三重県の神社
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三重県の神社一覧
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陽夫多神社
伊賀市東部、旧阿拝郡の谷あいに鎮座する延喜式内社で、伊賀河合郷の総社とされる。社伝では宣化天皇3年(538年)の創建と伝わり、国造の多賀連が祭祀にあたったという。もとは現在地より東の藤山に鎮座していたとされ、藪田神社、高松祇園社、河合天王などとも呼ばれた。主祭神は健速須佐之男命で、五男三女神を配祀するほか、明治期の神社合祀により多くの神々が合わせ祀られている。7月31日から8月1日の祇園祭では三重県指定無形民俗文化財の「願之山行事」が奉納され、2月18日の夜には伊賀市で唯一の裸祭り「裸々押し」が行われるなど、古い祭礼が今も受け継がれている。本殿裏手の宮山には古墳群と中世・戦国期の城跡があり、「やぶた古墳の杜」として散策道が整備されている。
- 所在地
- 三重県伊賀市馬場951
- 御祭神
- 健速須佐之男命、五男三女神
仙宮神社
創建年代は不詳。『天照皇大神御天降記』に記される志摩国の元伊勢伝承地・多古志宮の旧跡地とされ、伊勢神宮外宮の流れを汲む度会神道と関わりが深い。奈津の山中に祀られていた三狐神社(現在は神前神社に合祀)を「下の宮」と呼ぶのに対し、当社は「上の宮」と称される。社伝によれば仁治年間(1240年頃)に官符を賜り、興国・慶長・元和の各年間に諸方から寄進があったが、その記録は安政年間の高津波で流失したという。元和5年(1619年)に紀州徳川頼宣が入国した際には神領三石が下され、享保9年(1724年)には参道入口に「禁殺生」の石碑が寄進された。明治8年12月に郷社に列せられ、明治39年には神饌幣帛料供進社に指定された。神職は創始以来、加藤家が世襲している。境内には天竺僧佛哲和尚が植えたと伝わる多羅樹があり、本殿後方には巨大な磐座が残る。
- 所在地
- 三重県度会郡南伊勢町河内甲宮山77
- 御祭神
- 猿田彦命、大宮比賣命
尾野神社
創立年代は不詳。三重県神社庁が引く『桑名市史』によれば、当社はもともと入江・田宮・船戸の三か村の総社で、三村が合併して東方村となったのち、入江村の人々が尾野入江のほとりで尾野神社を祀ったという。尾野山北の鼻山に鎮座していた社を後に船着大明神の社へ遷して相殿としたとの説もあり、「船着大明神」の別名で呼ばれてきた。境内には御霊と称する前方後円型の古墳があり、往古はその付近に社殿が建っていたと伝える。永禄10年(1567年)には織田信長の兵乱で別当寺の小野山正斎坊が廃絶し、社蔵の古文書や古器物もことごとく焼失した。『延喜式』神名帳の伊勢国桑名郡に載る尾野神社の比定社とされ、倭姫命が巡行した桑名野代宮の伝承地(元伊勢)の一つにも数えられる。明治29年(1896年)に県社へ昇格し、明治41年(1908年)には式内社の立坂神社を合祀した。
- 所在地
- 三重県桑名市大字東方2194
- 御祭神
- 天押帯日子命、天照大御神
本居宣長ノ宮
『古事記伝』を著した江戸中期の国学者・本居宣長を神として祀る神社。碩学である宣長を神として祀ろうとする気運は早くからあり、明治初年に川口常文らが主唱して実現した。明治8年(1875)3月、旧山室村にある宣長の奥墓のかたわらに社殿を建て、山室山神社と号したのが創祀である。明治22年(1889)に現在の松阪市役所が建つ地へ遷座し、明治36年(1903)には県社に昇格した。大正4年(1915)、松阪発祥の聖地とされる四五百(よいほ)の森へ遷り、現在地に落ち着いている。昭和6年(1931)に社号を本居神社と改め、戦後の社格廃止と宗教法人化を経て、平成7年(1995)に現在の「本居宣長ノ宮」となった。相殿には宣長の学統を継いだ平田篤胤を祀り、学業成就・合格祈願の神として信仰を集める。境内には、市内の紡績工場から遷された末広稲荷大神も鎮座する。
