素戔嗚尊を祀る神社
嵐の神・海の神。ヤマタノオロチ退治の英雄。厄除け・縁結びのご利益で知られる。 代表的な神社としては八坂神社、大宮氷川神社、川越氷川神社などが挙げられます。 総本社格としては京都の八坂神社が名高く、八重垣神社など出雲系の古社でも存在感の大きい神です。
素戔嗚尊とは?
嵐の神・海の神。ヤマタノオロチ退治の英雄。厄除け・縁結びのご利益で知られる。 代表的な神社としては八坂神社、大宮氷川神社、川越氷川神社などが挙げられます。 総本社格としては京都の八坂神社が名高く、八重垣神社など出雲系の古社でも存在感の大きい神です。
素戔嗚尊を祀る有名な神社
有名神社を中心に、大社・一宮・総鎮守など比較の起点にしやすい神社をまとめます。
八坂神社
八坂神社は素戔嗚尊・櫛稲田姫命を祀る神社。厄除け・疫病退散のご利益で知られ、656年(伝承)に創建された由緒ある神社です。
- 所在地
- 京都府京都市東山区祇園町北側625
- 御祭神
- 素戔嗚尊、奇稲田姫命
- 系統
- 八坂
渋谷氷川神社
渋谷氷川神社は東京都渋谷区東に鎮座する、旧下渋谷村・旧下豊澤村の総鎮守。素盞嗚尊・稲田姫命・大己貴尊・天照皇大神を祀る氷川信仰の古社です。
- 所在地
- 東京都渋谷区東2-5-6
- 御祭神
- 素盞嗚尊、稲田姫命
- 系統
- 氷川
赤坂氷川神社
赤坂氷川神社は東京都港区赤坂に鎮座する、厄除・縁結びの信仰が篤い氷川信仰の古社。徳川吉宗が造営した社殿が震災・戦災を免れて残り、東京十社の一社にも数えられます。
- 所在地
- 東京都港区赤坂6-10-12
- 御祭神
- 素盞嗚尊、奇稲田姫命
- 系統
- 氷川
大宮氷川神社
大宮氷川神社は素戔嗚尊・奇稲田姫命を祀る神社。縁結び・家内安全のご利益で知られ、紀元前473年(伝承)に創建された由緒ある神社です。
- 所在地
- 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407
- 御祭神
- 素戔嗚尊、奇稲田姫命
- 系統
- 氷川
麻布氷川神社
麻布氷川神社は東京都港区元麻布に鎮座する麻布総鎮守。素盞嗚尊・日本武尊を祀り、勝運・来福・仕事運・厄除開運の信仰を集める氷川信仰の社です。
- 所在地
- 東京都港区元麻布1-4-23
- 御祭神
- 素盞嗚尊、日本武尊
- 系統
- 氷川
素戔嗚尊を祀る神社一覧
44件中1-20件を表示しています。
弥栄神社
善光寺門前の上西之門町に鎮座する、善光寺七社の一社。社伝では建久7年(1196年)、信濃を訪れた源頼朝が疫病除けのため京都の八坂神社を勧請して創建したと伝えられる。安永3年(1774年)には善光寺大勧進の住職から社地の寄進を受けている。祭神は須佐之男命で、悪疫除け・災厄除け・健康長寿の神として信仰を集めてきた。当社の御祭礼は「ながの祇園祭」と呼ばれ、かつては京都・広島と並ぶ日本三大祇園祭に数えられたとも伝えられる。昭和40年(1965年)から42年にかけては松代群発地震の影響で屋台巡行が自粛され、その後長く途絶えていたが、平成24年(2012年)に「ながの祇園祭 御祭礼屋台巡行」として復活し、以後は毎年行われている。
- 所在地
- 長野県長野市上西之門町612-イ
- 御祭神
- 須佐之男命
弥栄神社
岸和田市北部の春木地区に鎮座する神社。社地は洪積台地の先端部を覆う砂丘の上にあり、古くから八幡山と呼ばれてきた。創建の年代や由緒は明らかでないが、室町時代後期の天文年間(1532〜1555年)にはすでに神社としての形を整えていたと伝えられる。主祭神は素盞嗚尊。現在は春木地区の氏神として崇敬を集めており、毎年9月に行われる岸和田のだんじり祭では、春木地区のだんじりが当社へ宮入りする。祭礼の日は境内が一年で最もにぎわう。南海本線春木駅から西へ徒歩15分ほど、住宅と商店が並ぶ市街地のなかに社叢を残して鎮座している。
