱の御祭神を「田村大神」と総称して祀る香川県高松市の古社。縁結び・勝負運のご利益で知られ、社記に和銅2年(709年)の社殿創建を伝えます。

所在地
香川県高松市一宮町286
御祭神
倭迹迹日百襲媛命、五十狭芹彦命
徳島県商売繁盛金運

蛭子神社

えびすじんじゃ

徳島市南沖洲に鎮座し、事代主命を祀る。江戸期の地誌『阿州奇事雑話』には、かつて小松島沖にあって地震により海中に没したと伝わる「御瓶千軒」にあった社と記される。境内の百度石は文久元年(1861)9月の建立で、嘉永7年(1854)の安政南海地震の様子と「心を静めて火の元に気をつけよ」「船で逃れるな」といった教訓を刻んだ災害記念碑として知られ、平成29年(2017)に国登録記念物となった。神社は県道拡張工事に伴い平成15年(2003)に現在地へ移転している。

所在地
徳島県徳島市南沖洲1丁目2
御祭神
事代主命
系統
恵比寿
徳島県開運

天石門別八倉比売神社

あめのいわとわけやくらひめじんじゃ

杉尾山を神体山として中腹に鎮座する古社で、式内名神大社「天石門別八倉比売神社」の論社の一つとされ、阿波国一宮の論社にも挙げられる。主祭神の八倉比売命は大日靈女命、すなわち天照大神の別名とする伝えがある。創建年代は不詳だが、社伝では孝安天皇の御代の鎮座と伝わる。現在の本殿は江戸時代の造営で、本殿背後の奥の院には五角形に組まれた磐座があり、一説に卑弥呼の墓とする伝承も語られる。旧社格は県社。

所在地
徳島県徳島市国府町西矢野字宮谷531
御祭神
八倉比売命
愛媛県開運

伊加奈志神社

いかなしじんじゃ

「延喜式神名帳」に記される伊予国越智郡七座のうちの一社(式内社)で、五柱命・五十日足彦命・伊迦賀色許男命を祀る。古くから「総社明神」と呼ばれ、伊予国総社の論社とされる。この地に国造として派遣された物部氏系の一族が祖神・伊迦賀色許男命を祀ったのが起源とする説があり、鎮座地の地名「五十嵐(いかなし)」も「伊迦賀色許」が転じたものと伝わる。今治藩主の祈願所として崇敬されたが、安政5年(1858)の火災で社殿とともに古文書や宝物の多くを失った。

所在地
愛媛県今治市五十嵐甲635
御祭神
五柱命、五十日足彦命
愛媛県縁結び開運

出雲大社松山分祠

いずもおおやしろまつやまぶんし

明治9年(1876)に出雲大社から大国主大神の御分霊を勧請して創建された出雲大社の分祠で、翌明治10年(1877)には第80代出雲国造・千家尊福により大社教会所の開業式が執り行われた。昭和20年(1945)の松山空襲で社殿を焼失したが、昭和38年(1963)に拝殿を新築した。平成12〜13年(2000〜2001)には老朽化と白蟻被害のため社務所などの改築工事が行われている。大国主大神が七福神の大黒天と習合することから、伊予七福神まいりの大黒天としても信仰されている。

所在地
愛媛県松山市本町三丁目5-5
御祭神
大国主大神
系統
出雲
徳島県勝負運厄除け

宇佐八幡神社

うさはちまんじんじゃ

承久2年(1220年)の創建と伝わる古社で、主祭神は品陀和気命(応神天皇)。戦国時代に荒廃したが、永正4年(1507年)に上桜城主・篠原左京大夫が豊前国の宇佐八幡宮を勧請して再興したと伝えられる。「辰の宮」の別名で県下に知られ、この名は鮎喰川の河原で開かれた「辰の市」に由来するという。境内には「辰の宮の大クス」と呼ばれる3本の大クスがそびえ、最大のものは幹周約8メートル・樹齢約800年と推定され、徳島県の天然記念物に指定されている。

所在地
徳島県名西郡神山町下分西寺79
御祭神
品陀和気命
系統
八幡

四国に関連するご利益一覧

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