- 所在地
- 三重県松阪市殿町1533番地2
- 御祭神
- 秋津彦美豆櫻根大人(本居宣長)、神霊能真柱大人(平田篤胤)
水屋神社
社伝では千年余り前に大和・春日大社の安在所として天児屋根命を祀ったことに始まり、大化4年(648年)に奈良の三笠山から素盞鳴命と龍神姫命を勧請したと伝える。和銅3年(710年)に興福寺東門院領「閼伽桶の庄」となり、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦以降は伊勢領に属した。南北朝期、文中2年(1373年)の棟札にも「大和州閼伽桶庄宮」と記されている。垂仁天皇の代に天照大神が当地を巡幸した際、鎮座していた春日の神と議って櫛田川の巨石をもって伊勢・大和両国の境と定めたという伝承があり、里人はこの石を「礫石」、付近を「堺が瀬」と呼ぶ。社名も所在地名「赤桶」も神事も祭神も水に関わり、西方約700mには「閼伽桶の井」がある。社殿は朱塗りの春日造三殿並立から明治25年に現在の神明造へ改められた。
- 所在地
- 三重県松阪市飯高町赤桶2507
- 御祭神
- 天児屋根命、素盞鳴尊
平群神社
創建年代は不詳です。古代豪族・平群氏の祖とされる平群木菟宿禰を主祭神とし、『日本書紀』が木菟宿禰は仁徳天皇と同じ日に生まれたと伝えることで知られます。その後裔が伊勢国へ移り住み、祖神を祀ったのが当社の始まりと伝えられています。延喜式内社に比定される古社で、社殿は平群山の東斜面に鎮座します。この地は倭建命が足を留めた場所という伝承も残り、境内には歌碑が建てられています。のちに武内宿禰、天照大神、大己貴命、素戔嗚命、大山津見命、倭建命が合祀されました。
- 所在地
- 三重県桑名市志知3693
- 御祭神
- 平群木菟宿禰、武内宿禰
- 系統
- 出雲
比自岐神社
創祀年代は不詳で、延喜式神名帳の伊賀国伊賀郡「比自岐神社」に比定される式内社です。祭神の比自岐神は、かつてこの地を治めた伊賀比自岐和気氏の祖神とされ、垂仁天皇の庶子である円目王の妃を出した一族として朝廷とのつながりも伝えられます。天王宮、大森神社という別称もありました。天正9年(1581年)の天正伊賀の乱で社殿をことごとく焼失し、慶長9年(1604年)に再建されています。明治末の一村一社の合祀令により旧比自岐村内に鎮座していた33社を合祀し、大正13年(1924年)に県社へ昇格しました。社前には「右いせみち、左うへの道」と刻まれた道標が残り、伊勢参宮街道の一つが当地を通っていたことを伝えています。
- 所在地
- 三重県伊賀市比自岐683
- 御祭神
- 比自岐神、天児屋根命
名居神社
創祀年代は不詳です。『日本書紀』には推古天皇7年(599年)に大和を中心とする大地震があり、四方に「なゐの神(地震の神)」を祀らせたと記されており、伊賀国におけるその一社が当社であると伝えられてきました。延喜式神名帳の伊賀国名張郡「名居神社」に比定される式内社で、旧社格は村社です。「なゐ」は本来「地」を意味する古語で、近世には地祇大明神・国津大明神と呼ばれ、国津神である大己貴命が主祭神とされるようになりました。元伊勢の伝承地の一つにも数えられます。境内には興玉神社と山神社が祀られ、皇大神宮と橿原神宮の遙拝所も設けられています。
