御祭神あまてらすおおみかみ

天照大御神を祀る神社

太陽神にして皇祖神。伊勢神宮の主祭神。国家安泰・五穀豊穣のご利益で知られる最高神。 代表的な神社としては伊勢神宮 内宮、開成山大神宮、東京大神宮などが挙げられます。 神宮としての中心は伊勢神宮 内宮で、全国の神明宮・大神宮の範となる特別な存在です。

天照大御神とは?

太陽神にして皇祖神。伊勢神宮の主祭神。国家安泰・五穀豊穣のご利益で知られる最高神。 代表的な神社としては伊勢神宮 内宮、開成山大神宮、東京大神宮などが挙げられます。 神宮としての中心は伊勢神宮 内宮で、全国の神明宮・大神宮の範となる特別な存在です。

天照大御神の主なご利益

天照大御神を祀る神社では、家内安全、開運、厄除けのご利益がよく見られます。神社ごとの由緒や地域の信仰もあわせて確認すると、仕事や暮らしの節目、心身を整えたい場面など、願意に合う参拝先を選びやすくなります。

天照大御神とは

神話上の位置づけと信仰の広がりを整理します。

天照大御神は、日本神話で高天原を治める太陽神で、伊勢神宮内宮の主祭神です。皇室の祖神とされ、国土を照らし、暮らしの根本を守る神として広く信仰されています。

神明社や皇大神宮を名乗る神社にも祀られることが多く、伊勢信仰・神明信仰をたどるうえで中心になる御祭神です。

参拝のポイント

天照大御神を祀る神社を訪れる前に押さえたい観点です。

天照大御神を祀る神社では、願い事の前に日々の感謝を伝える参拝がよく合います。伊勢神宮では外宮から内宮へ参拝する流れが知られますが、地域の神明社では神社ごとの案内に従います。

天照大御神を祀る有名な神社

有名神社を中心に、大社・一宮・総鎮守など比較の起点にしやすい神社をまとめます。

有名神社三重県開運厄除け

伊勢神宮 内宮

いせじんぐう ないくう

伊勢神宮 内宮は天照大御神を祀る神社。国家安泰・開運のご利益で知られ、紀元前4年(伝承)に創建された由緒ある神社です。

所在地
三重県伊勢市宇治館町1
御祭神
天照大御神
系統
伊勢・神明
韓国開運家内安全

朝鮮神宮

ちょうせんじんぐう

朝鮮神宮は、日本統治下の京城府(現在の大韓民国ソウル特別市)の南山に鎮座していた神社である。1919年に「朝鮮神社」として創立が仰せ出され、建築家・伊東忠太の設計により1920年から6年をかけて社殿が造営された。祭神には天照大神と明治天皇が祀られたが、創建に先立っては朝鮮の地の神や偉人を祀るべきとする檀君奉斎論も議論されたと伝わる。1925年6月に「朝鮮神宮」へと改称されて官幣大社に列せられ、同年10月には勅使が参向する鎮座式が執り行われ、朝鮮半島における中心的な神社として位置づけられた。しかし1945年8月の日本の敗戦により同月16日に御霊を送る儀式が執り行われ、神宝は宮内省に返納された。同年11月に廃社となり、社殿も解体された。跡地は現在、ソウル特別市の南山公園として整備されている。

