由緒
若狭国一宮。社伝では、遠敷川の清流が巨巌に突き当たって淵をなす鵜ノ瀬に若狭彦神・若狭姫神が降臨し、和銅7年(714年)に白石の里へ示現したと伝える。永久の鎮座地を求めて若狭国内を巡歴したのち、霊亀元年(715年)9月10日に竜前の現在地へ鎮まったのが当社(上社)で、6年後の養老5年(721年)に遠敷へ若狭姫神社(下社)が分祀された。『延喜式』神名帳には若狭国遠敷郡「若狭比古神社二座 名神大」と載り、両座が名神大社に列している。中世には上社を一宮、下社を二宮と称したが、室町期ごろから祭祀の中心は下社へ移った。明治4年(1871年)には近代社格制度において国幣中社に列格した。奈良・東大寺二月堂の修二会に遅参した遠敷明神が閼伽水を送ると約したという伝承があり、鵜ノ瀬で行われる「お水送り」神事の由緒となっている。農業・漁業・安産育児のほか、畳や敷物にかかわる商工業の守護神としても信仰が篤い。