宮城県で開運の神社を選ぶポイント
開運の参拝先を選ぶときは、所在地だけでなく、御祭神・由緒・アクセスを合わせて確認すると巡りやすくなります。宮城県内で複数の神社を比較し、旅程に合う場所から参拝先を絞り込んでください。
宮城県で開運のご利益を目的に参拝したい神社を一覧で紹介します。
18件中1-18件を表示しています。
崇徳天皇の永治元年(1141年)、摂津国の住人で現在の宮司家の祖にあたる小山田清寧が勧請したと伝えられる。元亀2年(1571年)、その子孫が御神体を奉じて平泉へ向かう途中に小牛田で宿を取ったところ、御神体を持つ者が動けなくなり、この地に鎮まることを望んでいると考えて住み着いたという口伝が残る。天正3年(1575年)に祠を建てて御神体を鎮め、寛文2年(1662年)には仙台藩が小牛田駅を開くのに合わせて間口9間・奥行4間の社殿を造営し遷座した。1700年代には男性中心の山神代参講と女性中心の山神代参婦人講が結ばれ、安産・子授けの神として東北一円から北海道まで信仰が広がった。明治41年の大火で全焼した後、大正6年(1917年)に現在の斎の台へ遷座している。
宮城県名取市の高舘山山頂に鎮座し、名取熊野三社の一つに数えられる。第一主神は羽黒飛龍大神、第二主神は熊野夫須美大神で、ほかに速玉神・家都御子神・大穴牟遅神など計7柱を祀る。社伝によれば、養老元年(717年)閏6月、名取郡廣ノ浦(現在の閖上)の漁師・治兵衛が海中から光を放つ御神体を引き揚げて家に祀ったところ、夜ごと西の山並みへ龍燈のような光が走った。神託を求めると「我は羽黒飛龍の神なり」との告げがあり、光の向かった高舘山に社殿を建てて羽黒飛龍大権現として祀った。これが養老3年(719年)6月10日と伝える。保安4年(1123年)には名取老女が紀州熊野三社をこの地に勧請し、那智の御分霊を合祀して熊野那智権現と号した。伊達家代々の崇敬が篤く、社地の拡張と社殿造営、祭祀料の寄進を受けた。明治31年(1898年)の拝殿移転工事の際には床下から懸仏や銅鏡155点が見つかり、国・県の文化財に指定された。
紀州の熊野三山を模して名取の高舘丘陵に勧請された、熊野本宮社・熊野神社(新宮社)・熊野那智神社の三社をまとめた呼称です。保安年間(1120〜1124年)に熊野信仰を篤くした「名取老女」が勧請したと伝えられ、熊野那智神社は保安4年(1123年)に那智の分霊を合祀して社名を改めたとされます。仙台湾を熊野灘に、名取川を熊野川に、高舘丘陵を熊野の山並みに見立てて三社を配した地理的な対応関係が特徴です。中世以降は伊達氏の崇敬を受け、永正11年(1514年)の伊達稙宗以降、歴代当主と仙台藩主から寄進や奉納を重ねて受けました。三社の中心となった熊野神社の本殿は熊野造の特徴を持つ宮城県指定有形文化財で、春秋の例祭に奉納される熊野堂神楽・熊野堂舞楽は宮城県指定無形民俗文化財です。
明治12年(1879)6月、旧亘理領主・亘理伊達家の居城跡に、初代当主伊達成実の遺徳を後世に伝えようと創建された。祭神は成実に贈られた神号である武早智雄命。伊達成実は伊達政宗のもとで武勇をうたわれた武将で、亘理伊達家は明治初年に旧家臣団を率いて北海道へ移住し、現在の北海道伊達市の基礎を築いたことでも知られる。境内には全文4千字余りの漢文で成実の一代記を刻んだ大きな石碑が立つ。旧社格は村社。
名取熊野三社(本宮社・新宮社・那智神社)の一つ。名取熊野三社は保安年間(1120〜24)に名取老女が紀州熊野三山を勧請したと伝えられ、平安時代末期には既に存在していたと考えられている。仙台湾を熊野灘、名取川を熊野川、高舘丘陵を熊野連山に見立てて本宮・新宮・那智を別々に勧請した、紀州熊野の世界を再現するような形が特徴。本宮社は家津御子神を主神とする作物の神で、本宮十二神とも称され、万治元年(1658)に小館と呼ばれる山上から現在地へ遷宮したと伝わる。永禄6年(1563)には伊達晴宗から神輿や御神馬が奉納され、元禄3年(1690)以降は伊達藩から毎年玄米三石五斗を拝領した。山伏が伝えたという市指定無形民俗文化財「熊野堂十二神鹿踊」が保存継承されている。