所在地
朝鮮京畿道京城府南山現・大韓民国ソウル特別市龍山区厚岩洞30-65
御祭神
天照大神、明治天皇
系統
伊勢・神明
東京都縁結び商売繁盛

芝大神宮

しば だいじんぐ

芝大神宮は天照大御神・豊受大御神を祀る神社。縁結び・商売繁盛のご利益で知られ、1005年(寛弘2年)に創建された由緒ある神社です。

所在地
東京都港区芝大門1-12-7
御祭神
天照大御神、豊受大御神
系統
伊勢・神明
東京都縁結び厄除け

渋谷氷川神社

しぶや ひかわ じんじゃ

渋谷氷川神社は東京都渋谷区東に鎮座する、旧下渋谷村・旧下豊澤村の総鎮守。素盞嗚尊・稲田姫命・大己貴尊・天照皇大神を祀る氷川信仰の古社です。

所在地
東京都渋谷区東2-5-6
御祭神
素盞嗚尊、稲田姫命
系統
氷川
福島県家内安全厄除け

開成山大神宮

かいせいざん だいじんぐ

開成山大神宮は天照大御神・豊受大神を祀る神社。厄除け・家内安全のご利益で知られ、1876年(明治9年)に創建された由緒ある神社です。

所在地
福島県郡山市開成3-1-38
御祭神
天照大御神、豊受大御神
系統
伊勢・神明

天照大御神を祀る神社一覧

75件中1-20件を表示しています。

富山県開運

八心大市比古神社

やごころおおいちひこじんじゃ

延喜式神名帳に越中国新川郡の小社として載る式内社で、旧社格は県社。創建については、孝謙天皇の御代に桜井庄三日市へ勧請されたとする説のほか、東方の嘉例沢の山頂から御幣が飛来し、現れた三体の神像を「三島大明神」として祀ったのが始まりという伝承も伝わる。天正8年(1580年)に、それまで鎮座していた北方約500メートルの萱堂の地から現在地へ遷ったとされる。明治に入るまでは三島大明神と称し、社名が八心大市比古神社に改められた後も、地元では今なお「三島神社」の通称で親しまれている。主祭神は大山祇神・少彦名神・軻遇突智神の三柱で、天照皇大神を合祀する。古くから氏子は鶏を神の使いとして大切にしたと伝えられ、社宝として鶏之図絵馬が伝わる。2月の折年祭、5月の春祭、10月の秋祭、11月の新嘗祭のほか、6月には茅輪神事が営まれる。

所在地
富山県黒部市三日市3185
御祭神
大山祇神、少彦名神
兵庫県厄除け病気平癒

須佐之男神社

すさのおじんじゃ

鎮座した年代は明らかでないが、慶長年間(1596〜1615)にはすでに社があったと記録され、明治維新までは牛頭天王社と称していた。境内地は年貢を免除された除地であったと伝わる。主祭神の須佐之男命は祓いを司る神として、家内安全のほか疫病や方位にまつわる災厄を祓う神として広く信仰を集めてきた。相殿には天照皇大神と建御名方神を祀る。古くは土師氏の祖とされる野見宿禰の後裔がこの地に移り住んだと伝えられ、その縁故から子爵の五條為栄が参拝して自ら若松を植え、変わらぬ契りを記した碑が境内に残されている。阪神本線の香櫨園駅から北西へ700mほどの西宮市郷免町に鎮座する。

所在地
兵庫県西宮市郷免町2-1
御祭神
須佐之男命、天照皇大神
系統
八坂
静岡県開運

須倍神社

すべじんじゃ

浜松市北部の都田に鎮座し、内宮と外宮の二棟の本殿を並べて祀る神明社です。延喜式神名帳の遠江国引佐郡にみえる「須倍神社」に比定される式内社で、一帯は伊勢神宮の御厨として開けた土地でした。祭神は内宮に天照皇大神、外宮に豊受姫大神を祀り、伊勢の神宮を勧請したものと考えられています。創建については仁和3年(887年)の建宮と伝え、延喜2年(902年)に上社・下社の両社を現在地へ遷して神明宮あるいは須倍神社と称するようになったとされます。一方で天応元年(781年)の創建とする所伝もあります。秋の例大祭では周辺9地区から御殿屋台(山車)が集まって曳き回され、祈年祭と新嘗祭では氏子の子どもたちが浦安の舞を奉納するなど、地域と結びついた祭祀が今も続けられています。

所在地
静岡県浜松市浜名区都田町6284
御祭神
天照皇大神、豊受姫大神
熊本県開運

新開大神宮

しんかいだいじんぐう

文安元年(1444年)、伊勢神宮を篤く信仰していた太田黒孫七郎が天照大神の託宣を受け、翌文安2年(1445年)に伊勢の神を当地へ勧請して創建したと伝わる。孫七郎は菊池氏六代隆直の末裔とされ、伊勢へ足しげく参宮したことから「飛行孫七郎」と呼ばれた逸話が残る。天正年間(1573〜1592年)に佐々成政によって社殿が焼かれたが、のちに加藤清正が再興して崇敬を寄せ、細川家の代になると手厚い保護を受けた。幕末には思想家の林桜園がこの宮を深く崇敬し、宮部鼎蔵ら門下生も信仰を注いだ。敬神党(神風連)の首領・太田黒伴雄が祠官太田黒伊勢守に入婿して神主を務め、神風連の変の挙兵にあたって神意を問う宇気比が行われた社でもある。境内には伴雄が身を清めたと伝わる「みそぎの井戸」が残る。旧社格は郷社で、地元では「伊勢宮さん」と親しまれている。

