稲荷信仰は、宇迦之御魂神を中心に、五穀豊穣・商売繁盛・家業繁栄を願う信仰です。京都の伏見稲荷大社を総本宮とし、都市の商店街から山中の小祠まで全国に広がりました。
赤い鳥居、神使の狐、稲荷山の奥社参拝など、見た目にも分かりやすい特徴があります。農耕神としての起源を持ちながら、江戸以降は商業の守護神としても篤く崇敬されました。
宇迦之御魂神を中心とする稲荷信仰。
由来と信仰の広がりを整理します。
稲荷信仰は、宇迦之御魂神を中心に、五穀豊穣・商売繁盛・家業繁栄を願う信仰です。京都の伏見稲荷大社を総本宮とし、都市の商店街から山中の小祠まで全国に広がりました。
赤い鳥居、神使の狐、稲荷山の奥社参拝など、見た目にも分かりやすい特徴があります。農耕神としての起源を持ちながら、江戸以降は商業の守護神としても篤く崇敬されました。
稲荷信仰を理解するうえで中心になる御祭神です。
宇迦之御魂神は、稲荷信仰の中心的な御祭神です。名前の「宇迦」は食物を意味するとされ、五穀豊穣から商売繁盛、家業繁栄へと信仰が広がりました。
伏見稲荷大社をはじめ、全国の稲荷社で祀られます。赤い鳥居や狐の神使と結びつき、暮らしと仕事を支える身近な神として親しまれています。
稲荷信仰の神社を訪れる前に押さえたい観点です。
稲荷社では、日々の商い・仕事・家計の巡りを具体的に報告する参拝が向いています。狐像は神様そのものではなく神使なので、拝む対象は本殿の御祭神です。月初や初午の日は稲荷信仰と相性がよい節目です。
有名神社を中心に、大社・一宮・総鎮守など比較の起点にしやすい神社をまとめます。
全国に約3万社ある稲荷神社の総本社。711年創建。千本鳥居で有名で、外国人観光客にも人気が高い。稲荷山全体が御神体で、山頂まで約4kmの参道が続く。
武蔵国一之宮を称する古社で、公式サイトの由緒では安寧天皇18年2月の鎮座と伝える。主祭神は武蔵国開拓の祖神である天下春大神、瀬織津比咩大神、稲倉魂大神の三柱。元慶8年(884年)に正五位上の神階を授けられ、延喜式神名帳には武蔵国八座の一社として載る。国府の近くにあったことから国司や住民の崇敬が篤く、総社六所宮創建の際には東殿第一の席を与えられて一之宮と称されたという。鎌倉末から戦国期にかけて戦乱と多摩川の洪水で荒廃したが、棟札によれば慶長14年(1609年)に徳川二代将軍によって造営再興された。明治の神仏分離で文珠菩薩を移座し郷社に列格。大正15年の失火で社殿を焼失したが昭和2年に本殿・拝殿を再建し、昭和39年に随身門、昭和49年に末社の再建を終えている。
36件中1-20件を表示しています。
承和9年(842)、仁明天皇の御代に陸奥守として着任した参議・小野篁が、奥州鎮護の神としてこの地に創建したと伝えられる。御祭神は倉稲魂神・保食神・稚産霊神の三柱で、あわせて竹駒稲荷大神と称される。倉稲魂神は稲作・農耕や商工業、保食神は五穀豊穣と食物、稚産霊神は養蚕・生成発展や縁結びの神として信仰を集めてきた。江戸時代には仙台藩伊達家の庇護を受け、日本三稲荷の一つに数えられる大社となった。旧暦2月の初午の日から7日間にわたって行われる初午大祭は、一年の農事・養蚕の準備の祭として営まれ、東北地方の春祭りの先駆けとされる。神輿渡御の行列の先頭に立つ竹駒奴は岩沼市指定無形文化財で、この祭りの見どころとなっている。
大分県竹田市拝田原に鎮座し、通称「こうとうさま」と呼ばれる稲荷社。保食大神を主神に、猿田彦神・大宮女命を祀る。稲荷神社としての創祀は元和2年(1616)と伝え、400年を超える歴史を持つ。それ以前からこの地に「こうとうさま」の信仰があったとされ、近隣には1500年ほど前の横穴墓群が残る。江戸時代、岡藩12代藩主・中川久昭が江戸屋敷で「稲荷狐頭源大夫」と名乗る神霊の告げを受けて危難を免れたと伝えられ、その縁で中川氏から「扇の森」の社号を賜り、扇森稲荷神社と称するようになった。佐賀県の祐徳稲荷神社、熊本県の高橋稲荷神社とともに九州三大稲荷の一つに数えられる。国道57号沿いに立つ高さ17mの大鳥居は大分県内で最も高く、地域のランドマークとなっている。
