由緒
桓武天皇の延暦年間、坂上田村麻呂が蝦夷を平定した後、その恩徳を慕った里人が祠を建てて祀ったのが始まりと伝わる。坂上田村麿と鈴鹿神女を主祭神とし、古くは古将堂(越王堂)と呼ばれた。明治5年に村社に列し、明治8年の火災で焼失後、明治12年に再建、明治42年には周辺の9社を合祀した。境内の甲冑堂には、源義経の家臣・佐藤継信忠信兄弟の妻である楓と初音が、夫の戦死を嘆く老母を慰めるため形見の甲冑をまとって凱旋を装ったという伝承にちなむ木像が納められ、松尾芭蕉『おくのほそ道』ゆかりの奥州街道の名所として知られる。