所在地
熊本県熊本市南区内田町1266
御祭神
天照大神、豊受大神
三重県開運

仙宮神社

せんぐうじんじゃ

創建年代は不詳。『天照皇大神御天降記』に記される志摩国の元伊勢伝承地・多古志宮の旧跡地とされ、伊勢神宮外宮の流れを汲む度会神道と関わりが深い。奈津の山中に祀られていた三狐神社(現在は神前神社に合祀)を「下の宮」と呼ぶのに対し、当社は「上の宮」と称される。社伝によれば仁治年間(1240年頃)に官符を賜り、興国・慶長・元和の各年間に諸方から寄進があったが、その記録は安政年間の高津波で流失したという。元和5年(1619年)に紀州徳川頼宣が入国した際には神領三石が下され、享保9年(1724年)には参道入口に「禁殺生」の石碑が寄進された。明治8年12月に郷社に列せられ、明治39年には神饌幣帛料供進社に指定された。神職は創始以来、加藤家が世襲している。境内には天竺僧佛哲和尚が植えたと伝わる多羅樹があり、本殿後方には巨大な磐座が残る。

所在地
三重県度会郡南伊勢町河内甲宮山77
御祭神
猿田彦命、大宮比賣命
島根県開運

六所神社

ろくしょじんじゃ

出雲国府跡に鎮座し、『出雲国風土記』『延喜式』の双方に記載される古社。社伝では元は佐久佐神社と称したとされ、式内社・佐久佐神社の論社にあたる。奈良時代以降は出雲国の総社としての社格を有し、国内の神社へ幣帛を分かつ班幣式や諸祈願は、出雲国中の神主を当社に集めて国司が斎行した。社名の六所は六柱の神を祀ることによるとも、諸社を管理・統括する「録所」に由来するともいわれる。王朝時代から続く古伝の御田饌(みたげ)神事には勅使の参向があり、観応元年(1350年)を境に熊野大納言が代参するようになった。その行列と儀式を描いた壁画は島根県の文化財に指定されている。本殿は大社造で、神紋は出雲大社の古い神紋と同じ二重亀甲に「有」。出雲国造家とゆかりの深い「意宇六社」の一社に数えられ、大正14年(1925年)に県社へ昇格した。

所在地
島根県松江市大草町496
御祭神
伊邪那岐命、伊邪那美命
系統
出雲
三重県開運

尾野神社

おのじんじゃ

創立年代は不詳。三重県神社庁が引く『桑名市史』によれば、当社はもともと入江・田宮・船戸の三か村の総社で、三村が合併して東方村となったのち、入江村の人々が尾野入江のほとりで尾野神社を祀ったという。尾野山北の鼻山に鎮座していた社を後に船着大明神の社へ遷して相殿としたとの説もあり、「船着大明神」の別名で呼ばれてきた。境内には御霊と称する前方後円型の古墳があり、往古はその付近に社殿が建っていたと伝える。永禄10年(1567年)には織田信長の兵乱で別当寺の小野山正斎坊が廃絶し、社蔵の古文書や古器物もことごとく焼失した。『延喜式』神名帳の伊勢国桑名郡に載る尾野神社の比定社とされ、倭姫命が巡行した桑名野代宮の伝承地(元伊勢)の一つにも数えられる。明治29年(1896年)に県社へ昇格し、明治41年(1908年)には式内社の立坂神社を合祀した。

所在地
三重県桑名市大字東方2194
御祭神
天押帯日子命、天照大御神
新潟県開運

小丹生神社

おにうじんじゃ

創建年代は不詳。刈谷田川の左岸、熱田ヶ岡と呼ばれる高台に鎮座する。伝承では、祭神の波多武日子命は大彦命の御子で越の地に館を構えて「小丹生の三官」と称され、その後裔である古志連が祖神を小丹生ヶ岡に祀ったのが起こりだという。天喜年間(1053〜1058年)に現在地へ遷座し、土地の名から熱田明神(熱田神社)と呼ばれるようになった。のちに須佐之男命の分霊が勧請合祀され、それにちなむ神楽と神剣が伝えられている。中世は上杉氏、江戸時代は長岡藩主牧野家の崇敬を受けた。明治に入って旧社号とみられる小丹生神社に復し、明治4年(1871年)に村社に列した。『延喜式』神名帳の越後国古志郡「小丹生神社」の論社の一つに数えられる。例祭で奉納される太久神楽は当地方の出雲流神楽の発祥とされ、三条神楽や栃尾神楽に影響を与えたと伝わる。