- 所在地
- 三重県名張市下比奈知2092
- 御祭神
- 大己貴命、少彦名命
- 系統
- 出雲
久留真神社
三重県鈴鹿市白子に鎮座し、大己貴尊を主祭神に須世理姫命と漢織姫命を配祀する。社伝では、古くは現在の白子・御殿町一帯にあたる「伊勢の森」と呼ばれる神域に大己貴尊と須世理姫尊を祀って「福徳さん」と称え、樹齢千年を超える福徳の松がそびえていたという。雄略天皇の代に渡来した漢織(あやはとり)らが伊勢の人々に紡績や衣縫の技術を伝えた功績を称え、漢織姫命を福徳の女神として合祀したと伝える。延長5年(927)に集大成された延喜式の神名帳に載る式内社で、寛永11年(1634)3月には御殿と代官所の設立用地として伊勢の森の境内を上地し、現在地へ遷座した。その際に2代目・3代目の福徳の松が植えられている。昭和18年(1943)4月に村社から県社となった。
- 所在地
- 三重県鈴鹿市白子1-15-15
- 御祭神
- 大己貴尊
- 系統
- 出雲
宇流富志禰神社
名張の地の氏神として信仰されてきた延喜式内社で、伊賀二十五社の一社に数えられる。主祭神の宇奈根命は水と穀物の神で、御神体である赤岩が名張川のうねりのそばにあることから「うねる」が転じて宇奈根になったと伝えられ、社名も「潤うふし水」に由来するという。『日本三代実録』には貞観15年(873年)に宇奈根神が従五位上を授けられた記事が見える。天正8年(1580年)の天正伊賀の乱で社殿・宝物・古文書をことごとく焼失したが、境内には元久2年(1205年)銘の石燈籠が残り、元和2年の棟札からこの年に再建されたとみられる。のちに伊賀領主筒井定次の重臣松倉勝重、次いで藤堂高吉から神領の寄進を受け、明治14年11月に県社に列した。藤堂家から譲り受けた能面45面は三重県の文化財に指定されている。
- 所在地
- 三重県名張市平尾3319
- 御祭神
- 宇奈根命
都波岐神社・奈加等神社
伊勢国一之宮とされる都波岐神社と、同じく延喜式内社である奈加等神社を合わせ祀る神社。創立は雄略天皇の御代(5世紀後半)と伝えられる古社で、みちひらきの神とされる猿田彦大神を都波岐神社の祭神、天椹野命と中筒之男命を奈加等神社の祭神として、現在は一つの社殿に相殿の形で祀っている。本殿には平安時代に弘法大師が奉納したと伝わる獅子頭二体を御神体として納め、古くから中戸流獅子舞が受け継がれてきた。同じ鈴鹿市内の椿大神社とともに伊勢国一の宮を称し、全国から一の宮巡拝の参拝者が訪れる。2021年からは手水舎を季節の花で飾る花手水を始め、獅子頭と花をあしらった季節の御朱印を月替わりで頒布している。
- 所在地
- 三重県鈴鹿市一ノ宮町1181
- 御祭神
- 都波岐神社:猿田彦大神、奈加等神社:天椹野命
- 系統
- 住吉
伊奈冨神社
社伝では崇神天皇5年に神路ヶ岡へ三社が鎮祭されたことに始まると伝える古社。主祭神の保食大神は「稲生の大神」と称され、あらゆる食物、とりわけ稲の稔りを守る神として五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・厄除開運の信仰を集めてきた。平安時代の天長年間には弘法大師が参籠して菩薩堂を建てたと伝え、貞観7年(865年)に従四位下を授けられ、『延喜式』神名帳に載る式内社となった。鎌倉時代には正一位に昇り、文永11年(1274年)には三社それぞれに勅額が下賜された。江戸時代には紀伊徳川家から造営料銀が寄進されて三社の大造営が行われている。明治6年に郷社、明治37年に県社に列した。男神坐像と扁額三面は国の重要文化財。境内は「つつじ山」とも呼ばれ、約5000株の紫つつじが群生する三重県指定名勝である。
