由緒
創建年代は不詳だが、貞観9年(867)に神階正三位に叙されて官社となり、延喜式神名帳に因幡国高草郡の式内小社として記載される古社。天穂日命を主祭神とし、熊野久須毘命・保食命を配祀する。因幡国造氏の氏神とされ、社地の背後には前方後円墳とみられる地形が残る。『因幡志』によれば、古くは高草郡布勢の日吉神社の地にあり、室町時代末期に現在地へ移ったと考えられている。旧社格は郷社。現在の本殿は大正7年(1918)の建立で、シイやタブノキの茂る照葉樹林の社叢に囲まれ、幹周4.3mの御神木のシイが立つ。
鳥取県に鎮座する神社です。御祭神は天穂日命。開運のご利益で知られます。
創建年代は不詳だが、貞観9年(867)に神階正三位に叙されて官社となり、延喜式神名帳に因幡国高草郡の式内小社として記載される古社。天穂日命を主祭神とし、熊野久須毘命・保食命を配祀する。因幡国造氏の氏神とされ、社地の背後には前方後円墳とみられる地形が残る。『因幡志』によれば、古くは高草郡布勢の日吉神社の地にあり、室町時代末期に現在地へ移ったと考えられている。旧社格は郷社。現在の本殿は大正7年(1918)の建立で、シイやタブノキの茂る照葉樹林の社叢に囲まれ、幹周4.3mの御神木のシイが立つ。
天穂日命神社の御祭神は天穂日命です。
4月17日
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鳥取市鹿野町河内の山あいに鎮座する。創立年代は不詳だが、古くから河内地区の氏神として祀られ、かつては妙見大権現と称した。寛文7年(1667)に鳥取藩主池田家から社領六斗を寄進され、元禄15年(1702)に天照大御神を勧請合祀して妙見茂宇気宮と改めた。明治初年に茂宇気神社と改称し、村内の山神(大山祇命)や稲荷神、境内末社の稲荷大明神(倉稲魂命)を合祀している。明治5年(1872)に村社に列し、大正9
霊峰大山の中腹に鎮座する大神山神社奥宮の境内社。鳥取県神社庁の伝えるところでは、元徳2年(1330年)、備中国浅口郡の郡司であった渡辺源五郎照政が智明権現社(現在の奥宮)へ参詣した帰路に討たれ、下山の地に葬られたことに始まるという。その後の神託により智明権現社から六尺下がった所に社が営まれ、以来霊験あらたかな社として信仰を集めた。現在の社殿は文化2年(1805年)の建立で、正面三間の入母屋造・檜皮
滋賀県蒲生郡日野町村井に鎮座し、天穂日命・天夷鳥命・武三熊大人命を祀る。社伝では神武天皇の御代に、出雲国から天穂日命に供奉して来た彦健忍雄心命が東方に聳える綿向山に開拓の祖神を迎え祀ったのが起こりで、欽明天皇6年(545年)に山頂へ祠を建てたのが創祀と伝える。平安初期の延暦15年(796年)に里宮として現在地へ遷され、『延喜式』神名帳にみえる馬見岡神社の論社とされる。以来、蒲生上郡の総社・日野の大
建武中興に功のあった武将・名和長年と、その一族郎党42柱を祀る。長年は元弘3年(1333)、隠岐を脱出した後醍醐天皇を船上山に迎え、鎌倉幕府軍を破った伯耆国の豪族である。社伝によれば承応から明暦の頃(1652〜57)、長年の遺徳を慕う地元の人々が名和氏の屋敷跡に小祠を建てたことに始まり、延宝5年(1677)に社地を移して氏殿権現と称された。明治11年(1878)に社号を名和神社と改め、別格官幣社に