所在地
新潟県見附市名木野町1359
御祭神
波多武日子命、天美明命
系統
丹生
鳥取県開運

茂宇気神社

もうけじんじゃ

鳥取市鹿野町河内の山あいに鎮座する。創立年代は不詳だが、古くから河内地区の氏神として祀られ、かつては妙見大権現と称した。寛文7年(1667)に鳥取藩主池田家から社領六斗を寄進され、元禄15年(1702)に天照大御神を勧請合祀して妙見茂宇気宮と改めた。明治初年に茂宇気神社と改称し、村内の山神(大山祇命)や稲荷神、境内末社の稲荷大明神(倉稲魂命)を合祀している。明治5年(1872)に村社に列し、大正9年(1920)には神饌幣帛料供進神社に指定された。社名の「もうけ」という響きが「儲け」に通じるとして、近年は商売繁盛や金運の神として知られるようになり、県外からの参拝者も訪れる。社殿へ続く264段の急な石段が印象的な社である。

所在地
鳥取県鳥取市鹿野町河内4410
御祭神
天照大御神、大山祇命
三重県開運

水屋神社

みずやじんじゃ

社伝では千年余り前に大和・春日大社の安在所として天児屋根命を祀ったことに始まり、大化4年(648年)に奈良の三笠山から素盞鳴命と龍神姫命を勧請したと伝える。和銅3年(710年)に興福寺東門院領「閼伽桶の庄」となり、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦以降は伊勢領に属した。南北朝期、文中2年(1373年)の棟札にも「大和州閼伽桶庄宮」と記されている。垂仁天皇の代に天照大神が当地を巡幸した際、鎮座していた春日の神と議って櫛田川の巨石をもって伊勢・大和両国の境と定めたという伝承があり、里人はこの石を「礫石」、付近を「堺が瀬」と呼ぶ。社名も所在地名「赤桶」も神事も祭神も水に関わり、西方約700mには「閼伽桶の井」がある。社殿は朱塗りの春日造三殿並立から明治25年に現在の神明造へ改められた。

所在地
三重県松阪市飯高町赤桶2507
御祭神
天児屋根命、素盞鳴尊
中国開運

大連神社

だいれんじんじゃ

明治40年(1907年)10月1日、関東州大連市に日本人居留民の総氏神として創建された神社。昭和19年(1944年)に旅順へ官幣大社関東神宮が鎮座するまでは、関東州における中心的な神社として広く崇敬を集めた。昭和20年8月の終戦とソ連軍の進攻を受け、昭和22年(1947年)3月、元宮司の水野久直が御神体と神宝を日本へ持ち帰り、福岡市の筥崎宮に仮奉安した。その後、水野が山口県下関市の赤間神宮宮司に就任したことから、昭和28年(1953年)5月に同社の神苑へ小祠を建てて御神体を遷した。やがて伊勢神宮の式年遷宮に際して古殿一棟を賜り、造営事業を始めて神域を拡張。さらに昭和55年(1980年)、貝島太市より日の本神社の社殿を譲り受け、関門海峡を望む現在地へ永代鎮座した。

所在地
山口県下関市阿弥陀寺町4-1(赤間神宮境内)
御祭神
天照皇大神、大国主大神
アメリカ開運

ハワイ石鎚神社

はわいいしずちじんじゃ

愛媛県西条市の石鎚神社の石土毘古神を祭神として、大正2年(1913年)2月17日に創祀されたと伝えられます。大正6年(1917年)10月22日にはハワイの神社として初めてハワイ県政府から非営利法人の認可を受け、同年11月24日にホノルル市サウス・キング通りの現在地へ遷座しました。昭和2年(1927年)に木村富次が2代宮司となりホノルル神道連盟に加盟。昭和16年(1941年)12月の太平洋戦争開戦にともない木村宮司はFBIと憲兵隊に拘束されてアメリカ本土へ移送され、敵国財産管理局に接収された社殿は昭和29年(1954年)5月に返還されて祭祀が再開されました。昭和35年(1960年)には1階ホールに葵幼稚園を開設(昭和56年閉鎖)、昭和38年(1963年)には広島から宮大工を招いて本格的な社殿を建築し、昭和40年(1965年)には加藤神社を合祀して加藤清正公を相殿に祀っています。