- 所在地
- 大阪府岸和田市八幡町13-25
- 御祭神
- 素盞嗚尊
須佐之男神社
鎮座した年代は明らかでないが、慶長年間(1596〜1615)にはすでに社があったと記録され、明治維新までは牛頭天王社と称していた。境内地は年貢を免除された除地であったと伝わる。主祭神の須佐之男命は祓いを司る神として、家内安全のほか疫病や方位にまつわる災厄を祓う神として広く信仰を集めてきた。相殿には天照皇大神と建御名方神を祀る。古くは土師氏の祖とされる野見宿禰の後裔がこの地に移り住んだと伝えられ、その縁故から子爵の五條為栄が参拝して自ら若松を植え、変わらぬ契りを記した碑が境内に残されている。阪神本線の香櫨園駅から北西へ700mほどの西宮市郷免町に鎮座する。
- 所在地
- 兵庫県西宮市郷免町2-1
- 御祭神
- 須佐之男命、天照皇大神
- 系統
- 八坂
小丹生神社
創建年代は不詳。刈谷田川の左岸、熱田ヶ岡と呼ばれる高台に鎮座する。伝承では、祭神の波多武日子命は大彦命の御子で越の地に館を構えて「小丹生の三官」と称され、その後裔である古志連が祖神を小丹生ヶ岡に祀ったのが起こりだという。天喜年間(1053〜1058年)に現在地へ遷座し、土地の名から熱田明神(熱田神社)と呼ばれるようになった。のちに須佐之男命の分霊が勧請合祀され、それにちなむ神楽と神剣が伝えられている。中世は上杉氏、江戸時代は長岡藩主牧野家の崇敬を受けた。明治に入って旧社号とみられる小丹生神社に復し、明治4年(1871年)に村社に列した。『延喜式』神名帳の越後国古志郡「小丹生神社」の論社の一つに数えられる。例祭で奉納される太久神楽は当地方の出雲流神楽の発祥とされ、三条神楽や栃尾神楽に影響を与えたと伝わる。
- 所在地
- 新潟県見附市名木野町1359
- 御祭神
- 波多武日子命、天美明命
- 系統
- 丹生
平出雷電神社
社伝によれば仁和2年(886年)、京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)の御分霊を迎えて創建されたという。主祭神は別雷之大神で、開拓・殖産のほか雷除け・嵐除け・災難除け・勝運の神として、古くから「雷電様」の名で親しまれてきた。応仁の乱の兵乱で社殿は荒廃し、正徳年間には廃頽するに至ったが、当時の領主・平出孝政が領民とともに浄財を募って本殿を再建した。天保5年(1834年)に再改築され、元治2年(1865年)には「雷電宮」の称号を受けている。7月第4日曜日の夏大祭では豊年を祈願する梵天奉納神事が行われ、地域の夏の行事として続いている。
- 所在地
- 栃木県宇都宮市平出町3848
- 御祭神
- 別雷之大神、誉田別之命
調神社
さいたま市浦和区岸町に鎮座し、地元では「つきのみや」と親しまれる。社伝『調宮縁起』によれば第10代崇神天皇の勅命による創建と伝わり、伊勢神宮へ納める調(貢)物の初穂を収めた倉庫群の中に造営されたため、貢物の搬出入の妨げとなる鳥居を設けないとされる。確かな文献では延喜5年(905年)に編纂が命じられた『延喜式神名帳』に武蔵国四十四座の一社として記載される。御祭神は天照大御神・豊宇気姫命・素盞嗚尊。「調(つき)」が「月」と同じ読みであることから、月の動物とされた兎が神使とされ、中世の月待信仰と結びついて江戸時代には月読社とも呼ばれた。南北朝期の延元2年(1337年)に足利尊氏の命で一色範行が荒廃した社殿を復興し、天正18年(1590年)の小田原兵乱で再び焼失したが徳川家康の関東入部後に再建された。現社殿は安政6年(1859年)竣工の総欅権現造である。
- 所在地
- 埼玉県さいたま市浦和区岸町3-17-25
- 御祭神
- 天照大御神、豊宇気姫命
- 系統
- 八坂