東京都北区岸町に鎮座し、宇迦之御魂神・宇気母智之神・和久産巣日神を祀る。社伝によれば康平年間(1058〜1065)に征夷大将軍・源頼義から「関東稲荷総司」の称号を受けたとされ、関東の稲荷社を束ねる格式の社として崇敬を集めた。小田原北条氏に次いで徳川将軍家代々の祈願所と定められ、現在の社殿は十一代将軍徳川家斉が新規に寄進したものと伝わる。大晦日に関東各地の狐が近くの榎の下に集まり、身なりを整えてから当社に参詣したという言い伝えが残り、落語「王子の狐」の舞台としても知られる。2月の午の日には火事除けの縁起物を商う凧市が立ち、1月1〜3日と2月の午の日には「額面著色鬼女図」などの絵馬が公開される。
岩村田の商店街の東側を流れる湯川の断壁に社殿が構えられた稲荷社。公式サイトによれば、永禄年間(1558〜1569年)に京都の伏見稲荷から御分霊を賜って建立されたと伝わり、佐久市観光ナビや佐久広域連合の紹介でも四百年余前の勧請と説明されている。祭神は宇迦御魂神。日本五大稲荷の一つに数えられ、厄除け・商売繁盛・家内安全・社運隆昌・交通安全・安産・学業成就など幅広い祈願で信仰を集める。鳥居をくぐって参道を進んだ御姿殿には、巻物をくわえた子持ちの稲荷狐が据えられて参拝者を迎える。2月11日の初午祭には参道にだるまや縁起物の露店が並び、多くの人でにぎわう。
武蔵国一之宮を称する古社で、公式サイトの由緒では安寧天皇18年2月の鎮座と伝える。主祭神は武蔵国開拓の祖神である天下春大神、瀬織津比咩大神、稲倉魂大神の三柱。元慶8年(884年)に正五位上の神階を授けられ、延喜式神名帳には武蔵国八座の一社として載る。国府の近くにあったことから国司や住民の崇敬が篤く、総社六所宮創建の際には東殿第一の席を与えられて一之宮と称されたという。鎌倉末から戦国期にかけて戦乱と多摩川の洪水で荒廃したが、棟札によれば慶長14年(1609年)に徳川二代将軍によって造営再興された。明治の神仏分離で文珠菩薩を移座し郷社に列格。大正15年の失火で社殿を焼失したが昭和2年に本殿・拝殿を再建し、昭和39年に随身門、昭和49年に末社の再建を終えている。
岡山市北区高松稲荷に所在する日蓮宗の寺院で、正式には最上稲荷山妙教寺と称し、最上尊信仰発祥の地・総本山とされる。寺伝では天平勝宝4年(752年)、報恩大師が孝謙天皇の病気平癒を祈願した際に、白狐に乗った最上位経王大菩薩が背後の山中にある八畳岩へ降臨したと伝える。延暦4年(785年)には桓武天皇の病気平癒祈願が成就し、勅命によって現在地に龍王山神宮寺が建立された。その後、備中高松城の水攻めによって伽藍を焼失したが、慶長6年(1601年)に花房公が日円聖人を招いて復興させた。明治の神仏分離令に際しては特別に神仏習合の祭祀形態が認められたため、鳥居や神宮形式の本殿など、神仏習合時代の姿を数多く今に伝えている。祈祷本尊の最上位経王大菩薩は五穀豊穣・商売繁盛・開運など多くの福徳を備えるとされ、1200年以上にわたって信仰を集めてきた。
社名は日本武尊の東征伝説に由来する。尊が賊退治の矢を求めた際、一匹の蝶が人の姿となって矢作川の中州に生える竹を採ってきて、矢作部がその竹で一夜のうちに一万本の矢を作り献じたと伝えられ、境内には「矢竹」と日本武尊の像が祀られている。江戸時代には幕府直営で行われた矢作橋の掛け替え工事の完成を記念する絵馬が奉納されており、宝暦12年(1762)や天明元年(1781)奉納の絵馬を含む「矢作神社絵馬群」12点が岡崎市指定有形民俗文化財となっている。約300年続くと伝わる大祭は、五穀豊穣などを願う行事として今も受け継がれている。
