由緒
社伝では和銅5年(712)の創建と伝わる古社で、主祭神は保食神。もとは地名の野久ヶ原にちなみ野久稲荷と称した。平安時代中頃、平忠常の乱平定に向かう源頼信が戦勝を祈願したところ、明け方に箭(矢)の形をした白雲が現れて敵方へ飛んだため大勝し、これに感謝して社殿を寄進し「箭弓稲荷」と改めたと伝わる。江戸時代には松山城主や近郷の庶民の信仰を集め、文政4年(1821)には7代目市川團十郎が境内に團十郎稲荷を勧請した。権現造の社殿は本殿・幣殿が天保6年(1835)に上棟し、拝殿は天保11年(1840)までに竣工したもので、「箭弓稲荷神社本殿・幣殿・拝殿」として令和6年(2024)1月に国の重要文化財に指定された。「やきゅう」の音の縁で野球関係者の参拝が多いことでも知られる。