須佐之男命神社
大阪府に鎮座する八坂系の神社です。御祭神は須佐之男命、天児屋根命、事代主命。厄除け・病気平癒・開運のご利益で知られます。
- 所在地
- 大阪府摂津市千里丘3丁目15-15
- 御祭神
- 須佐之男命、天児屋根命
- 系統
- 八坂
須佐神社
神戸川の上流に鎮座する延喜式内社で、『出雲国風土記』にも記される古社。社伝では、須佐之男命が諸国を巡ったのち「この国は小さいけれどよい国だから、自分の名は木や石ではなくこの土地につけよう」と告げて自ら御魂を鎮め置いた霊蹟とされ、須佐の地名の由来になったと伝えられる。古くから朝廷や武将の崇敬を集め、中世から近世にかけては「須佐大宮」「出雲大宮」「十三所大明神」などと称えられ、松江藩松平家の時代には「国主守護之社」として祀られた。明治5年(1872)に郷社、翌明治6年(1873)に県社へ昇格し、明治32年(1899)には国幣小社に位置づけられ、戦後は別表神社となって現在に至る。本殿は島根県指定文化財。宮司家は代々須佐国造家が継承しており、境内には七不思議と呼ばれる伝承や、大杉と親しまれる御神木が伝わる。
- 所在地
- 島根県出雲市佐田町須佐730
- 御祭神
- 須佐之男命
- 系統
- 出雲
品川神社
文治3年(1187)、源頼朝が安房国の洲崎明神から天比理乃咩命を勧請し、海上交通の安全と祈願成就を祈ったのが創始と伝えられる。元応元年(1319)に二階堂道蘊が宇賀之売命を、文明10年(1478)に太田道灌が素盞嗚尊を合わせ祀り、現在の三柱となった。慶長5年(1600)には徳川家康が関ヶ原の戦いに出陣する前に参拝して戦勝を祈願し、寛永14年(1637)に徳川家光が東海寺を建立した際には当社がその鎮守と定められて幕府の厚い庇護を受けた。明治元年(1868)には明治天皇の思召により准勅祭社の一社に定められ、現在は東京十社のひとつに数えられる。社殿は元禄7年と嘉永3年の焼失後、いずれも時の将軍の命で再建され、昭和39年(1964)に現在の社殿が再建。令和2年(2020)には天皇陛下の御即位を奉祝して社殿の修復が行われた。
- 所在地
- 東京都品川区北品川三丁目7番15号
- 御祭神
- 天比理乃咩命、素盞嗚尊
- 系統
- 八坂
大津神社
大阪府羽曳野市高鷲に鎮座し、素盞嗚尊・奇稲田姫命・天日鷲命を祀る。延長5年(927)にまとめられた『延喜式』に「大津神社」と明記された式内社で、「丹下の郷の大宮」「河内の大宮」と称えられた。応神天皇の頃、難波と大和を結ぶ要路にあたるこの地には渡来系の葛井氏・船氏・津氏が勢力を張っており、そのうち津氏一族がこの地を「大宮山」と称して守護神を奉斎したのが創祀と伝えられる。津氏が朝廷に召されて大和へ移った後は、周辺九か村の氏神として受け継がれた。仏教の隆盛に伴い本地垂迹説に基づいて「午頭天王社」と称し、宮寺・大宮山南之坊が置かれて神仏混淆となり、「北宮の午頭さん」と親しまれた。明治5年(1872)に村社に列格して大津神社に復し、現在は羽曳野市西部・南西部の氏神として信仰されている。配祀神は大山咋命と菅原道真公。
- 所在地
- 大阪府羽曳野市高鷲8丁目1-2
- 御祭神
- 素盞嗚尊、奇稻田姫命
- 系統
- 八坂
金子神社
埼玉県に鎮座する八坂系の神社です。御祭神は素盞嗚尊。厄除け・病気平癒のご利益で知られます。
- 所在地
- 埼玉県入間市西三ツ木23
- 御祭神
- 素盞嗚尊
- 系統
- 八坂
鶴見神社
