由緒
創建年代は不詳。『延喜式神名帳』にみえる伊勢国朝明郡の伊賀留我神社とされる式内社で、旧社格は郷社。古くは「斎宮大明神」とも呼ばれ、伊勢神宮との関わりが深い『神鳳鈔』の「鵤御厨」の地に鎮座する。社蔵の古祭文には貞観3年(861年)に六人部津根呂が旧殿を新修したと伝わる。鵤(いかるが)村は江戸時代の寛永年間に南北二村に分かれ、北は桑名藩の茂福村、南は忍藩飛地の羽津村に属したため、伊賀留我神社も両村に並立することになった。当社はその北側・茂福の社で、主祭神は大日孁貴命、大山祇命を配祀する。
三重県に鎮座する神社です。御祭神は大日孁貴命。開運のご利益で知られます。
創建年代は不詳。『延喜式神名帳』にみえる伊勢国朝明郡の伊賀留我神社とされる式内社で、旧社格は郷社。古くは「斎宮大明神」とも呼ばれ、伊勢神宮との関わりが深い『神鳳鈔』の「鵤御厨」の地に鎮座する。社蔵の古祭文には貞観3年(861年)に六人部津根呂が旧殿を新修したと伝わる。鵤(いかるが)村は江戸時代の寛永年間に南北二村に分かれ、北は桑名藩の茂福村、南は忍藩飛地の羽津村に属したため、伊賀留我神社も両村に並立することになった。当社はその北側・茂福の社で、主祭神は大日孁貴命、大山祇命を配祀する。
伊賀留我神社の御祭神は大日孁貴命です。
10月20日
三重県神社庁によると、祈年祭は2月の建国記念日に斎行され、新嘗祭も行われる。
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同じ地域や分類に近い神社を合わせて見られます。
伊賀市東部、旧阿拝郡の谷あいに鎮座する延喜式内社で、伊賀河合郷の総社とされる。社伝では宣化天皇3年(538年)の創建と伝わり、国造の多賀連が祭祀にあたったという。もとは現在地より東の藤山に鎮座していたとされ、藪田神社、高松祇園社、河合天王などとも呼ばれた。主祭神は健速須佐之男命で、五男三女神を配祀するほか、明治期の神社合祀により多くの神々が合わせ祀られている。7月31日から8月1日の祇園祭では三重
創建年代は不詳。『天照皇大神御天降記』に記される志摩国の元伊勢伝承地・多古志宮の旧跡地とされ、伊勢神宮外宮の流れを汲む度会神道と関わりが深い。奈津の山中に祀られていた三狐神社(現在は神前神社に合祀)を「下の宮」と呼ぶのに対し、当社は「上の宮」と称される。社伝によれば仁治年間(1240年頃)に官符を賜り、興国・慶長・元和の各年間に諸方から寄進があったが、その記録は安政年間の高津波で流失したという。元
創立年代は不詳。三重県神社庁が引く『桑名市史』によれば、当社はもともと入江・田宮・船戸の三か村の総社で、三村が合併して東方村となったのち、入江村の人々が尾野入江のほとりで尾野神社を祀ったという。尾野山北の鼻山に鎮座していた社を後に船着大明神の社へ遷して相殿としたとの説もあり、「船着大明神」の別名で呼ばれてきた。境内には御霊と称する前方後円型の古墳があり、往古はその付近に社殿が建っていたと伝える。永
『古事記伝』を著した江戸中期の国学者・本居宣長を神として祀る神社。碩学である宣長を神として祀ろうとする気運は早くからあり、明治初年に川口常文らが主唱して実現した。明治8年(1875)3月、旧山室村にある宣長の奥墓のかたわらに社殿を建て、山室山神社と号したのが創祀である。明治22年(1889)に現在の松阪市役所が建つ地へ遷座し、明治36年(1903)には県社に昇格した。大正4年(1915)、松阪発祥