由緒
京都御苑の南西部、かつての花山院邸跡に鎮座する。社伝では延暦14年(795)、藤原冬嗣が桓武天皇の命を受け、皇居鎮護のために筑前の宗像神(現在の福岡・宗像大社の三女神)を勧請し、自邸である東京第の西南隅に祀ったのが創祀とされる。この邸はのちに東の花山院と西の小一条第に分かれ、『帝王編年記』『日本三代実録』などの古記録には当社の鎮座地が小一条殿と記される。天承元年(1131)に藤原家忠が花山院を伝領して花山院家を開くと、同家が別当として代々奉祀した。応仁の乱の兵火で焼失したが再建され、周辺一帯が公家町となったのちも鎮座地を変えず、明治8年(1875)に府社に列している。市寸島比売命を祀ることから「御所の弁天さん」と呼ばれ、御所の裏鬼門にあたることから方除けの信仰も集めてきた。境内には繁栄稲荷社・少将井社・金刀比羅宮・花山稲荷社のほか、昭和44年(1969)に観光業者の発案で創祀された京都観光神社が並ぶ。