ご利益 × 都道府県

長野県の開運神社

長野県で開運のご利益を目的に参拝したい神社を一覧で紹介します。

長野県の開運神社一覧

27件中1-20件を表示しています。

長野県開運

弥栄神社

やさかじんじゃ

善光寺門前の上西之門町に鎮座する、善光寺七社の一社。社伝では建久7年(1196年)、信濃を訪れた源頼朝が疫病除けのため京都の八坂神社を勧請して創建したと伝えられる。安永3年(1774年)には善光寺大勧進の住職から社地の寄進を受けている。祭神は須佐之男命で、悪疫除け・災厄除け・健康長寿の神として信仰を集めてきた。当社の御祭礼は「ながの祇園祭」と呼ばれ、かつては京都・広島と並ぶ日本三大祇園祭に数えられたとも伝えられる。昭和40年(1965年)から42年にかけては松代群発地震の影響で屋台巡行が自粛され、その後長く途絶えていたが、平成24年(2012年)に「ながの祇園祭 御祭礼屋台巡行」として復活し、以後は毎年行われている。

所在地
長野県長野市上西之門町612-イ
御祭神
須佐之男命
長野県開運

眞田神社

さなだじんじゃ

上田城本丸跡に鎮座し、真田氏・仙石氏・松平氏という歴代の上田城主を御祭神とする。もとは藤井松平氏の先祖を祀る松平(しょうへい)神社で、上田城主となった系統の藤井松平氏の初代・松平忠晴(忠山)の霊を京都に祀った忠山社が起源とされる。明治維新後、廃藩置県で上田城が民間へ払い下げられ、城跡が桑園や麦畑へ姿を変えていくなか、旧上田藩士や旧領内の有志が旧藩主への報恩と城跡保存を願って神社創建を発起した。本丸跡の所有者だった丸山平八郎の寄附により境内地が整い、明治12年(1879年)に長野県から創立が許可された。戦後になって真田氏と仙石氏も合祀し、昭和28年(1953年)に上田神社と改称したが、市内の同名社と紛らわしいため、昭和38年に初代城主の名を冠した眞田神社へ改称して現在に至る。境内には城内唯一の大井戸と伝わる眞田井戸が残る。

所在地
長野県上田市二の丸1-12
御祭神
真田氏、仙石氏
長野県開運

塩釜神社

しおがまじんじゃ

松本城下の西、城山のふもとにあたる蟻ケ崎に鎮座する社で、陸奥国一宮の鹽竈神社(宮城県塩竈市)の分霊を勧請した分社にあたる。勧請の年代は明らかでないが、慶安4年(1651年)より前と考えられており、現存する本殿は明和5年(1768年)の造営と記録されている。祭神の塩土老翁命は人々に製塩を教えたと伝わる神で、海路の神・塩の神として信仰される。松本では安産守護の神としても崇敬され、底を抜いた柄杓を奉納して安産を願う習わしが伝えられてきた。旧社格は無格社で、夏の例祭は花火が上がる地域の祭りとして親しまれている。境内には境内社の八坂神社のほか、道祖神や歌碑が残る。

所在地
長野県松本市蟻ケ崎1-4-34
御祭神
塩土老翁命
長野県開運

安曽神社

あそじんじゃ

創祀年代は不詳です。独鈷山の麓、塩田平の古安曽に鎮座し、鈴子・石神・柳沢の三地区の産土神として崇敬されてきました。社伝では崇神天皇の御代に国家安泰を祈願して各地に社が建てられた際、「阿曾山舎社阿曾大明神」の勅額が奉納されたと伝えます。清和天皇の貞観年間(860年頃)には信濃権守の岑嗣が阿曽山舎社を再建し、仁和4年(888年)にも勅額が奉納されたといいます。寿永年間(1185年頃)に源頼朝が諸国の神社を修理させた折、地頭の芳沢光綱が地主神・石上布留社の境内に社を建てて遷座しました。明治29年9月に郷社に列格。諏訪の神を祀ることから神紋は梶で、境内には二階建ての随身門が残ります。

