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東京都の神社

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東京都の神社一覧

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東京都交通安全

住吉神社

すみよしじんじゃ

正保3年(1646)6月29日、摂津国佃村(現在の大阪市西淀川区佃)から江戸へ移り住んだ漁民たちと、住吉の社の神職・平岡権大夫好次が奉じてきた分神霊を、この地に祀ったことに始まる。徳川家康と縁の深かった摂津佃の人々は家康の関東下向に従って江戸へ下り、寛永年間に幕府から鉄砲洲の対岸にあたる干潟を与えられて島を築き、故郷にちなんで佃島と名付けた。祀られたのは住吉三神と神功皇后、そして東照御親命すなわち徳川家康である。佃島は江戸湊の入口にあたることから、海運業者や各問屋組合をはじめ多くの人々が海上安全・渡航安全の守り神として信仰を寄せた。その後、月島・勝どき・豊海・晴海と埋め立てが進むにつれ、これらの地域の産土神としても崇敬されるようになった。

所在地
東京都中央区佃1-1-14
御祭神
底筒之男命、中筒之男命
系統
住吉
東京都開運

宮中三殿

きゅうちゅうさんでん

皇居の吹上御苑にある賢所・皇霊殿・神殿の三殿をまとめた呼称で、三殿を一括して賢所と称することもある。南面して建つ三殿の中央が皇祖天照大御神を祀る賢所、その西が歴代天皇・皇后・皇族の霊を祀る皇霊殿、東が天神地祇八百万神を祀る神殿にあたる。明治維新後に宮中の祭祀が段階的に整理され、明治5年(1872年)に現在に連なる三殿の形が整ったと解されている。現在の建物は宮内省一等匠手を務めた木子清敬の設計により明治21年(1888年)10月に竣工し、翌明治22年1月9日に遷座された。単層入母屋妻入の白木造で、屋根は当初の檜皮葺から後に銅板葺へ改められた。昭和19年(1944年)には空襲を避けて皇居内の防空壕へ、平成16年(2004年)には耐震劣化調査のため仮殿へ一時動座している。祭祀は宮内庁とは別の内廷組織である掌典職が担う。

所在地
東京都千代田区千代田1番1号(皇居 吹上御苑内)
御祭神
天照大御神(賢所)、歴代天皇・皇族の霊(皇霊殿)
東京都開運

神田神社

かんだじんじゃ

社伝では天平2年(730年)、武蔵国豊島郡芝崎村(現在の大手町・将門塚周辺)に入植した出雲系の氏族が、大己貴命を祖神として祀ったことに始まるとされる。この地はもと伊勢神宮の御田があった土地で、神田の名もそこに由来すると伝わる。延慶2年(1309年)には、近くに葬られた平将門が霊神として合わせ祀られた。慶長8年(1603年)以降の江戸城拡張にともなって神田台へ移り、元和2年(1616年)に現在の外神田へ遷座している。江戸幕府の尊崇を受け、神田・日本橋・秋葉原・大手町など108か町の総氏神として「江戸総鎮守」と称された。明治7年(1874年)には少彦名命を大洗磯前神社から迎える一方、将門命は摂社へ移されたが、昭和59年(1984年)に本殿の祭神へ復している。大正12年(1923年)の関東大震災で社殿を焼失し、昭和9年(1934年)に当時としては珍しい鉄骨鉄筋コンクリート造の権現造で再建された。

所在地
東京都千代田区外神田2-16-2
御祭神
大己貴命、少彦名命
系統
出雲
東京都開運

元赤城神社

もとあかぎじんじゃ

牛込総鎮守として知られる赤城神社(新宿区赤城元町)が最初に祀られた旧鎮座地にあたる社。社伝によれば鎌倉時代後期の正安2年(1300年)、上野国赤城山麓の大胡(現在の群馬県前橋市)から牛込へ移り住んだ豪族・大胡彦太郎重治が、本国の鎮守である赤城神社の分霊をこの地に奉斎したことに始まるという。室町時代の寛正元年(1460年)、太田道灌によって社が牛込台へ遷されると、旧地に残された里人が小祠を建てて元赤城大明神と称し、この場所の神威を守り伝えた。明治のはじめに現在の社名へ改められている。昭和20年(1945年)5月25日の空襲で境内の建物を焼失したが再建され、現在は赤城神社が兼務する住宅街の小さな鎮守として祀られている。

