由緒
佐久市塚原(中山道岩村田宿周辺)に鎮座し、文明18年(1486)に耳取城の大井政継が再建したと伝わる。牧場を守るために祀られたとされ、望月の御牧との関わりが指摘されるが、千曲川の対岸に位置するため疑問も残るとされる。祭神として騎乗の男女二神像を祀るのが大きな特徴。室町時代後期建立の一間社流造の本殿は、昭和24年(1949)に国の重要文化財に指定されている。
長野県に鎮座する神社です。御祭神は騎乗の男女二神像。開運のご利益で知られます。
佐久市塚原(中山道岩村田宿周辺)に鎮座し、文明18年(1486)に耳取城の大井政継が再建したと伝わる。牧場を守るために祀られたとされ、望月の御牧との関わりが指摘されるが、千曲川の対岸に位置するため疑問も残るとされる。祭神として騎乗の男女二神像を祀るのが大きな特徴。室町時代後期建立の一間社流造の本殿は、昭和24年(1949)に国の重要文化財に指定されている。
駒形神社の御祭神は騎乗の男女二神像です。
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善光寺門前の上西之門町に鎮座する、善光寺七社の一社。社伝では建久7年(1196年)、信濃を訪れた源頼朝が疫病除けのため京都の八坂神社を勧請して創建したと伝えられる。安永3年(1774年)には善光寺大勧進の住職から社地の寄進を受けている。祭神は須佐之男命で、悪疫除け・災厄除け・健康長寿の神として信仰を集めてきた。当社の御祭礼は「ながの祇園祭」と呼ばれ、かつては京都・広島と並ぶ日本三大祇園祭に数えられ
上田城本丸跡に鎮座し、真田氏・仙石氏・松平氏という歴代の上田城主を御祭神とする。もとは藤井松平氏の先祖を祀る松平(しょうへい)神社で、上田城主となった系統の藤井松平氏の初代・松平忠晴(忠山)の霊を京都に祀った忠山社が起源とされる。明治維新後、廃藩置県で上田城が民間へ払い下げられ、城跡が桑園や麦畑へ姿を変えていくなか、旧上田藩士や旧領内の有志が旧藩主への報恩と城跡保存を願って神社創建を発起した。本丸
松本城下の西、城山のふもとにあたる蟻ケ崎に鎮座する社で、陸奥国一宮の鹽竈神社(宮城県塩竈市)の分霊を勧請した分社にあたる。勧請の年代は明らかでないが、慶安4年(1651年)より前と考えられており、現存する本殿は明和5年(1768年)の造営と記録されている。祭神の塩土老翁命は人々に製塩を教えたと伝わる神で、海路の神・塩の神として信仰される。松本では安産守護の神としても崇敬され、底を抜いた柄杓を奉納し
創祀年代は不詳です。独鈷山の麓、塩田平の古安曽に鎮座し、鈴子・石神・柳沢の三地区の産土神として崇敬されてきました。社伝では崇神天皇の御代に国家安泰を祈願して各地に社が建てられた際、「阿曾山舎社阿曾大明神」の勅額が奉納されたと伝えます。清和天皇の貞観年間(860年頃)には信濃権守の岑嗣が阿曽山舎社を再建し、仁和4年(888年)にも勅額が奉納されたといいます。寿永年間(1185年頃)に源頼朝が諸国の神