由緒
沼名前神社は、鞆の祇園さんとして親しまれる備後国の古社。大綿津見命と須佐之男命を祀り、海上交通の要衝であった鞆の浦の守護神として崇敬されてきた。境内の能舞台は豊臣秀吉ゆかりと伝えられる。
広島県に鎮座する神社です。開運のご利益で知られます。
沼名前神社は、鞆の祇園さんとして親しまれる備後国の古社。大綿津見命と須佐之男命を祀り、海上交通の要衝であった鞆の浦の守護神として崇敬されてきた。境内の能舞台は豊臣秀吉ゆかりと伝えられる。
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広島県廿日市市の篠尾山に鎮座する天満宮。承久2年(1220年)に藤原親実が厳島神社の神主として着任し、守護神として天神を祀ったことに始まり、天福元年(1233年)に鎌倉の荏柄天神を勧請して篠尾山に社殿を構えたと社伝は伝える。親実は厳島神社の造営のため鎌倉から多くの職人を伴っており、その子孫がこの地に定住したことが廿日市の町の発展の基礎になったとされる。慶安5年(1652年)には町民から寄進を集めて
神護景雲3年(769年)、宇佐八幡宮の神託事件で道鏡の野望を退けた和気清麻呂の姉、和気広虫(法均尼)が備後国へ流された際、この地に留まって宇佐八幡大神を勧請し、弟の赦免を祈願したことに始まると伝わる。宝亀8年(777年)を創建の年とし、以後、八幡庄の鎮守、備後総鎮護の社として崇敬を集めている。天正年間には三原城に滞在した豊臣秀吉が参拝し、境内に桜を手植えしたと伝えられる。木造狛犬一対をはじめ、木造
広島県三原市糸崎に鎮座し、通称「はちまんさん」と親しまれる。公式の由緒によれば、神功皇后が西征のみぎりに当地へ舟を寄せた際、出迎えた村長・木梨真人が水を献じたという故事にちなみ、天平元年(729年)に豊前国の宇佐神宮(宇佐八幡宮)から御分霊を迎えて創建された。そのときの水を「長井の水」、当地を「長井浦」と称し、長井の浦は風待ちの港として『万葉集』にも詠まれている。長井の浦は井戸崎ともいい、これが現
推古天皇の御代(593〜628年)、宮島の厳島神社とほぼ同じ頃に、入江の奥へ多紀理姫命を海路の守護神として祀ったのが創祀と伝わる。鎌倉時代以前に武蔵国渋谷郷から移り住んだ社家の祖が宇佐八幡宮より八幡神を勧請し、古くから当地に祀られていた「多紀理の宮」と合祀して八幡宮を創建、のちに力箭八幡宮と呼ばれた。神功皇后がこの地で軍船を揃え弓矢(箭)の訓練をしたという伝承から「力箭山」の名が残り、草津の旧名を