創建は推古天皇の御代(7世紀初め)と伝えられ、横浜・川崎間で最も古い社とされる。往古は杉山大明神と称し、植林や成長を司り子どもを守護する神として五十猛命を祀ってきた。相殿の天王宮には素盞鳴尊(牛頭天王)を祀り、安全守護・厄除けの神として信仰されている。『続日本後紀』の承和5年(838年)条には、武蔵国都筑郡の杉山神社が霊験によって官幣にあずかったとの記事があり、古代からの由緒をうかがわせる。昭和37年(1962年)には境内から弥生時代後期から古墳時代を中心とする土師器などの祭祀遺物が出土し、平成20年(2008年)には貝層も見つかって横浜市の史跡に指定された。大正9年(1920年)に社名を鶴見神社と改めている。
- 所在地
- 神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央1-14-1
- 御祭神
- 五十猛命、素戔嗚尊
- 系統
- 八坂
小野神社
武蔵国一之宮を称する古社で、公式サイトの由緒では安寧天皇18年2月の鎮座と伝える。主祭神は武蔵国開拓の祖神である天下春大神、瀬織津比咩大神、稲倉魂大神の三柱。元慶8年(884年)に正五位上の神階を授けられ、延喜式神名帳には武蔵国八座の一社として載る。国府の近くにあったことから国司や住民の崇敬が篤く、総社六所宮創建の際には東殿第一の席を与えられて一之宮と称されたという。鎌倉末から戦国期にかけて戦乱と多摩川の洪水で荒廃したが、棟札によれば慶長14年(1609年)に徳川二代将軍によって造営再興された。明治の神仏分離で文珠菩薩を移座し郷社に列格。大正15年の失火で社殿を焼失したが昭和2年に本殿・拝殿を再建し、昭和39年に随身門、昭和49年に末社の再建を終えている。
- 所在地
- 東京都多摩市一ノ宮1丁目18-8
- 御祭神
- 天下春命、瀬織津比咩命
- 系統
- 稲荷
弥栄神社
大分市の上野丘に鎮座する旧県社。社伝では宝亀2年(771年)、豊後国府にほど近い岩屋寺の境内に祀られたのが起こりとされる。鎌倉時代には豊後を治めた大友氏の初代・能直が国中の疫病退散を願って京都の祇園社を勧請したと伝わり、以後は大友氏の厚い崇敬を受けた。天正14年(1586年)の島津軍による府内侵攻で社殿を焼失したが、元和4年(1618年)に府内藩主・竹中重義が現在地へ移して再建している。江戸期を通じて祇園社(祇園宮)と呼ばれ、明治の神仏分離を経て弥栄神社と改称。明治6年(1873年)に郷社、大正5年(1916年)に県社へ列した。寛永年間の建立と伝わる楼門が今も残る。
- 所在地
- 大分県大分市上野丘738
- 御祭神
- 素盞嗚尊、大己貴命
- 系統
- 出雲
彌榮神社
旧記によれば、文禄年間(1592〜1595)に出雲国意宇郡の熊野大社(現在の島根県松江市)から御分霊を迎えて祀ったのが創建と伝わる。当初は牛頭天王社と呼ばれ、創立以来この地の鎮守として信仰されてきた。明治5年(1872)に村社に列せられ、社号を現在の彌榮神社に改めている。明治43年(1910)には旧岡村の御館神社を合祀した。御祭神は素戔嗚尊と仁徳天皇。7月の夏祭では御神輿と鳳輦を中心とした行列が氏地を巡り、天王寺区餌差町の味原御旅所と生野区勝山北の岡御旅所へ渡御する。鶴橋・桃谷の市街地に鎮まる氏神として、今も地域の祭礼の中心となっている。
- 所在地
- 大阪府大阪市生野区桃谷2-16-22
- 御祭神
- 素戔嗚尊、仁徳天皇
大邱神社
日本統治下の朝鮮に設けられた神社で、旧社格は国幣小社。明治39年(1906年)11月3日、大邱府内の達城山に神殿を造営し、皇大神宮の遥拝所としたのが起こり。大正2年(1913年)に大邱神社と改称し、大正4年(1915年)に神殿を改築して拝殿を新築した。翌大正5年(1916年)4月22日、神社寺院規則(大正4年朝鮮総督府令第82号)により天照大神を祭神とする創立が許可された。昭和11年(1936年)8月11日に道供進社に指定され、同年12月7日には国魂大神の増祀が許可、昭和12年(1937年)5月15日に国幣小社へ列格した。例祭日は10月15日。昭和20年(1945年)の日本の敗戦にともない同年11月17日に廃止され、鳥居は1946年、社殿は1966年までに撤去された。跡地は現在の達城公園にあたる。