所在地
東京都新宿区早稲田鶴巻町568
御祭神
磐筒雄命
系統
赤城
東京都開運

靖國神社

やすくにじんじゃ

明治2年(1869年)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12年(1879年)に「靖國神社」と改称して今日に至る。社号には国を靖んじる、すなわち平和な国家を築くという願いが込められている。幕末から明治維新にかけての動乱で国事に殉じた人々をはじめ、戊辰戦争、日清戦争、日露戦争、先の大戦などで国のために命を落とした軍人・軍属のほか、従軍看護婦や学徒、文官、民間人を含む246万6千余柱を祀る。東京都千代田区九段北に鎮座し、境内には戦没者の遺書や遺品を展示する遊就館、資料を所蔵する靖國偕行文庫が置かれている。

東京都厄除け病気平癒

品川神社

しながわじんじゃ

文治3年(1187)、源頼朝が安房国の洲崎明神から天比理乃咩命を勧請し、海上交通の安全と祈願成就を祈ったのが創始と伝えられる。元応元年(1319)に二階堂道蘊が宇賀之売命を、文明10年(1478)に太田道灌が素盞嗚尊を合わせ祀り、現在の三柱となった。慶長5年(1600)には徳川家康が関ヶ原の戦いに出陣する前に参拝して戦勝を祈願し、寛永14年(1637)に徳川家光が東海寺を建立した際には当社がその鎮守と定められて幕府の厚い庇護を受けた。明治元年(1868)には明治天皇の思召により准勅祭社の一社に定められ、現在は東京十社のひとつに数えられる。社殿は元禄7年と嘉永3年の焼失後、いずれも時の将軍の命で再建され、昭和39年(1964)に現在の社殿が再建。令和2年(2020)には天皇陛下の御即位を奉祝して社殿の修復が行われた。

所在地
東京都品川区北品川三丁目7番15号
御祭神
天比理乃咩命、素盞嗚尊
系統
八坂
東京都商売繁盛金運

王子稲荷神社

おうじいなりじんじゃ

東京都北区岸町に鎮座し、宇迦之御魂神・宇気母智之神・和久産巣日神を祀る。社伝によれば康平年間(1058〜1065)に征夷大将軍・源頼義から「関東稲荷総司」の称号を受けたとされ、関東の稲荷社を束ねる格式の社として崇敬を集めた。小田原北条氏に次いで徳川将軍家代々の祈願所と定められ、現在の社殿は十一代将軍徳川家斉が新規に寄進したものと伝わる。大晦日に関東各地の狐が近くの榎の下に集まり、身なりを整えてから当社に参詣したという言い伝えが残り、落語「王子の狐」の舞台としても知られる。2月の午の日には火事除けの縁起物を商う凧市が立ち、1月1〜3日と2月の午の日には「額面著色鬼女図」などの絵馬が公開される。

所在地
東京都北区岸町1-12-26
御祭神
宇迦之御魂神、宇気母智之神
系統
稲荷
東京都学業成就

亀戸天神社

かめいどてんじんしゃ

太宰府天満宮の神官で菅原道真公の末裔にあたる菅原大鳥居信祐が、正保3年(1646年)に神託を受けて飛梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため諸国を巡ったのち江戸の本所亀戸村にたどり着き、村にあった天神の小さな祠に神像を祀ったのが始まりと伝えられる。四代将軍徳川家綱は明暦の大火からの本所復興事業に際して現在の社地を寄進し、寛文2年(1662年)10月25日、太宰府天満宮にならって社殿・回廊・心字池・太鼓橋が整えられた。古くは「東宰府天満宮」「亀戸宰府天満宮」とも呼ばれ、本社である太宰府天満宮に対して東国天満宮の宗社として崇敬を集めてきた。御祭神は天満大神(菅原道真公)で、相殿に菅原家の祖神である天菩日命を祀る。境内は梅・藤・菊の名所として知られ、季節ごとにまつりが催される。