所在地
2020 S. King St., Honolulu, Hawaii, USA(アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市サウス・キング通り2020番地)
御祭神
石鎚毘古命、加藤清正公
三重県開運

平群神社

へぐりじんじゃ

創建年代は不詳です。古代豪族・平群氏の祖とされる平群木菟宿禰を主祭神とし、『日本書紀』が木菟宿禰は仁徳天皇と同じ日に生まれたと伝えることで知られます。その後裔が伊勢国へ移り住み、祖神を祀ったのが当社の始まりと伝えられています。延喜式内社に比定される古社で、社殿は平群山の東斜面に鎮座します。この地は倭建命が足を留めた場所という伝承も残り、境内には歌碑が建てられています。のちに武内宿禰、天照大神、大己貴命、素戔嗚命、大山津見命、倭建命が合祀されました。

所在地
三重県桑名市志知3693
御祭神
平群木菟宿禰、武内宿禰
系統
出雲
三重県開運

比自岐神社

ひじきじんじゃ

創祀年代は不詳で、延喜式神名帳の伊賀国伊賀郡「比自岐神社」に比定される式内社です。祭神の比自岐神は、かつてこの地を治めた伊賀比自岐和気氏の祖神とされ、垂仁天皇の庶子である円目王の妃を出した一族として朝廷とのつながりも伝えられます。天王宮、大森神社という別称もありました。天正9年(1581年)の天正伊賀の乱で社殿をことごとく焼失し、慶長9年(1604年)に再建されています。明治末の一村一社の合祀令により旧比自岐村内に鎮座していた33社を合祀し、大正13年(1924年)に県社へ昇格しました。社前には「右いせみち、左うへの道」と刻まれた道標が残り、伊勢参宮街道の一つが当地を通っていたことを伝えています。

所在地
三重県伊賀市比自岐683
御祭神
比自岐神、天児屋根命
茨城県開運

村松大神宮

むらまつだいじんぐう

社伝では和銅元年(708年)4月7日の創立と伝えられます。飛鳥時代、平磯前浦の巨巌から怪しい光が発したことにちなみ、伊勢の大神をこの地に奉斎したのが起こりとされ、「茨城のお伊勢さま」と呼ばれてきました。平安時代の康平3年(1060年)には源頼義・義家父子が社殿を造営したと伝わり、室町時代の永享7年(1435年)には戦乱を避けて神璽が遷されています。江戸時代には徳川幕府から寄進を受け、元禄年間に再興されて水戸藩主の参拝もありました。近代以降も地域と深く関わり、昭和31年(1956年)以降は日本原子力研究所への用水分水に協力しています。

所在地
茨城県那珂郡東海村村松1番地
御祭神
天照皇大神、天手力男神
大阪府商売繁盛金運

露天神社

つゆのてんじんしゃ

大阪キタの中心、梅田・曽根崎の総鎮守で、通称「お初天神」。社伝によれば、上古に大阪湾へ浮かぶ小島の一つであった現在地に「住吉須牟地曽根ノ神」を祀ったのが始まりで、古代難波の「難波八十島祭」旧跡の一社とされる。創建年代は定かでないが、八十島祭が文徳天皇の嘉祥3年(850年)まで遡り、6世紀の欽明天皇の頃には形が整っていたとされることから、当社の起源もその頃と推察されている。社名は、昌泰4年(901年)に大宰府へ左遷される途中の菅原道真が当地で詠んだと伝わる「露と散る涙に袖は朽ちにけり」の歌にちなむとされ、元和8年(1622年)の社殿再建の際に道真公が相殿に合祀された。元禄16年(1703年)に境内で起きた心中事件を題材に近松門左衛門が『曽根崎心中』を著したことから、主人公お初の名にちなむ通称で広く知られる。現社殿は昭和20年6月の戦災で焼失した後、昭和32年9月に再建されたもの。