- 所在地
- 大韓民国大邱広域市中区 達城公園(旧・朝鮮慶尚北道大邱府城西町)
- 御祭神
- 天照大神、国魂大神
日部神社
大阪府堺市西区草部に鎮座し、彦坐王・神武天皇・道臣命を主祭神とする。彦坐王は、この一帯を拠点とした豪族・日下部首氏の祖神とされる。創建の経緯は詳らかでないが、本居宣長『古事記伝』は、神武天皇が東征の際に上陸し長髄彦と最初の戦いをした「日下の蓼津」をこの一帯に比定している。明治44年(1911)に近隣の八坂神社・熊野神社・菅原神社を合祀し、旧八坂神社の社地へ遷座した。現在の社地・本殿・神門は旧八坂神社のもので、拝殿は旧菅原神社から移築されたものである。本殿は、その前にあった石燈籠に「正平二十四年卯月八日」(正平24年/1369年)の銘が刻まれていることや建築様式から、その頃の建立と考えられ、石燈籠とともに大正6年(1917)に国の重要文化財に指定された。本殿の蟇股には多彩な彫刻が施される。神門は江戸時代の作で堺市指定文化財。
- 所在地
- 大阪府堺市西区草部262
- 御祭神
- 彦坐王、神武天皇
矢作神社
社名は日本武尊の東征伝説に由来する。尊が賊退治の矢を求めた際、一匹の蝶が人の姿となって矢作川の中州に生える竹を採ってきて、矢作部がその竹で一夜のうちに一万本の矢を作り献じたと伝えられ、境内には「矢竹」と日本武尊の像が祀られている。江戸時代には幕府直営で行われた矢作橋の掛け替え工事の完成を記念する絵馬が奉納されており、宝暦12年(1762)や天明元年(1781)奉納の絵馬を含む「矢作神社絵馬群」12点が岡崎市指定有形民俗文化財となっている。約300年続くと伝わる大祭は、五穀豊穣などを願う行事として今も受け継がれている。
- 所在地
- 愛知県岡崎市矢作町字宝珠庵1
- 御祭神
- 素盞嗚尊、豊受大神
- 系統
- 稲荷
大鳥神社
社伝では、元慶6年(882年)に伊賀国阿拝郡河合郷の篠山嶽から旧大原の地へ勧請され、のちに現在地へ遷されたと伝わります。神仏習合のもとで天台宗の大原山河合寺が営まれ、子院36院を擁して栄えました。中世には近江守護六角氏の崇敬を受け、河合社・河合祇園社・牛頭天王社などと呼ばれ、氏子からは今も「てんのうさん」と親しまれています。文禄4年(1595年)には花奪神事に豊臣秀吉の墨付きを得たと伝え、元禄2年(1689年)には桂昌院から修繕料が寄進されました。明治元年、旧大原荘の「大」と鳥居野の「鳥」を合わせて大鳥神社と改称。大正5年の火災で本殿を残して社殿を失いましたが、大正9年に氏子の力で復興し、拝殿など7棟が国の登録有形文化財となっています。御神体の素盞嗚命坐像は国の重要文化財です。
- 所在地
- 滋賀県甲賀市甲賀町鳥居野783
- 御祭神
- 素盞嗚尊
- 系統
- 八坂
馬路石邊神社
社伝によれば白鳳3年に建速須佐之男命を奉斎し、朱鳥元年(686)に大己貴命を合祀したことに始まる古社で、延喜式神名帳に記載される式内社。社名は古代の馬道(うまじ)郷の土豪・石邊君氏の氏神であることに由来する。中世には江州田中荘(吉身・守山など)の総鎮守「田中大明神」「田中天王社」と崇められ、鎮守の森は「天王の森」と呼ばれた。弘仁年間には嵯峨天皇の病気平癒祈願の功により神領などが寄進されたと伝わる。元亀・天正年間の野洲川周辺の戦乱で社殿や神宝を焼失し、江戸時代に再興されたが天明4年(1784)に再び火災に遭い、現社殿は文久2年(1862)の再建。明治9年に村社、明治14年に郷社に列した。祭礼では天下泰平・五穀豊穣を祈る古式踊「豊年踊」が奉納される。
- 所在地
- 滋賀県守山市吉身4丁目4-1
- 御祭神
- 建速須佐之男命、大己貴命
- 系統
- 出雲