由緒
壱岐島北端の勝本浦に鎮座し、壱岐国二宮として崇敬されてきた古社です。社伝では仲哀天皇9年(西暦200年ごろ)、神功皇后が海を渡る際に壱岐で風待ちをし、この地に行宮を営んだことを起源とすると伝えます。凱旋の折に「風本」と呼ばれていた地名を「勝本」に改めたとされ、社名も神功皇后(聖母)に由来します。社殿が正式に建てられたのは養老元年(717年)と伝えられ、延喜式神名帳にみえる壱岐郡の名神大社「中津神社」の有力な論社の一つに数えられます。文禄・慶長の役では大陸への出兵路にあたり、加藤清正や鍋島直茂ら諸将が門などを寄進したと伝わります。本殿と西門・南門は長崎県指定有形文化財で、唐津焼で最古の在銘資料とされる天正20年(1592年)銘の黒釉四耳壺も社宝として伝えられています。