所在地
大阪府大阪市北区曽根崎2-5-4
御祭神
大己貴大神、少彦名大神
系統
天神
埼玉県厄除け病気平癒

調神社

つきじんじゃ

さいたま市浦和区岸町に鎮座し、地元では「つきのみや」と親しまれる。社伝『調宮縁起』によれば第10代崇神天皇の勅命による創建と伝わり、伊勢神宮へ納める調(貢)物の初穂を収めた倉庫群の中に造営されたため、貢物の搬出入の妨げとなる鳥居を設けないとされる。確かな文献では延喜5年(905年)に編纂が命じられた『延喜式神名帳』に武蔵国四十四座の一社として記載される。御祭神は天照大御神・豊宇気姫命・素盞嗚尊。「調(つき)」が「月」と同じ読みであることから、月の動物とされた兎が神使とされ、中世の月待信仰と結びついて江戸時代には月読社とも呼ばれた。南北朝期の延元2年(1337年)に足利尊氏の命で一色範行が荒廃した社殿を復興し、天正18年(1590年)の小田原兵乱で再び焼失したが徳川家康の関東入部後に再建された。現社殿は安政6年(1859年)竣工の総欅権現造である。

所在地
埼玉県さいたま市浦和区岸町3-17-25
御祭神
天照大御神、豊宇気姫命
系統
八坂
神奈川県開運家内安全

神明社

しんめいしゃ

天禄元年(970)、伊勢の天照大御神が榛谷の峯に現れたという伝承にもとづき、平安時代中頃に創建されたと伝えられる。鎌倉時代初期の嘉禄元年(1225)には神託によって神明の下宮が造られて現在の地へ遷り、榛谷御厨八郷の総鎮守として広く崇敬を集めて隆盛した。元和5年(1619)に改めて現在地へ遷座し、江戸時代の慶安年間には朱印地4石1斗を安堵されている。明治6年(1873)に村社に列格。明治2年の社殿修営に際しては、明治天皇の御東行の折に本陣・苅部清兵衛宅へ臨時に設けられた鳳輦安置所の御用材を下賜されたと伝わる。平成10年(1998)には約380年ぶりの大造営が行われ、本社・摂末社・神楽殿など境内建物12棟が一新された。御祭神は天照大御神、摂社に豊受大御神を祀る。

所在地
神奈川県横浜市保土ケ谷区神戸町107
御祭神
天照大御神
系統
伊勢・神明
愛知県開運家内安全

神明宮

しんめいぐう

愛知県岡崎市大高味町字向田の山あいに鎮座し、天照大神を祀る神社。地元では大川神明宮とも呼ばれる。境内には「大川神明宮の舞台」と称される農村舞台が残されており、明治15年(1882)に建てられた入母屋造・茅葺平入で、棟に千木を載せた特徴的な外観をもつ。間口12.28m、奥行9.41m、高さ10.9mの規模で、内部には直径6.7mの回り舞台(22個の木車を用いた皿回し式)と、3.6m×1.5mの穴を使ったせり出しの仕掛けを備え、地芝居の上演設備をよく伝えている。大正11年(1922)には市川団吉一座が上演するなど、昭和30年(1955)ごろまで実際に芝居の舞台として使われた。昭和51年(1976)11月1日に愛知県指定有形民俗文化財となり、現在も神明宮が所有・管理している。

所在地
愛知県岡崎市大高味町字向田
御祭神
天照大神
系統
伊勢・神明
サンマリノ開運家内安全

サンマリノ神社

さんまりのじんじゃ

サンマリノ共和国セラヴァッレのポデーレ・レジニャーノに鎮座する、ヨーロッパで初めて本格的に建立された神社。2011年の東日本大震災に心を痛めた駐日サンマリノ共和国特命全権大使マンリオ・カデロ氏の発案により建設が進められ、平成26年(2014)6月22日に東京大神宮の権宮司によって鎮座祭が斎行された。御祭神は伊勢神宮と同じ天照大御神で、世界平和と縁結びの神として祀られている。本殿は伊勢神宮と同じ神明造で、一部に伊勢神宮の古材が用いられ、日本で組まれた社殿を船で運んで現地で建て起こした。狛犬は靖国神社のものを写したレプリカで、愛知県岡崎市で製作されている。2024年には創建10年の記念式典が行われた。

所在地
サンマリノ セラヴァッレ
御祭神
天照皇大神
系統
伊勢・神明

よくある質問

天照大御神についての疑問に答えます。

天照大御神は何の神様ですか?

太陽の神であり、皇室の祖神とされます。光、生命、国土の安泰、日々の暮らしを支える神として信仰されています。

天照大御神を祀る代表的な神社はどこですか?

伊勢神宮内宮が最も代表的です。全国の神明社、皇大神宮、大神宮を名乗る神社にも祀られていることがあります。

天照大御神には何を祈れますか?

家内安全、開運、地域安泰、日々の感謝など幅広く祈れます。暮らしの根本を照らす神として、節目の参拝にも向いています。