Shrine

壺井八幡宮つぼいはちまんぐう

大阪府に鎮座する八幡系の神社です。御祭神は誉田別尊、神功皇后、仲哀天皇。勝負運・厄除け・スポーツのご利益で知られます。

由緒

壺井八幡宮は、寛仁4年(1020)に源頼信が河内国司としてこの地に館を構えたことに始まる。その子・頼義は康平7年(1064)5月15日、前九年の役から凱旋したのち、京都の石清水八幡宮の神霊を私邸東側に勧請して社殿を建立した。これが壺井八幡宮の起源であり、頼信・頼義・義家の三代がこの地に住んだことから、河内源氏の氏神として崇敬されるようになった。天仁2年(1109)には義家の六男・源義時が摂社壺井権現社を創建し、頼信・頼義・義家の霊を祀っている。壺井権現社は京都の六孫王神社、川西市の多田神社と並び「源氏三神社」の一つに数えられる。本殿は度重なる兵火で焼失し、現在の社殿は元禄14年(1701)、徳川綱吉の命により柳沢吉保が再建したものである。境内には源義家着用と伝わる黒韋威胴丸や僧形八幡神像(いずれも国指定重要文化財)、天光丸の太刀(重要美術品)、源氏の白旗のほか、樹齢1000年ともいわれる大楠が伝わる。

基本情報

この神社について

御祭神
誉田別尊神功皇后仲哀天皇
ご利益
勝負運厄除けスポーツ
系統・信仰
八幡

アクセス・参拝情報

所在地
大阪府羽曳野市壺井605-2
アクセス
近鉄南大阪線「上ノ太子駅」下車、徒歩約15分。参道下に駐車場もあるが台数が少なく手狭なため、公共交通機関の利用が勧められている。

公式情報・問い合わせ

公式サイト
tuboihatimanguu.jp

壺井八幡宮は何の神様?

壺井八幡宮の御祭神は誉田別尊神功皇后仲哀天皇です。

誉田別尊

第15代天皇。八幡神として信仰される武運の神。全国の八幡宮の祭神として最も広く祀られる。 代表的な神社としては鶴岡八幡宮、宇佐神宮、函館八幡宮などが挙げられます。 八幡信仰の総本宮としては大分の宇佐神宮が名高く、石清水八幡宮や鶴岡八幡宮も代表社として知られます。

神功皇后

応神天皇の母。三韓征伐の伝説で知られる。武運・安産・子育てのご利益がある。 代表的な神社としては鶴岡八幡宮、住吉大社、宇佐神宮などが挙げられます。 八幡信仰では宇佐神宮や石清水八幡宮、鶴岡八幡宮などが代表的で、応神天皇とともに祀られることが多い御祭神です。

仲哀天皇

第14代天皇。神功皇后の夫。八幡宮に祀られる神の一柱。 代表的な神社としては大崎八幡宮や穴八幡宮が挙げられます。

例大祭

例大祭は、康平7年(1064)5月15日の創建の日にちなみ、毎年5月15日に斎行される。午前11時から神事が執り行われ、河内源氏の氏神として崇敬を集めてきた壺井八幡宮の一年で最も重要な祭礼となっている。

年間行事

正月には歳旦祭(1月1日)に続き、1月15日午前7時からとんど祭りが行われる。2月3日午後6時には節分祭にあわせて鳴弦の儀が営まれ、6月第1土曜には小笠原流による弓馬術礼法が奉納される。6月30日午後6時からは夏越の大祓式で茅の輪くぐりが行われ、7月1日から7日までの夏詣では、7日に七夕祭とロウソクのライトアップが催される。 羽曳野市の観光ページで境内が紅葉期の見どころとして写真紹介されている。

よくある質問

壺井八幡宮の参拝前に確認したい情報をまとめます。

壺井八幡宮の例大祭はいつですか?

