由緒
創建年代は不詳。武蔵国の二宮とされ、武蔵総社六所宮の「二の宮」に数えられる古社で、古くは「小河大明神」と称し小川郷の鎮守であった。天慶の乱の際には藤原秀郷が戦勝を祈願し、乱平定の奉賽として社殿玉垣を造営したと伝わる。天正19年(1591)には徳川家康から朱印地15石を与えられた。明治3年(1870)に現社名に改称。本殿・宮殿はあきる野市指定文化財で、境内一帯は「二宮神社並びに城跡」として東京都指定旧跡となっている。
東京都に鎮座する神社です。御祭神は国常立尊。開運のご利益で知られます。
創建年代は不詳。武蔵国の二宮とされ、武蔵総社六所宮の「二の宮」に数えられる古社で、古くは「小河大明神」と称し小川郷の鎮守であった。天慶の乱の際には藤原秀郷が戦勝を祈願し、乱平定の奉賽として社殿玉垣を造営したと伝わる。天正19年(1591)には徳川家康から朱印地15石を与えられた。明治3年(1870)に現社名に改称。本殿・宮殿はあきる野市指定文化財で、境内一帯は「二宮神社並びに城跡」として東京都指定旧跡となっている。
二宮神社の御祭神は国常立尊です。
9月9日(しょうが祭り)
元旦祭・節分祭・初午祭・春祭・新嘗祭などが行われ、毎月1日・15日には月次祭が斎行される。9月のしょうが祭では、東京都指定無形民俗文化財の秋川歌舞伎が上演される。
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大鳥神社は、東京都目黒区下目黒に鎮座し、目黒区内で最も古い祈願所の一つとされる神社である。社伝によれば、景行天皇の御代にすでに国常立尊を祀る社がこの地にあり、その後、東国平定に向かった日本武尊がこの地に立ち寄って戦勝と部下の眼病平癒を祈願したところ願いがかなったという。日本武尊の没後、その御霊が白鳥となってこの地に舞い降りたと伝わることから「鳥明神」として祀られるようになり、大同元年(806年)に
和銅元年(708年)の創建と伝わる。慶雲5年(708年)に武蔵国秩父郡黒谷から自然銅(にきあかがね)が産出して朝廷に献上され、元明天皇はこれを喜んで年号を「和銅」と改元した。この年に発行されたのが日本最初の流通貨幣とされる「和同開珎」である。献上に際して朝廷から遣わされた勅使が近くの祝山に鉱山の神・金山彦命を祀り、のちに現在地へ遷座して聖神社が創建されたと伝えられる。社の周辺には露天掘りの跡が残る
正保3年(1646)6月29日、摂津国佃村(現在の大阪市西淀川区佃)から江戸へ移り住んだ漁民たちと、住吉の社の神職・平岡権大夫好次が奉じてきた分神霊を、この地に祀ったことに始まる。徳川家康と縁の深かった摂津佃の人々は家康の関東下向に従って江戸へ下り、寛永年間に幕府から鉄砲洲の対岸にあたる干潟を与えられて島を築き、故郷にちなんで佃島と名付けた。祀られたのは住吉三神と神功皇后、そして東照御親命すなわち
皇居の吹上御苑にある賢所・皇霊殿・神殿の三殿をまとめた呼称で、三殿を一括して賢所と称することもある。南面して建つ三殿の中央が皇祖天照大御神を祀る賢所、その西が歴代天皇・皇后・皇族の霊を祀る皇霊殿、東が天神地祇八百万神を祀る神殿にあたる。明治維新後に宮中の祭祀が段階的に整理され、明治5年(1872年)に現在に連なる三殿の形が整ったと解されている。現在の建物は宮内省一等匠手を務めた木子清敬の設計により