- 所在地
- 三重県鈴鹿市稲生西2-24-20
- 御祭神
- 保食神大国道命
大村神社
三重県伊賀市阿保に鎮座する式内社。主祭神の大村の神は第11代垂仁天皇の皇子・息速別命で、『古事記』『日本書紀』には伊許婆夜和気命、池速別命と記される。伊勢の神宮を奉鎮した倭姫命の弟にあたり、この地に宮室を築いて一帯を開拓した神として、また土地の鎮め・地震除災の守り神として古くから信仰を集めてきた。『日本三代実録』には863年に神階が正六位上から従五位下へ昇叙されたとあり、『延喜式』神名帳(927年)にも社名が載る。相殿の武甕槌命・経津主命は、神護景雲元年(767年)に常陸・下総から奈良の三笠山へ遷る途次に当社で休息し、その際に霊石「要石」が奉斎されたと伝える。要石は地下深くまで広がって大地を揺るがす大なまずを押さえているという。天正15年(1587年)建立の旧本殿「宝殿」は国の重要文化財。
- 所在地
- 三重県伊賀市阿保1555
- 御祭神
- 大村神
大津神社
伊勢神宮外宮(豊受大神宮)の末社の一社。外宮には末社が八社あり、そのひとつにあたる。祭神は葦原神。伊勢神宮崇敬会の解説によれば五十鈴川の河口を守る神とされ、港口の潮の神であることが社名からうかがえるという。現在は外宮境内の北御門側の参道から脇道へ入り、摂社・度会国御神社の先に鎮座する。神宮125社をめぐる参拝の一社として訪れる人が多い。
- 所在地
- 三重県伊勢市豊川町
- 御祭神
- 葦原神
- 系統
- 伊勢・神明
足見田神社
三重県四日市市水沢町に鎮座する延喜式内社で、旧社格は郷社。三重県神社庁は主祭神を志那都比古命・志那都比売命・瀬織津比咩命とする。一方で『神明帳考証』は祭神を日本武尊とし、東国平定の帰路にこの地へ立ち寄った日本武尊が「吾が足は三重に曲がるようでひどく疲れた」と語ったことから「三重」の地名が足見田の地に由来するという伝承も伝えられている。創建は垂仁天皇26年とも雄略天皇21年とも伝わり、詳細は定かでない。年間には春祭・新茶祭・慰霊祭・秋祭など、茶どころ水沢の生業と結びついた祭事が営まれる。なかでも7月31日の「水まつり」は享保5年(1720年)を創始とする雨乞い祈願の祭りで、境内に奉納される「お諏訪おどり」は、瀬戸用水の完成に尽力した庄屋・辻久善の功績をたたえる詞章にもとづく踊りとして伝えられ、昭和48年(1973年)1月7日に四日市市の無形民俗文化財に指定された。
- 所在地
- 三重県四日市市水沢町707
川上山若宮八幡宮
三重県津市美杉町川上、伊勢・伊賀・大和の国境に近い雲出川水源の地に鎮座する。創建の年代は明らかでないが、社伝によれば、家城から奥の一帯は磐之媛皇后の御領地「岩野郷」で、仁徳天皇がこの郷の開拓に努めたという。履中天皇の御代(5世紀初め)、郷民が仁徳天皇と磐之媛皇后の遺徳を慕い、伊勢平野を見下ろす修験業山の麓のこの清らかな地を選んで社を設け、両者の御魂を祀ったのが日本最古の若宮八幡宮であると伝えられる。社殿の創始以前から、修験業山の自然の磐座である高宮に国津神・天津神・八百萬神を尊崇してきたことが創建の淵源とされる。中世は修験道の霊場となり、伊勢国司北畠氏は当社の加護を頼って隣村多気に居城を構え、春秋の大祭には自ら参詣した。江戸時代の津藩主藤堂家も北畠氏の故事にならって篤く崇敬し、代々の祈願所とした。
- 系統
- 八幡
志氐神社