所在地
東京都江東区亀戸3丁目6番1号
御祭神
天満大神、天菩日命
系統
天神
東京都勝負運開運

鷲神社

おおとりじんじゃ

社伝によれば、天照大御神が天岩戸にこもられた折、天宇受売命が岩戸の前で舞った際に弦という楽器を司った神があり、天手力男命が岩戸を開いたとき、その弦の先に鷲がとまった。神々はこれを世を明るくする瑞兆と喜び、以来この神は鷲の一字を冠して鷲大明神、天日鷲命と称されるようになったという。天日鷲命は諸国の土地を開き、開運・殖産・商売繁昌に霊験の高い神としてこの地に祀られた。のちに日本武尊が東征の途上で戦勝を祈願し、志を遂げた帰りに社前の松へ武具の熊手を掛けて勝ち戦を祝った。その日が11月の酉の日であったことから例祭日と定められ、これが酉の市の起源とされる。この故事により日本武尊も祭神の一柱に加えられた。江戸時代は鷲大明神社と称し、宝暦・明和年間にはすでに酉の祭が相当な賑わいを見せていた。

所在地
東京都台東区千束三丁目18番7号
御祭神
天日鷲命、日本武尊
系統
熱田
東京都勝負運厄除け

富岡八幡宮

とみおかはちまんぐう

東京都江東区富岡に鎮座し、「深川の八幡様」として親しまれてきた江戸最大の八幡宮。公式の由緒によれば、寛永4年(1627年)に当時永代島と呼ばれていた現在地へ御神託により創建され、周辺の砂州一帯を埋め立てて社地と氏子の居住地を開き、あわせて六万五百八坪の社有地を得たという。江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を殊のほか尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受けた。明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に治定し、勅使を遣わして幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念した。御祭神は応神天皇(誉田別命)ほか八柱。毎月1日・15日・28日の月次祭は縁日として賑わい、門前仲町駅周辺に露店が並ぶほか、境内では骨董市やフリーマーケットも開かれる。

所在地
東京都江東区富岡一丁目20番3号
御祭神
品陀和気命他八柱
系統
八幡
東京都交通安全美容

厳嶋神社

いつくしまじんじゃ

東京都新宿区余丁町に鎮座し、「抜弁天(ぬけべんてん)」の通称で広く知られる。新宿観光振興協会の解説によれば、その昔、源義家が戦勝を祈願した厳嶋神社であり、この付近を旧鎌倉街道が通っていたために義家の伝説が残るのだという。境内が南北に通り抜けできること、また義家が苦難を切り抜けたことにちなむ弁天社であることから「抜弁天」として庶民の信仰を集め、江戸六弁天、新宿山ノ手七福神の一つに数えられた。御祭神は市杵島姫命で、仏教の弁財天と習合し、七福神で唯一の女神として金運・縁結び・芸事上達の神とされる。水の神でもあり、農作物に不可欠な水をもたらすことから五穀豊穣の守り神ともいわれる。神社付近一帯には、江戸時代に犬御用屋敷が置かれていた。

所在地
東京都新宿区余丁町8-5
御祭神
市杵島姫命(弁財天)
系統
厳島
東京都商売繁盛金運

小野神社

おのじんじゃ

武蔵国一之宮を称する古社で、公式サイトの由緒では安寧天皇18年2月の鎮座と伝える。主祭神は武蔵国開拓の祖神である天下春大神、瀬織津比咩大神、稲倉魂大神の三柱。元慶8年(884年)に正五位上の神階を授けられ、延喜式神名帳には武蔵国八座の一社として載る。国府の近くにあったことから国司や住民の崇敬が篤く、総社六所宮創建の際には東殿第一の席を与えられて一之宮と称されたという。鎌倉末から戦国期にかけて戦乱と多摩川の洪水で荒廃したが、棟札によれば慶長14年(1609年)に徳川二代将軍によって造営再興された。明治の神仏分離で文珠菩薩を移座し郷社に列格。大正15年の失火で社殿を焼失したが昭和2年に本殿・拝殿を再建し、昭和39年に随身門、昭和49年に末社の再建を終えている。

