由緒
社伝では第8代孝元天皇の御代の鎮斎と伝えられる古社で、主祭神の武水別大神は水を司る神として善光寺平の五穀豊穣と千曲川の氾濫防止を祈って祀られたとされる。安和年間(968〜970年)に京都の石清水八幡宮から相殿神の誉田別命・息長足比売命・比咩大神が勧請され、「八幡宮」として広く崇敬された。延喜式神名帳には名神大社として記載され、社伝では貞観2年(860年)に従五位下の神階を授けられたと伝わる。戦国から江戸時代にはこの地方随一の八幡宮として武将の尊崇が篤く、慶安元年(1648年)には幕府から朱印地200石を与えられた。明治41年に県社に昇格し、現在は神社本庁の別表神社。