由緒
須我神社は、須佐之男命と稲田姫命を祀る出雲の古社。八岐大蛇退治の後、須佐之男命が「吾が御心清々し」とこの地に宮を造ったと伝えられ、日本初之宮と称される。和歌発祥の地としても知られる。
島根県に鎮座する神社です。開運のご利益で知られます。
須我神社は、須佐之男命と稲田姫命を祀る出雲の古社。八岐大蛇退治の後、須佐之男命が「吾が御心清々し」とこの地に宮を造ったと伝えられ、日本初之宮と称される。和歌発祥の地としても知られる。
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『万葉集』を代表する歌人・柿本人麿を祀る。人麿の終焉の地と伝わる高津沖の鴨島に、没後まもない神亀年間(724〜729年)、聖武天皇の勅命によって小社が建てられたのが起こりと伝えられる。万寿3年(1026年)の大地震で鴨島が海中に没した際、御神像が高津の松崎に漂着したとされ、その地に社殿が営まれた。江戸時代の天和元年(1681年)、津和野藩主亀井茲親によって現在地の高角山へ移され、社殿が整えられた。
出雲国府跡に鎮座し、『出雲国風土記』『延喜式』の双方に記載される古社。社伝では元は佐久佐神社と称したとされ、式内社・佐久佐神社の論社にあたる。奈良時代以降は出雲国の総社としての社格を有し、国内の神社へ幣帛を分かつ班幣式や諸祈願は、出雲国中の神主を当社に集めて国司が斎行した。社名の六所は六柱の神を祀ることによるとも、諸社を管理・統括する「録所」に由来するともいわれる。王朝時代から続く古伝の御田饌(み
創建年代は不詳。天永2年(1111年)に太政官の命を受けて陰陽寮が当社の遷宮の日時を占ったことが石清水文書に見えることから、それ以前の鎮座は確実で、出雲国最古の八幡宮とされる。一帯は京都・石清水八幡宮の社領であり、当社は「平浜別宮」と呼ばれて石清水の社家の支流が奉仕した。のちに出雲国八所八幡宮の総社と位置づけられ、戦国期には亀井氏・尼子氏・毛利氏によって社殿が造営され、江戸時代には松江藩主の直轄下
島根県隠岐郡西ノ島町浦郷に鎮座する式内社で、隠岐国の一の宮とされる。主祭神は須勢理姫命で、地元では由良比女大神と称される。社伝では仁明天皇の承和9年(842年)に官社に預かり、延喜式神名帳に由良比売大明神として載るほか、『袖中抄』や『土佐日記』にもその名が見えるという。承和15年および陽成天皇の元慶元年(877年)には丁重な祈祷が行われ、平安時代末期には隠岐国一の宮と定められた。安政2年(1855