例大祭は、康平7年(1064)5月15日の創建の日にちなみ、毎年5月15日に斎行される。午前11時から神事が執り行われ、河内源氏の氏神として崇敬を集めてきた壺井八幡宮の一年で最も重要な祭礼となっている。

壺井八幡宮にはどのような年間行事がありますか?

正月には歳旦祭(1月1日)に続き、1月15日午前7時からとんど祭りが行われる。2月3日午後6時には節分祭にあわせて鳴弦の儀が営まれ、6月第1土曜には小笠原流による弓馬術礼法が奉納される。6月30日午後6時からは夏越の大祓式で茅の輪くぐりが行われ、7月1日から7日までの夏詣では、7日に七夕祭とロウソクのライトアップが催される。 羽曳野市の観光ページで境内が紅葉期の見どころとして写真紹介されている。

壺井八幡宮の公式情報はどこで確認できますか?

壺井八幡宮の公式情報は公式サイトで確認できます。参拝前に最新の受付時間や祭事情報を確認してください。

壺井八幡宮に関連する目的別ページ

ご利益や御朱印情報を、地域で絞り込んで確認できます。

近隣神社

同じ地域や分類に近い神社を合わせて見られます。

大阪府勝負運厄除け

百舌鳥八幡宮

もずはちまんぐう

主祭神に応神天皇を祀る。社伝によれば、神功皇后が三韓征討の帰途にこの地で万代までも鎮まり天下泰平を守ろうと誓願し、のちの欽明天皇の御代に八幡大神の宣託を受けて地を万代(もず)と称し、神社を創建したのが始まりと伝わる。平安時代には京都・石清水八幡宮の和泉国万代別宮として栄え、社僧四十八ヵ寺を擁した。江戸時代には歴代の大坂城代が就任時に必ず参拝したといわれ、徳川家から葵紋の使用を許された。秋には例大祭

所在地
大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町5-706
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡
兵庫県勝負運厄除け

魚吹八幡神社

うすきはちまんじんじゃ

神功皇后摂政3年(202年)、皇后が神託を受けて宇須伎津の浄地を開き、小さな社を建てて玉依比賣命を祀り敷嶋宮と号したのが起こりと伝えられる。のちに仁徳天皇7年(319年)、応神天皇(品陀和氣命)と神功皇后(息長足比賣命)を合わせ祀り、現在の三柱となった。播磨地方でも最大級の24か町・1万数千戸におよぶ氏子圏を持ち、当社の祭礼に漁民が一斉に休漁して網を干して参詣したことが「網干」の地名の由来と伝えら

所在地
兵庫県姫路市網干区宮内193
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡
和歌山県勝負運厄除け

隅田八幡神社

すだはちまんじんじゃ

社伝では、神功皇后が外征からの帰途、筑紫を発って紀伊の衣奈浦を経て大和へ還幸する途中にこの地へ滞留したという旧跡とされ、欽明天皇の詔により貞観年間(859〜877年)に八幡宮が勧請されたと伝わる。のちに石清水八幡宮の社領となり「隅田の別宮」と称された。長治2年(1105年)には隅田荘の豪族で隅田党の祖である長(のちの藤原・隅田)忠延が社務を司る俗別当職となり、次いで荘官の公文職にも任じられ、以後代

御祭神
誉田別尊、足仲彦尊
系統
八幡
三重県勝負運厄除け

津八幡宮

つはちまんぐう

建武年間(1334〜38)に山城国男山の石清水八幡宮の分霊を垂水村千歳山に勧請したのが起源と伝わる。津藩2代藩主・藤堂高次が鷹狩の際に当社で雨宿りをした縁で崇敬を寄せ、寛永9年(1632)正月に藤方村の現在地へ社殿を遷して造営し、藩祖・藤堂高虎の神霊も合祀された。寛永21年(1644)には垂水村・藤方村のうちから300石が神領として寄進されている。御祭神は応神天皇・神功皇后で、相殿に住吉大神・藤堂

所在地
三重県津市藤方2339
御祭神
応神天皇、神功皇后
系統
八幡