所在地
長野県上田市古安曽1500
御祭神
健南方富命、大己貴命
系統
出雲
長野県縁結び開運

黒沢御嶽神社

くろさわおんたけじんじゃ

木曽御嶽山の黒沢口に鎮座し、山麓の里宮と若宮を総称して御嶽神社と呼ぶ。里宮は少彦名命、若宮は大己貴命を祀り、旧黒沢村の時代からこの地の産土神として信仰されてきた。里宮は御嶽街道でもあった109段の石段を登ったところにあり、若宮には永禄8年(1565)に木曽義昌が家臣とともに奉納した三十六歌仙板絵が伝わって、木曽谷では最も古い絵馬とされる。御嶽山は古くから修験の霊山として登拝が行われていたが、天明4年(1784)に尾張の行者・覚明が黒沢口を一般に開いたことで、御嶽信仰は木曽周辺から全国へと広がった。江戸後期の享和3年(1803)までに黒沢へ伝えられたとみられる太々神楽は、神職と保存会員によって今も受け継がれている。

所在地
長野県木曽郡木曽町三岳3793(里宮)
御祭神
大己貴命、少彦名命
系統
出雲
長野県縁結び開運

有明山神社

ありあけさんじんじゃ

長野県に鎮座する出雲系の神社です。御祭神は手力雄命、八意思兼命、大己貴命。縁結び・開運・家内安全のご利益で知られます。

所在地
長野県安曇野市穂高有明宮城7271(里宮)長野県安曇野市穂高有明(有明山頂)(嶺宮)
御祭神
手力雄命、八意思兼命
系統
出雲
長野県開運

武井神社

たけいじんじゃ

創立年代は明らかでないが、持統天皇5年頃の創建とする口伝が残る。社名の由来には、諏訪大社の社領であった武井と同じ祭神を祀ることによるとする説と、神官の武居祝一族が奉斎したことによるとする説がある。古くは武井明神・諏訪明神と呼ばれ、現在の社名となったのは文化4年(1807年)。善光寺表参道の東側19か町を氏子とし、妻科神社・湯福神社とともに善光寺三鎮守(善光寺三社)に数えられ、善光寺七社の一社でもある。弘化4年(1847年)の善光寺地震で社殿を焼失し、13年後に再建された。現在の拝殿は平成21年(2009年)に建て替えられたもの。万延元年(1860年)の「御柱祭行列図大絵馬」は長野市指定有形文化財となっている。

所在地
長野県長野市大字長野東町186-2
御祭神
建御名方命、八坂刀売命
長野県開運

若一王子神社

にゃくいちおうじじんじゃ

長野県大町市大町に鎮座し、伊弉冉尊・仁品王・妹耶姫・若一王子の四柱を祀る。社伝では垂仁天皇の御代に仁品王が社を建てて伊弉冉尊を奉祀したのが始まりとされ、のちに土地の創始の神として仁品王とその后・妹耶姫が合祀された。安曇郷を領した仁科氏の崇敬が篤く、嘉祥2年(849)の創建と伝えられる。仁科盛遠が熊野那智大社に詣で、第五殿に祀られる若一王子を勧請してからは若一王子の宮と称された。現在の本殿は戦国末期の弘治2年(1556)に仁科盛康が造営した隅木入春日造の一間社で、国の重要文化財。承応3年(1654)には社殿の大修造が行われた。明治の神仏分離の際に現社号へ改め、昭和6年(1931)に県社、昭和51年(1976)に別表神社へ加列。境内には観音堂(宝永3年/1706)と三重塔(宝永8年/1711)が残り、神仏習合の姿を今に伝える。社叢「王子の森」は長野県天然記念物。