所在地
東京都多摩市一ノ宮1丁目18-8
御祭神
天下春命、瀬織津比咩命
系統
稲荷
東京都勝負運厄除け

八幡神社

にしくぼはちまんじんじゃ

寛弘年間(1004〜12年)に源頼信が石清水八幡宮の神霊を勧請し、霞ヶ関のあたりに創建したと伝わる。太田道灌の江戸城築城に際して現在地へ遷座した。徳川秀忠の正室崇源院が戦勝祈願の報賽として社殿建立を遺し、その意により寛永11年(1634年)に社殿が造営されている。江戸時代には「江戸八所八幡」の一つに数えられ、八八幡詣として多くの参詣を集めて門前町が栄えた。享保8年(1723年)と文化8年(1811年)の火災で被害を受け、昭和20年3月の戦災では社殿を焼失したが昭和28年に復興。平成27年には失われていた御本社神輿を復興し、平成29年に神幸祭を斎行した。令和元年からは「令和の御造替事業」として施設を再建し、令和3年10月29日に本殿遷座祭が斎行された。境内は縄文期の西久保八幡貝塚としても知られる。

所在地
東京都港区虎ノ門5-10-14
御祭神
品陀和気命、息長帯比売命
系統
八幡
東京都開運

素盞雄神社

すさのおじんじゃ

荒川区南千住に鎮座し、南千住・三河島・町屋(荒川区)と台東区三ノ輪にまたがる61ヶ町を氏子区域とする、区内で最も広い鎮守。社伝によれば平安時代の延暦14年(795年)、修験道の祖・役小角の高弟である黒珍が、住居の東にあった小塚の奇岩を霊場として崇め祈っていたところ、素盞雄大神・飛鳥大神の二柱が降臨して神託を授けたため一祠を建てたのが始まりとされる。この奇岩は現在も境内に「瑞光石」として祀られ、周辺の旧地名「小塚原」や近隣小学校の名に冠された「瑞光」の由来になっている。享保3年(1718年)の類焼で両社が焼失した後、享保12年(1727年)に二柱を相殿とする瑞光殿が新たに建てられた。素盞雄大神の別名が牛頭天王であることから「お天王さま」と呼ばれ、松尾芭蕉『奥の細道』矢立初めの句碑が建つ境内は「飛鳥の杜」と称されて江戸の文人墨客のサロンともなった。平成7年に御鎮座1200年祭が斎行されている。

所在地
東京都荒川区南千住6-60-1
御祭神
素盞雄大神、飛鳥大神
東京都学業成就

布多天神社

ふだてんじんしゃ

社伝では第十一代垂仁天皇の御代の創建と伝え、延長5年(927)成立の『延喜式』神名帳に武蔵国多摩郡の式内社として名を連ねる多摩地方有数の古社である。当初は少名毘古那神一柱を祀っていたが、文明9年(1477)に多摩川の洪水を避けて「古天神」と呼ばれる旧地から現在地へ遷り、そのとき菅原道真公を配祀した。江戸時代に甲州街道が整備されると上石原・下石原・上布田・下布田・国領の五宿が成立し、当社はその総鎮守として「五宿天神」と崇められた。明治22年(1889)に布田五宿が飛田給・上ヶ給と合併して調布町となってからは、調布町の総鎮守となっている。境内には豊臣秀吉が発した「太閤の制札」が伝わる。

所在地
東京都調布市調布ヶ丘1-8-1
御祭神
少名毘古那神、菅原道真公
系統
天神
東京都出世勝負運

上野東照宮

うえのとうしょうぐう

上野東照宮は寛永4年(1627年)の創建と伝わり、徳川家康公を東照大権現として祀る神社である。日光・久能山の東照宮とともに、全国に数多く分社が置かれた東照宮の一社にあたる。現在の社殿は江戸時代初期に造営されたもので、金色殿と通称される社殿をはじめとする建造物群は、戦火や震災による被害を免れ、江戸初期建築の貴重な遺構として国の重要文化財に指定されている。出世や勝利、健康長寿にゆかりのある神として参拝されているとされる。

