由緒
日本武尊を主祭神とし、妃の弟橘姫命と子の建貝児王を配祀する。古事記・日本書紀は、東国平定の帰路に伊吹山の神の怒りに触れて病に倒れた日本武尊が、この能褒野の地で亡くなったと伝える。明治12年(1879)、内務省が丁子塚(能褒野王塚古墳)を日本武尊の陵墓「能褒野墓」と治定したことを受け、その傍らに神社を創建する動きが起こった。明治16年(1883)に社号が定められ、翌17年に創建の許可を得て、明治28年(1895)に社殿が竣工し鎮座祭が営まれた。明治42年(1909)には配祀神を加え、近隣約40社を合祀して村社に列格。大正14年(1925)に県社へ昇格した。隣接する能褒野王塚古墳は墳丘長約90m、後円部の高さ約8.5mで、伊勢北部地方では最大規模の前方後円墳である。