所在地
長野県大町市大字大町2097
御祭神
伊弉冉尊、仁品王
長野県開運

風間神社

かざまじんじゃ

創祀年代は不詳で、当地の開拓にあたって風の神を祀ったのが起こりと伝えられる古社です。『延喜式』神名帳の信濃国水内郡「風間神社」に比定される式内社で、『日本書紀』推古天皇の条にみえる水内神、『日本三代実録』貞観2年(860年)に叙位の記事がある飄別神を当社とする説があります。天元2年(979年)には諏訪神家の庶流・矢島忠直が神領の庄司として下向して風間氏を称し、各地に広がる風間氏の祖となりました。中世には諏訪信仰の影響を受けて諏訪大明神と称し、元禄10年(1697年)に風間大明神へ、文政5年(1822年)に現在の風間神社へと社号を改めています。同じ文政5年に始まった太々神楽獅子舞は、平成10年(1998年)に長野市の選択無形民俗文化財となりました。

所在地
長野県長野市風間781-1
御祭神
級長津彦命、級長戸辺命
長野県開運商売繁盛

美和神社

みわじんじゃ

創建年代は不詳です。主祭神は大物主命で、相殿に国業比売神と神部神を祀ります。大和の大神神社の神を勧請したとの伝承があり、社名も三輪の地名もこれに由来するとされます。『日本三代実録』には、貞観3年(861年)に国業比売神が従五位下を授けられたこと、貞観8年(866年)には信濃国水内郡の三和・神部両神の祟りを鎮めるため朝廷が読経を命じたことが記されています。10世紀の『延喜式』神名帳には水内郡の筆頭に「美和神社」と載る式内社で、近世は三和明神と呼ばれて三輪村の産土神として信仰され、江戸時代中期に現在の社名へ改められました。現在の社殿は寛政5年(1793年)の建立で、近代には県社に列せられています。善光寺七社の一社に数えられ、境内には珍しい三ツ鳥居と百近い石祠が並びます。

所在地
長野県長野市大字三輪字相ノ木東514
御祭神
大物主命
系統
三輪
長野県開運

駒形神社

こまがたじんじゃ

佐久市塚原(中山道岩村田宿周辺)に鎮座し、文明18年(1486)に耳取城の大井政継が再建したと伝わる。牧場を守るために祀られたとされ、望月の御牧との関わりが指摘されるが、千曲川の対岸に位置するため疑問も残るとされる。祭神として騎乗の男女二神像を祀るのが大きな特徴。室町時代後期建立の一間社流造の本殿は、昭和24年(1949)に国の重要文化財に指定されている。

所在地
長野県佐久市塚原
御祭神
騎乗の男女二神像
長野県勝負運厄除け

芋川神社

いもがわじんじゃ

起源は不詳だが、古くから天照大御神を祀り、芋川地区の総社として崇敬されてきた旧村社。明治40年(1907)には前年の神社合祀に伴い境内を拡張し、本殿と祝詞殿の間に芋川用水を通して同年9月に遷宮の儀式が行われた。平成11年(1999)9月の不審火で幣殿・祝詞殿・拝殿・社務所の4棟を焼失したが、同年12月、諏訪大社下社春宮から御柱祭に合わせて建て替えられる御宝殿の用材を譲り受けて本殿が再建され、平成17年(2005)には拝殿も再建された。祭神は天照大御神・健御名方富命・誉田別尊など9柱。

所在地
長野県上水内郡飯綱町大字芋川
御祭神
天照大御神、健御名方富命
系統
八幡
長野県縁結び開運

小野神社

おのじんじゃ

創建年代は不詳。祭神は建御名方命で、諏訪へ向かう途中の建御名方命がこの地に留まったという伝承を持つ古社である。中世以降は、同じ社叢の南側に鎮座する矢彦神社(辰野町)とともに「小野南北大明神」と称され、信濃国二之宮として崇敬を集めた。木曽義仲が戦勝を祈願したとも伝わる。寛文12年(1672)の火災で主要社殿を焼失したが、同年中に松本藩によって再建され、本殿2棟・八幡宮本殿・勅使殿の4棟は江戸時代前期の神社建築の代表作として長野県宝に指定されている。卯年と酉年には矢彦神社とともに御柱祭が盛大に行われる。

