由緒
和泉国三宮で、「信太明神」「篠田社」「信太聖社」とも呼ばれる式内社。祭神の聖大神は『古事記』に「聖神」と登場する大年神の御子神とされる。創祀については、白鳳3年(675年)8月15日に天武天皇の勅願により渡来系氏族の信太首が聖大神を祀ったとする伝承と、神武東征の際に瓊々杵尊が当地に祀られたとする伝承の二説がある。貞観元年(859年)に官社に列し、同年従四位下の神階を受けた。南北朝時代以降は大鳥神社・泉穴師神社・積川神社・日根神社とともに「五社大明神」と称された。天正3年(1575年)に織田信長から1100石を安堵されたが、同13年の豊臣秀吉の根来攻めで社殿を焼失。慶長9年(1604年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建した本殿と末社三神社・滝神社の本殿は国の重要文化財に指定されている。明治5年(1872年)に郷社、昭和18年(1943年)に府社となった。