由緒
桜井市外山(とび)、鳥見山の山麓に鎮座する式内社で、『延喜式』神名帳に「宗像神社三座」と載る名神大社。宗像三女神を祀り、『日本三代実録』には筑前国の宗像神社(現・宗像大社)と「同神別社」であると記されている。創祀の経緯は詳らかでなく、天武天皇の後宮に入って高市皇子を生んだ胸形尼子娘の縁により皇子の外戚の氏神として祀られたとする伴信友の説のほか、畿内に住んだ宗像氏が本貫地の神を分祀したとする説もある。のちに高市皇子の後裔とされる高階氏が氏神として崇め、元慶4年(880)に官社に列した。南北朝時代の興国2年(1341)、高階義岑が弟とともに南朝方に与して鵄(とび)村で戦った際の兵火により社殿を焼失し、社領も失って衰退、以後は長く「春日社」と称された。幕末には国学者・鈴木重胤の尽力もあって、安政6年(1859)に筑前の宗像神社から改めて神霊を迎え、翌万延元年(1860)に社殿を復旧している。明治8年(1875)に宗像神社の社号へ復し、同40年(1907)に村社となった。