所在地
小野:長野県塩尻市北小野175-1矢彦:長野県上伊那郡辰野町大字小野3267
御祭神
小野:建御名方命、矢彦:大己貴命
系統
出雲
長野県開運

王滝御嶽神社

おうたきおんたけじんじゃ

王滝御嶽神社は、霊峰御嶽山の王滝口に関わる御嶽信仰の神社。寛政4年(1792)に普寛行者が王滝口登山道を開き、講社を組織して登拝を広めた。登山道には御嶽神社が守護する社や行者・御嶽講の霊神場が点在し、神仏習合の信仰を伝えている。

長野県心願成就開運

戸隠神社 奥社

とがくし じんじゃ おくっしゃ

戸隠神社 奥社は天手力雄命を祀る神社。開運・心願成就のご利益で知られ、紀元前210年(孝元天皇5年)伝承に創建された由緒ある神社です。

所在地
長野県長野市戸隠3690
御祭神
天手力雄命
長野県開運

生島足島神社

いくしまたるしまじんじゃ

生島足島神社の創建年代は明らかではないが、神代に建御名方富命が諏訪へ向かう途中この地に留まり、生島大神・足島大神に米粥を献じたと伝えられる。国土の生成と充足を司る神を祀る信濃の古社である。

所在地
長野県上田市下之郷中池西701
御祭神
生島大神足島大神
長野県縁結び開運

阿禮神社

あれいじんじゃ

阿禮神社は長野県塩尻市に鎮座する延喜式内社で、旧社格は県社。社伝によれば、素盞嗚命が出雲国簸川上で八岐大蛇を平定した後、科野国塩尻峠西麓の荒彦山に姿を現し、悪鬼を討ち平げたと伝えられ、その神威を尊び祀ったのが起源とされる。もともと『阿礼ノ神』は、四沢川流域で集団生活を営んでいた諏訪族神氏を祖とする氏族が、上流にそびえる五百砥山そのものを御神体として祀ったものともいわれる。文徳天皇の仁寿2年(852)には現在の社地に遷座し、大己貴命・誉田別命が合祀された。現在の社殿は寛保3年(1743)に再建されたものである。

所在地
(前宮)長野県塩尻市塩尻町433-1
御祭神
須佐之男命、大己貴命
系統
出雲
長野県勝負運交通安全

諏訪大社

すわたいしゃ

諏訪大社は、諏訪湖を挟んで鎮座する上社本宮・上社前宮、下社春宮・下社秋宮の四宮からなる信濃国一宮である。『古事記』の国譲り神話において、出雲から信濃へと移り住んだ建御名方神が国を治めたことに由来すると伝わり、御鎮座の正確な時期は不明ながら千五百年から二千年前に遡るとされ、日本最古級の神社の一つに数えられる。持統天皇5年(691年)には朝廷から勅使が遣わされ、国家安全と五穀豊穣が祈願された記録が残る。鎌倉時代の源頼朝、戦国時代の武田信玄をはじめ、武運長久を願う武将たちから篤く崇敬され、江戸幕府の歴代将軍も社領を寄進するなど、時代を超えて信仰を集めてきた。

所在地
長野県の諏訪湖周辺に4宮(各項参照)
御祭神
建御名方神、八坂刀売神
系統
諏訪
長野県開運

御嶽神社

おんたけじんじゃ

長野県に鎮座する神社です。開運のご利益で知られます。

長野県開運

加茂神社

かもじんじゃ

長野県に鎮座する賀茂系の神社です。開運のご利益で知られます。

系統
賀茂

長野県で開運の神社を選ぶポイント

開運の参拝先を選ぶときは、所在地だけでなく、御祭神・由緒・アクセスを合わせて確認すると巡りやすくなります。長野県内で複数の神社を比較し、旅程に合う場所から参拝先を絞り込んでください。

関連ページ

開運と長野県の親ページも合わせて確認できます。

長野県の他のご利益

長野県で件数の多いご利益別ページです。