花園神社は、江戸時代に開かれた宿場町・内藤新宿の総鎮守として崇敬されてきた社で、徳川家康の江戸入府以前に大和国(奈良県)の吉野山から御分霊を勧請したのが始まりと伝わる。かつては現在の伊勢丹新宿店付近に鎮座していたが、寛永年間(1624~1645年)に尾張藩の下屋敷に囲まれる形になったことから現在地へ遷座した。遷座先には美しい花が咲き誇る庭園が広がっていたことから「花園稲荷」とも呼ばれるようになったという。倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・日本武尊(やまとたけるのみこと)・受持神(うけもちのかみ)を祀り、日本武尊は武神としての性格から次第に商売繁盛を守る神としても信仰されるようになった。新宿の繁華街の中にありながら、今も地域住民や商人から篤い崇敬を集めている。
大同2年(807)、平城天皇の御代に明王院の開基・空海上人が同寺の鎮守として祀ったのが始まりと伝えられる。当初は芦田川の中州に鎮座していたが、たびたびの洪水で社殿が流失・破損したため、寛永10年(1633)に福山藩祖・水野勝成が再建し、承応4年(1655)にはその孫にあたる3代藩主・水野勝貞が、父である2代勝俊の病気平癒を祈願して現在地に社殿を遷した。保食神・宇加之魂神・大己貴神を祀り、「平安時代より続く鎮守の杜」として備後福山の信仰を集めている。
祭神は倉稲魂命。飛び地境内社の東本庄稲荷神社は治承4年(1180)に荘家長によって勧請されたと伝わり、当地(北堀)に稲荷神社が勧請されたのは天正18年(1590)、小笠原氏の姫の病気平癒祈祷の謝礼として東本庄の分霊を移し祀ったのが始まりとされる。明治42年(1909)に東本庄稲荷神社を合祀したが、大正15年(1926)に元の地へ奥宮として戻された。例祭(4月4日)では祭祀舞の奉納と餅撒きが行われる。境内には天神社・八坂社・手長社・秋葉社などの境内社が祀られている。
江戸後期の安永2年(1773)、松前藩が長万部に番屋を設けた際、その守り神として創祀されたのが始まり。文化13年(1816)には京都の伏見稲荷(現伏見稲荷大社)から御分霊を勧請した。万延元年(1860)再建時の棟札には歴代の箱館奉行や松前藩主の名が列記され、異国船退散と蝦夷地の平安が祈念されていたと伝わる。明治17年(1884)に社殿を造営し、大正15年(1926)に南部藩陣屋跡の高台である現在地へ遷座した。御祭神は天照大神・大國主命・倉稲魂命。令和5年(2023)に創祀250年を迎えた。旧社格は村社。
天喜5年(1057)、鎮守府将軍・源頼義が安倍氏征討のため陣ヶ岡に布陣した際、戦勝を祈願して勧請したのが始まりと伝わる、約千年の歴史をもつ古社。「志和のおいなりさん」と親しまれ、宇迦之御魂大神・猿田彦大神・大宮能売大神の三柱を祀る。平泉文化の頃の志和城主・樋爪氏、中世の斯波氏、近世の南部藩主歴代の崇敬を受けて社殿の造営や社領の寄進が重ねられ、盛岡から続く「志和大稲荷街道」の参道も開かれた。大正7年(1918)に県社に列し、昭和32年(1957)には神社本庁の別表神社に指定された。境内には、白狐の神毛を探し延命長寿を祈る風習が伝わる老杉「稲荷山大杉」がそびえる。
