由緒
千歳神社の飛地境内社(末社)にあたる小社です。社伝によれば万治元年(1658年)、現在の千歳神社が鎮まる地に前身となる弁財天の小社が建てられたと伝えられます。文化2年(1805年)には箱館奉行の役人であった山田嘉充がこの地の川のほとりに弁財天を勧請し、「鶴は千年」の言葉にちなんで一帯を「千歳」と改める由来をつくったと、厨子の背面に記された由来文が伝えています。明治の神仏分離令により厳島社と改称されましたが、のちに地元の住民が弁財天を譲り受けて祀り、明治38年(1905年)に釜加の現在地へ社殿が建てられました。弁財天像を納める厨子は「千歳神社境内釜加神社弁財天御厨子」の名称で昭和52年(1977年)に千歳市の有形文化財に指定されており、複製が千歳市埋蔵文化財センターで公開されています。