由緒
深谷市原郷に鎮座する『延喜式』神名帳所載の式内社で、武蔵国幡羅(はら)郡四座の一社。幡羅郡の総鎮守とされ、境内に残る古い社号標にも「武蔵国幡羅郡總社延喜式内楡山神社」と刻まれている。旧社家が絶えて社記の類が散逸したため創建年代は不明だが、第五代孝昭天皇の御代の鎮座という口碑が伝わり、後世の地誌には幡羅太郎道宗が再興したとも記される。社名は、神域一帯にニレの木が多く茂っていたことに由来する。江戸時代は天台宗東学院が別当を務め、熊野信仰の影響から「熊野三社大権現」とも呼ばれたが、明治の神仏分離により楡山神社の社号へ復した。明治5年(1872)に郷社、大正12年(1923)に県社へ昇格。境内には目通り約3.6m、樹高約10m、樹齢約600年と推定されるハルニレの神木が立ち、昭和24年(1949)に埼玉県の天然記念物に指定されている。