四日市市羽津の氏神で、罪・穢れを祓い去る祓戸四神の一柱である気吹戸主神を主祭神とし、伊邪那岐命・伊邪那美命ほか九柱を合わせ祀る。社伝では垂仁天皇の御代の鎮座と伝え、古くは「高野御前」と称した。壬申の乱の際、のちの天武天皇が吉野から桑名へ向かう途次、迹太川のほとりで伊勢の皇大神宮を遥拝し、その際に「シデ」(御幣)を垂らして禊祓いを行ったことから「志氐」の名が起こり社名になったと伝わる。延長5年(927年)成立の延喜式神名帳に載る式内社で、明治維新までは羽津・吉沢・別名・八幡・鵤の各村の総社とされた。明治6年に郷社、明治39年に神饌幣帛料供進社と定められ、明治40年以降は白須賀の神明社・住吉社、八幡の八幡神社、別名の長谷神社・荒神社など周辺各字の神社を合祀した。昭和6年には県社に列している。
- 所在地
- 三重県四日市市大宮町14-6
- 御祭神
- 気吹戸主神、伊邪那岐命
能褒野神社
日本武尊を主祭神とし、妃の弟橘姫命と子の建貝児王を配祀する。古事記・日本書紀は、東国平定の帰路に伊吹山の神の怒りに触れて病に倒れた日本武尊が、この能褒野の地で亡くなったと伝える。明治12年(1879)、内務省が丁子塚(能褒野王塚古墳)を日本武尊の陵墓「能褒野墓」と治定したことを受け、その傍らに神社を創建する動きが起こった。明治16年(1883)に社号が定められ、翌17年に創建の許可を得て、明治28年(1895)に社殿が竣工し鎮座祭が営まれた。明治42年(1909)には配祀神を加え、近隣約40社を合祀して村社に列格。大正14年(1925)に県社へ昇格した。隣接する能褒野王塚古墳は墳丘長約90m、後円部の高さ約8.5mで、伊勢北部地方では最大規模の前方後円墳である。
- 所在地
- 三重県亀山市田村町1409
- 御祭神
- 日本武尊、弟橘姫命
官舎神社
延喜式神名帳に名を連ねる式内社で、もとは伊勢神宮の大宮司家である中臣氏の氏神であったと伝えられます。社伝では天平勝宝8年(756年)に、中臣氏の祖神を祀るため奈良の春日社を勧請したことに始まるとされます。延暦16年(797年)、伊勢へ下向する斎王らが滞在した離宮院の中に遷され、式内社「官舎神社」と称されるようになりました。戦国時代の戦乱で一度は荒廃しましたが、寛文3年(1663年)に再興されています。明治12年(1879年)に村社となり、翌年には小俣神社(八柱神社)を合祀、昭和19年(1944年)には県社へ昇格しました。離宮院にちなむ「離宮さん」の通称で親しまれ、旅の安全を願う「旅の宮」、漁業者が海上安全と大漁を祈る「大漁宮」としても信仰されています。
- 所在地
- 三重県伊勢市小俣町本町1446
- 御祭神
- 建御雷之男神、経津主神
波氐神社
創建年代は不詳だが、社伝では延暦20年(801年)に伝教大師によって社殿が改造されたとされ、桓武天皇の代には既に祀られていたと伝える。それから約100年後に成立した『延喜式』神名帳に載る伊勢国一志郡の式内社で、古来より矢頭山を中心に信仰されてきた。伊勢国司の北畠氏も崇敬篤く、神領を寄進して社の経営を助けたという。波瀬村には矢頭山の神を祀る社が3社あり、村の中央に鎮座する小矢頭神社を本宮、約6km離れた山麓の矢頭神社を中宮、山頂の高岳神社を奥宮として、あわせて矢頭山蔵王権現と称した。明治6年(1873年)の神仏分離で矢頭神社が波氐神社と改称し、明治42年から43年にかけて中宮・奥宮を含む村内32社を小矢頭神社に合祀して現在の波氐神社となった。昭和20年(1945年)に県社に列格している。
- 所在地
- 三重県津市一志町波瀬4248
- 御祭神
- 火雷神、安閑天皇
- 系統
- 出雲
三重県で多いご利益
三重県の神社一覧から、件数の多いご利益別ページをまとめています。
三重県の市区町村別ガイド
神社巡りの計画を立てやすい主要エリアをまとめています。