由緒
和歌山市中之島に鎮座する式内名神大社で、旧社格は県社。御祭神は中津島姫命(市杵島姫命の別名)。伊達神社(和歌山市園部)・静火神社(同和田)とともに「紀三所社」と称された。天正13年(1585年)の豊臣秀吉による紀州攻めで被災したのち、寛永5年(1628年)に再興された。現在の本殿は延宝6年(1678年)の建立で、間口1.8メートルの一間社春日造、銅板葺(もとは檜皮葺)。正面の梁を省いて唐破風を設ける独特の形式をとり、各所に鳥獣の彫刻を配して全体に漆や絵具で塗装を施した華やかな造りである。元禄元年(1688年)に紀伊藩の命を受けて「志磨神社」を称するようになり、藩の関与が強まった。昭和19年(1944年)建築の拝殿は神門・袖塀などとともに、和歌山市中心部に残る数少ない良質な近代和風建築として令和6年(2024年)に国の登録有形文化財となった。