由緒
社伝によれば、第12代景行天皇の皇子・武国凝別命が国土開発のため伊予に封ぜられ、皇祖天照大神を奉斎した。命の子孫は伊予三村別氏としてこの地方に広がり、天照大神に始祖の武国凝別命を合わせ祀ったのが当社の創祀とされ、社の年表では成務天皇7年(137)とする。奈良時代には伊予国第一の大社として朝廷の崇敬を受け、天平宝字6年(762)には新羅遠征のための奉幣祈願があった。天平神護2年(766)に従四位下を授けられ、当社はこれをわが国の神位奉授の始めとしている。延喜式で名神大社とされ、永治元年(1141)に正一位へ昇った。天正13年(1585)に豊臣秀吉の四国攻めで兵火にかかり、寛文10年(1670)には西条藩主松平頼純が社地を寄進した。昭和15年(1940)に国幣中社となり、社に伝わる与州新居系図は国の重要文化財に指定されている。