Shrine

若狭彦神社わかさひこじんじゃ

福井県に鎮座する神社です。御祭神は彦火火出見尊。開運のご利益で知られます。

由緒

若狭国一宮。社伝では、遠敷川の清流が巨巌に突き当たって淵をなす鵜ノ瀬に若狭彦神・若狭姫神が降臨し、和銅7年(714年)に白石の里へ示現したと伝える。永久の鎮座地を求めて若狭国内を巡歴したのち、霊亀元年(715年)9月10日に竜前の現在地へ鎮まったのが当社(上社)で、6年後の養老5年(721年)に遠敷へ若狭姫神社(下社)が分祀された。『延喜式』神名帳には若狭国遠敷郡「若狭比古神社二座 名神大」と載り、両座が名神大社に列している。中世には上社を一宮、下社を二宮と称したが、室町期ごろから祭祀の中心は下社へ移った。明治4年(1871年)には近代社格制度において国幣中社に列格した。奈良・東大寺二月堂の修二会に遅参した遠敷明神が閼伽水を送ると約したという伝承があり、鵜ノ瀬で行われる「お水送り」神事の由緒となっている。農業・漁業・安産育児のほか、畳や敷物にかかわる商工業の守護神としても信仰が篤い。

基本情報

ご利益
開運
所在地
福井県小浜市竜前28-7
アクセス
JR小浜線の東小浜駅が最寄りで、徒歩約30分。下社である若狭姫神社から遠敷川に沿って南へ進んだ位置に鎮座する。
受付時間
上社に社務所はなく、御祈祷・授与の受付は下社(若狭姫神社)の社務所で10:00〜15:00に行われます。地域の神事などで神職・職員が不在の日もあります。
電話番号
0770-56-1116

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若狭彦神社は何の神様?

若狭彦神社の御祭神は彦火火出見尊です。

例大祭

例祭は10月10日。上社の御祭神・彦火火出見尊(若狭彦大神)が霊亀元年(715年)9月10日に鎮座したと伝えることにちなむ祭り。

年間行事

下社の若狭姫神社では3月10日に例祭が行われる。5月下旬の週末には「皐月休み」と呼ばれる田の神祭りがあり、下社に子供神輿が奉納される。10月10日前後の祝日には演し物が出る遠敷祭りが催され、下社の千年杉をライトアップする催しも行われる。

よくある質問

若狭彦神社の参拝前に確認したい情報をまとめます。

若狭彦神社で御朱印はいただけますか?

御朱印は下社(若狭姫神社)の社務所で授与されます。初穂料は直書きが1社300円、2社600円で、御朱印帳は2,000円です。

若狭彦神社の受付時間はいつですか?

上社に社務所はなく、御祈祷・授与の受付は下社(若狭姫神社)の社務所で10:00〜15:00に行われます。地域の神事などで神職・職員が不在の日もあります。

若狭彦神社の例大祭はいつですか?

例祭は10月10日。上社の御祭神・彦火火出見尊(若狭彦大神)が霊亀元年(715年)9月10日に鎮座したと伝えることにちなむ祭り。

若狭彦神社にはどのような年間行事がありますか?

下社の若狭姫神社では3月10日に例祭が行われる。5月下旬の週末には「皐月休み」と呼ばれる田の神祭りがあり、下社に子供神輿が奉納される。10月10日前後の祝日には演し物が出る遠敷祭りが催され、下社の千年杉をライトアップする催しも行われる。

若狭彦神社の公式情報はどこで確認できますか?

若狭彦神社の公式情報は公式サイトで確認できます。参拝前に最新の受付時間や祭事情報を確認してください。

若狭彦神社に関連する目的別ページ

ご利益や御朱印情報を、地域で絞り込んで確認できます。

近隣神社

同じ地域や分類に近い神社を合わせて見られます。

岐阜県健康祈願開運

長滝白山神社

ながたきはくさんじんじゃ

霊峰白山を神体山と仰ぐ白山信仰の美濃側の拠点で、白山三馬場のうち「美濃馬場」と呼ばれた地に鎮座する。社伝では養老元年(717年)に泰澄が白山に登拝し、白山中宮長瀧寺を開いたのが始まりとされる。天長5年(828年)に法相宗から天台宗へ改まり、同9年には加賀の白山本宮、越前の平泉寺とともに白山三馬場の一つに数えられた。中世には1万3千石の神領と多数の坊院を擁して隆盛し、全国から信仰者が集まった。明治の

所在地
岐阜県郡上市白鳥町長滝字杉山91
御祭神
伊弉諾尊、伊弉冉尊
系統
白山
滋賀県開運

鹽津神社

しおつじんじゃ

創祀の年代は不詳ですが、『延喜式神名帳』に近江国浅井郡の式内社として記される「鹽津神社」の論社とされ、香取神社・香取五神社とともに比定候補に挙げられています。祭神は製塩や航海を司るとされる塩土老翁神で、彦火火出見尊と豊玉姫尊を配祀します。鎮座地の塩津浜は琵琶湖の最北端にあたり、日本海側と湖上水運を結ぶ港として古くから開けた土地で、社名も地名と結びついています。近代の社格では明治9年(1876年)に

所在地
滋賀県長浜市西浅井町塩津浜547
御祭神
塩土老翁神、彦火火出見尊
福井県開運

金崎宮

かねがさきぐう

南北朝時代の延元元年(1336年)、後醍醐天皇の皇子である尊良親王と恒良親王は新田義貞らとともに敦賀へ逃れ金ケ崎城に拠ったが、足利軍の攻撃を受けて落城した。尊良親王は城とともに落命し、恒良親王は捕らえられて延元3年(1338年)に15歳で毒殺されたと伝えられる。明治に入り、敦賀の人々の熱心な請願によって明治23年9月に尊良親王を祭神とする金崎宮の創建が認められ、官幣中社に列した。明治25年11月に

所在地
福井県敦賀市金ヶ崎町1-4
御祭神
恒良親王、尊良親王
東京都商売繁盛金運

小野神社

おのじんじゃ

武蔵国一之宮を称する古社で、公式サイトの由緒では安寧天皇18年2月の鎮座と伝える。主祭神は武蔵国開拓の祖神である天下春大神、瀬織津比咩大神、稲倉魂大神の三柱。元慶8年(884年)に正五位上の神階を授けられ、延喜式神名帳には武蔵国八座の一社として載る。国府の近くにあったことから国司や住民の崇敬が篤く、総社六所宮創建の際には東殿第一の席を与えられて一之宮と称されたという。鎌倉末から戦国期にかけて戦乱と

所在地
東京都多摩市一ノ宮1丁目18-8
御祭神
天下春命、瀬織津比咩命
系統
稲荷