由緒
創建年代は不詳。刈谷田川の左岸、熱田ヶ岡と呼ばれる高台に鎮座する。伝承では、祭神の波多武日子命は大彦命の御子で越の地に館を構えて「小丹生の三官」と称され、その後裔である古志連が祖神を小丹生ヶ岡に祀ったのが起こりだという。天喜年間(1053〜1058年)に現在地へ遷座し、土地の名から熱田明神(熱田神社)と呼ばれるようになった。のちに須佐之男命の分霊が勧請合祀され、それにちなむ神楽と神剣が伝えられている。中世は上杉氏、江戸時代は長岡藩主牧野家の崇敬を受けた。明治に入って旧社号とみられる小丹生神社に復し、明治4年(1871年)に村社に列した。『延喜式』神名帳の越後国古志郡「小丹生神社」の論社の一つに数えられる。例祭で奉納される太久神楽は当地方の出雲流神楽の発祥とされ、三条神楽や栃尾神楽に影響を与えたと伝わる。