Shrine

粟島神社あわしまじんじゃ

鳥取県に鎮座する神社です。御祭神は少彦名命ほか5柱。開運のご利益で知られます。

由緒

医薬・まじないの神である少彦名命を主祭神とし、大己貴命や菅原道真公など計7柱を祀る。『伯耆国風土記』逸文に「粟嶋」の名が見える古くからの信仰の山で、少彦名命が粟の穂にはじかれて常世の国へ渡ったという故事が社名の由来と伝わる。かつては海に浮かぶ島だったが、江戸時代中頃に陸続きとなった。神功皇后や後醍醐天皇の祈願伝承が残り、戦国時代には尼子氏の寄進を受け、江戸時代には米子城主の崇敬を受けた。永正年間に焼失し大永4年(1524)に再建、明治初年に現社名に改称した。山麓には人魚の肉を食べて八百歳まで生きたと伝わる八百比丘尼の伝説が残る。

例大祭

春季・4月12日 夏季・旧6月11日 秋季・10月12日[3]

年間行事

大晦日の夜に除夜祭、年明けとともに歳旦祭が行われる。

よくある質問

粟島神社の参拝前に確認したい情報をまとめます。

粟島神社の例大祭はいつですか?

春季・4月12日 夏季・旧6月11日 秋季・10月12日[3]

粟島神社にはどのような年間行事がありますか?

大晦日の夜に除夜祭、年明けとともに歳旦祭が行われる。

粟島神社の公式情報はどこで確認できますか?

粟島神社の公式情報は公式サイトで確認できます。参拝前に最新の受付時間や祭事情報を確認してください。

粟島神社に関連する目的別ページ

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近隣神社

同じ地域や分類に近い神社を合わせて見られます。

鳥取県開運

茂宇気神社

もうけじんじゃ

鳥取市鹿野町河内の山あいに鎮座する。創立年代は不詳だが、古くから河内地区の氏神として祀られ、かつては妙見大権現と称した。寛文7年(1667)に鳥取藩主池田家から社領六斗を寄進され、元禄15年(1702)に天照大御神を勧請合祀して妙見茂宇気宮と改めた。明治初年に茂宇気神社と改称し、村内の山神(大山祇命)や稲荷神、境内末社の稲荷大明神(倉稲魂命)を合祀している。明治5年(1872)に村社に列し、大正9

所在地
鳥取県鳥取市鹿野町河内4410
御祭神
天照大御神、大山祇命
鳥取県開運

下山神社

しもやまじんじゃ

霊峰大山の中腹に鎮座する大神山神社奥宮の境内社。鳥取県神社庁の伝えるところでは、元徳2年(1330年)、備中国浅口郡の郡司であった渡辺源五郎照政が智明権現社(現在の奥宮)へ参詣した帰路に討たれ、下山の地に葬られたことに始まるという。その後の神託により智明権現社から六尺下がった所に社が営まれ、以来霊験あらたかな社として信仰を集めた。現在の社殿は文化2年(1805年)の建立で、正面三間の入母屋造・檜皮

所在地
鳥取県西伯郡大山町大山1
御祭神
渡辺照政命
鳥取県開運

名和神社

なわじんじゃ

建武中興に功のあった武将・名和長年と、その一族郎党42柱を祀る。長年は元弘3年(1333)、隠岐を脱出した後醍醐天皇を船上山に迎え、鎌倉幕府軍を破った伯耆国の豪族である。社伝によれば承応から明暦の頃(1652〜57)、長年の遺徳を慕う地元の人々が名和氏の屋敷跡に小祠を建てたことに始まり、延宝5年(1677)に社地を移して氏殿権現と称された。明治11年(1878)に社号を名和神社と改め、別格官幣社に

所在地
鳥取県西伯郡大山町名和556
御祭神
名和長年、名和一族戦没将士四十二柱
鳥取県開運

金持神社

かもちじんじゃ

社伝によれば大同・弘仁のころ、西暦810年前後に出雲国の神官の子が伊勢神宮への参拝の途中でこの地を通ったところ、身につけていた玉石が急に重くなり、ここに宮を造るようにとの神託を得て創建したと伝えられます。「金持」という地名は、この一帯が良質の砂鉄を産する鉄山を持つ村であったことに由来するとされ、「かねもち」ではなく「かもち」と読みます。鎌倉時代から南北朝時代にかけては、この地を本拠とした武将・金持

所在地
鳥取県日野郡日野町金持74
御祭神
天之常立尊、八束水臣津努命