由緒
光孝天皇の女御で宇多天皇の母である班子女王を祀る。昌泰3年(900年)に68歳で崩じた班子女王の陵墓が付近にあったことに由来し、多くの皇子皇女を生んだことから「福王子」の社名がついたとも伝える。前身は『延喜式』に名の見える深川神社とされるが、応仁の乱のさなかの応仁2年(1468年)に焼失した。寛永21年(1644年)に徳川家光と仁和寺の覚深法親王によって社殿が再建され、以後は宇多天皇が開いた仁和寺の鎮守神、また近隣旧6か村の氏神として信仰されてきた。寛永再興の本殿・拝殿・鳥居は1973年に国の重要文化財に指定されている。境内には、氷室から宮中へ氷を運ぶ途中で命を落とした役夫の霊を慰める夫荒神社が末社として祀られている。