日本初の産金地に鎮座する式内社。奈良時代、東大寺大仏の鍍金用の金が不足していた天平21年(749)、陸奥国守百済王敬福が小田郡で産出した黄金900両(約13kg)を朝廷に献上し、聖武天皇は大いに喜んで年号を「天平感宝」と改めた。この天平産金の縁起により延喜式神名帳に登載された。祭神は金山毘古神・天照皇大神・猿田彦命(配祀に軻遇土神・月読命)。昭和32年の発掘調査で産金を記念した奈良時代の建物跡が確認され、境内は「天平産金遺跡」として昭和34年に県史跡、昭和42年に国史跡の指定を受けた。現在の拝殿は江戸時代末期の再建。
桓武天皇の延暦年間、坂上田村麻呂が蝦夷を平定した後、その恩徳を慕った里人が祠を建てて祀ったのが始まりと伝わる。坂上田村麿と鈴鹿神女を主祭神とし、古くは古将堂(越王堂)と呼ばれた。明治5年に村社に列し、明治8年の火災で焼失後、明治12年に再建、明治42年には周辺の9社を合祀した。境内の甲冑堂には、源義経の家臣・佐藤継信忠信兄弟の妻である楓と初音が、夫の戦死を嘆く老母を慰めるため形見の甲冑をまとって凱旋を装ったという伝承にちなむ木像が納められ、松尾芭蕉『おくのほそ道』ゆかりの奥州街道の名所として知られる。
仙台東照宮は徳川家康公を祀る神社。開運・勝負運のご利益で知られ、1654年(承応3年)に伊達忠宗公によって創建された由緒ある神社です。
志波彦神社は志波彦大神を祀る、宮城県塩竈市の鹽竈神社と同じ境内に鎮座する神社。農業の守護、国土開発・殖産の神として崇敬され、延喜式神名帳に記された式内社です。
鹽竈神社は塩土老翁神・武甕槌神を祀る神社。海上安全・安産祈願のご利益で知られ、不明(神代)に創建された由緒ある神社です。
亀岡八幡宮(仙台)は、宮城県仙台市青葉区川内亀岡町に鎮座する八幡宮。伊達氏ゆかりの神社で、応神天皇・神功皇后・玉依姫命を祀ります。
宮城縣護國神社は、宮城県出身戦没者をはじめ元第二師団管区に関わる御祭神を祀る護國神社。昭和14年に内務大臣指定護國神社となり、昭和20年の仙台大空襲で社殿を焼失した後、多くの困難を経て現在の姿へ復興した。
御釜神社は鹽竈神社の末社で、鹽竈神社と同じ鹽土老翁神を祀る。鎮座地周辺は古く「甫出の浜」と呼ばれ、御祭神が伝えた製塩が行われた地と伝わる。神釜神事を通じて塩竈の地名と製塩信仰を今に伝えている。
鹽竃神社は、玉津島神社境内に鎮座する安産守護の神社。鹽土老翁神を祀る塩竈信仰を伝え、和歌山では安産祈願の社として親しまれている。古くから地域の女性や家族の祈りを受けてきた。
宮城県に鎮座する神社です。開運のご利益で知られます。
早馬神社は、梶原景時の兄とされる梶原景実に関わる神社。景実は源頼朝公の命により北条政子の安産祈願を行い、二代将軍源頼家公の誕生に結びついたと伝えられる。安産・子育ての信仰を集めている。
宮城県に鎮座する熊野系の神社です。開運・厄除けのご利益で知られます。
陸奥総社宮は、陸奥国内の神々を合わせ祀る総社として創建されたと伝えられる。多賀城の国府に近い地で、国司が国内諸社を一所で祭祀するための社として崇敬された。東北古代史と国府祭祀の歴史を今に伝える。
開運の参拝先を選ぶときは、所在地だけでなく、御祭神・由緒・アクセスを合わせて確認すると巡りやすくなります。宮城県内で複数の神社を比較し、旅程に合う場所から参拝先を絞り込んでください。
開運と宮城県の親ページも合わせて確認できます。
宮城県で件数の多いご利益別ページです。