天正11年(1583)、豊臣(羽柴)秀吉が大坂城築城に際し、その巽(南東)三里の地に鎮護神として伏見城から「ふくべ稲荷」を勧請したのが創建と伝わる。祭神は保食大神。社殿は、6世紀に築造された山畑古墳群の中で最大かつ最も西に位置する双円墳「瓢箪山古墳」の西斜面に鎮座する。現在の本殿は慶応2年(1866)の建立。古くから「辻占の総本社」として知られ、一の鳥居前の占場に立ち、往来する人の服装や持ち物などから吉凶を判じる辻占の伝統が受け継がれている。
創建年代は不詳だが、五関村の開村以来、村の鎮守として祀られてきたと伝わる。文政10年(1827)に神祇管領長上吉田家から「正一位稲荷大明神」の神璽を授与されており、この頃までには既に祀られていたと推定される。明治6年(1873)に村社に列格し、昭和7年(1932)には字水入の熊野稲荷合社を合祀した。祭神は倉稲魂命・伊弉諾命・伊弉冉命・保食命の四柱で、かつては近隣の東福寺が別当寺を務めた。境内社として天神社・八雲社が祀られている。
江戸時代後期の文化・文政期(19世紀初頭)、羽田(現在の羽田空港敷地)の鈴木新田開墾の際、しばしば激浪で堤防が決壊して大穴があいたため、村人が堤の上に稲荷大神を祀ったのが起源と伝わる。以後風浪の害が収まり作物がよく実ったことから、「風浪が作りし穴の害より田畑を守る稲荷大神」として穴守稲荷と称された。御祭神は豊受姫命。昭和20年(1945年)の終戦直後、連合国軍による羽田空港拡張のため48時間以内の退去を命じられて遷座を余儀なくされ、現在地の羽田五丁目に再建された。羽田空港の守り神として航空関係者の崇敬が篤く、空港ビルには分社も祀られている。
社伝では和銅5年(712)の創建と伝わる古社で、主祭神は保食神。もとは地名の野久ヶ原にちなみ野久稲荷と称した。平安時代中頃、平忠常の乱平定に向かう源頼信が戦勝を祈願したところ、明け方に箭(矢)の形をした白雲が現れて敵方へ飛んだため大勝し、これに感謝して社殿を寄進し「箭弓稲荷」と改めたと伝わる。江戸時代には松山城主や近郷の庶民の信仰を集め、文政4年(1821)には7代目市川團十郎が境内に團十郎稲荷を勧請した。権現造の社殿は本殿・幣殿が天保6年(1835)に上棟し、拝殿は天保11年(1840)までに竣工したもので、「箭弓稲荷神社本殿・幣殿・拝殿」として令和6年(2024)1月に国の重要文化財に指定された。「やきゅう」の音の縁で野球関係者の参拝が多いことでも知られる。
『延喜式』神名帳に載る婦負郡七座の一つとされる式内社で、旧郷社。主祭神は五百箇磐石尊で、倉稲魂神・諏訪神を合わせ祀る。『婦負郡志』の伝えでは、垂仁天皇の代に阿彦討伐のため下向した皇子がこの地に土着して稲倉魂神を祀った「御門神社」に始まり、のち天武天皇の代に下向した皇子が用水のための池を掘って諏訪神を相殿に祀り、社号を速星神社に改めたという。社名は鎮座地の地名(富山市婦中町速星)と重なり、旧郷社として地域の崇敬を集めてきた。
熊本城稲荷神社は倉稲魂命を祀る神社。商売繁盛・縁結びのご利益で知られ、熊本城内に鎮座する由緒ある神社です。
祐徳稲荷神社は倉稲魂大神・大宮売大神を祀る神社。商売繁盛・家運繁栄のご利益で知られ、1687年(貞享4年)に創建された由緒ある神社です。
福島稲荷神社は倉稲魂命を祀る神社。商売繁盛・縁結びのご利益で知られ、940年(天慶3年)に創建された由緒ある神社です。
稲荷信仰の神社一覧から、よく紐づくご利益をまとめています。
稲荷信仰についての疑問に答えます。
五穀豊穣、商売繁盛、家業繁栄、仕事運、開運などを願えます。農耕の守りから始まり、現代では事業や暮らしの基盤を整える信仰として広がっています。
狐は稲荷神の使いとされます。神様そのものではなく、御祭神へ願いを届ける神使として大切に扱われています。
2月最初の午の日を中心に行われる稲荷信仰の大切な祭日です。伏見稲荷大社に稲荷大神が鎮座した日と伝わり、全国の稲荷社で祭礼が行われます。