所在地
東京都台東区上野公園9-88
御祭神
徳川家康、徳川吉宗
系統
日光
東京都開運

二宮神社

にのみやじんじゃ

創建年代は不詳。武蔵国の二宮とされ、武蔵総社六所宮の「二の宮」に数えられる古社で、古くは「小河大明神」と称し小川郷の鎮守であった。天慶の乱の際には藤原秀郷が戦勝を祈願し、乱平定の奉賽として社殿玉垣を造営したと伝わる。天正19年(1591)には徳川家康から朱印地15石を与えられた。明治3年(1870)に現社名に改称。本殿・宮殿はあきる野市指定文化財で、境内一帯は「二宮神社並びに城跡」として東京都指定旧跡となっている。

所在地
東京都あきる野市二宮2252
御祭神
国常立尊
東京都勝負運厄除け

八幡神社

はとのもりはちまんじんじゃ

鳩森八幡神社の創建には、いにしえの瑞祥にまつわる伝承が残る。かつてこの地の森にたびたび瑞雲が現れ、村人が分け入ると多くの白い鳩が西へ飛び立ったといい、この不思議な出来事にちなんで祠が建てられ「鳩森」と名付けられたと伝わる。貞観2年(860年)、関東巡教中の慈覚大師円仁がこの地に立ち寄った際、村民の願いを受けて神功皇后と応神天皇の御尊像を祀り、「正八幡宮」として崇敬されるようになったという。現在も応神天皇・神功皇后の二柱を御祭神とする。社殿は弘化2年(1845年)に上棟した欅造りであったが、昭和20年(1945年)の戦災で焼失し、戦後の復興を経て平成5年(1993年)に戦前の姿へと復元された。戦火をくぐり抜けたご神木の銀杏は、今も境内で命をつないでいる。境内には都内最古とされる富士塚(鳩森八幡神社富士塚)や将棋堂もあり、多くの参拝者に親しまれている。

所在地
東京都渋谷区千駄ヶ谷一丁目1番24号
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡
東京都健康祈願

多賀神社

たがじんじゃ

天慶元年(938)、武蔵介に任ぜられた源経基が国土豊穣・万世安穏を祈願するため、近江の多賀大社から分祀し勧請したと伝わる。文応元年(1260)には北条時頼が巡行の折にこの地で病に倒れ、古鏡を奉納して祈願したところ治癒したことから、社領七反歩を寄進して祈願所としたという。祭神は伊弉諾尊・伊弉冊尊の夫婦神で、良縁成就や子孫繁栄などの御神徳で知られる。明治26年(1893)に郷社へ昇格。新選組(甲陽鎮撫隊)解散の地としても知られ、境内には樹齢400年余の大銀杏の御神木がそびえる。8月の例大祭は八幡・八雲神社の「下の祭」に対して「上の祭」の別名で親しまれ、八王子まつりでの渡御で有名な宮神輿「千貫神輿」(市指定有形文化財)を有する。

所在地
東京都八王子市元本郷町四丁目9番21号
御祭神
伊弉諾尊、伊弉冉尊
系統
多賀
東京都勝負運厄除け

大宮八幡宮

おおみやはちまんぐう

康平6年(1063)、源頼義が前九年の役平定の途上、大空に八条の白雲がたなびくのを八幡大神の加護の瑞兆と感じ、乱の平定後に京都・石清水八幡宮から分霊を勧請して創建したと伝わる。子の八幡太郎義家も後三年の役ののち社殿を修築し、千本の若松を植えたと伝えられる。かつて「武蔵国八幡一之宮」と称された。昭和44年(1969)には境内から弥生時代の祭祀遺跡が発掘され、太古からの聖域であることが確認された。御祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后。「東京のへそ」とも呼ばれ、安産・子育て厄除けの信仰を集める。

所在地
東京都杉並区大宮2-3-1
御祭神
八幡大神(応神天皇)、仲哀天皇
系統
八幡

東京都で多いご利益

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